番外 ひらりひらりと舞う 14
樹人というべき虚ろのもの。
巨大ではあったものの、炎と剣とによってそれを倒したナスターシャは三つ目の生命力塊を破壊し、じっと精神を研ぎ澄ませ、辺りの様子を窺った。
空気が、不穏を現すように淀んでいる。
とてつもなく大きな力が、森の奥から、村の北側、村長の屋敷へと集まり始めるのが感じ取れた。
「やっぱそっちか……」
遥か昔に行われた、精霊との契約がある限り、ドリアードは村近辺に留まらざるを得ない。
その現状を変えるには、村長による書き換え、もしくは村そのものを滅ぼすしかない。
……そして、かの精霊を封印し繋ぎ留めるのが村の総意だというのは変わることはない。
深い闇の中、ナスターシャは明かりを灯し、カンテラを腰に吊り下げる。
「ゼル、行こう」
そして、しっかりと彼の手を掴み、頷いてみせた。
まわりを囲む樹木の魔物を何体も斬り捨て、彼女を守っていたゼルネウスはその言葉に、置いたカバンを取り、皮袋から濃度の薄い酒を一口飲むと、またも頓着なく頷いた。
ナスターシャたちの動きを、ロッドからの伝達により知ったクローディア率いる面々は、すぐさま村長の屋敷に向かい、外の敷地に自警団のほとんどとバスケス、セリエを残し、避難してきた顔ぶれを確認するため、一旦中へ入った。
屋敷の手伝いの者が、炊き出し、怪我人の手当てに慌ただしくしていながらもクローディアに気づき、頭を下げようとするのを断って、屋敷の大広間へと足を速めていく。 入ったと同時に、ご無事でしたか、との安堵の声があちこちから上がり、クローディアはそれに頷きながら、父様は、と手近な守役に問いかけた。
「奥にいらっしゃいます。お加減があまりよろしくないようで……クローディア様から問いかけがあれば、伝えるようにとの伝言がございます」
「ええ。話して」
「『裁可を求めることは無用。その指示に対しほぼ全権を委譲する。己れで決断せよ』とのことでこざいますが」
「……そう。わかったわ」
クローディアは眉を寄せ表情をきつくしたが、気を取り直して守役に頷いてみせた。
遅れてロッドが到着し、黙ってクローディアの半歩後ろへと立つ。
「皆の者、村長はクローディア様にこの戦いの全権を委ねられた!以降この方の言葉を村長と同様に聞くがよい!」
場は一瞬静まりかえり、続いて歓声が上がる。
「……そんな大げさにしなくてもいいのに」
小さく呟き顔をしかめた彼女に、
「クロアならやれるよ」
とロッドは穏やかに笑った。
その騒ぎの中、ザックたちも辿り着き、面々を見て、大分減ったな……と一人ごちた。
「ここにいるのは20人強……でも、精鋭も多いから」
「……」
セルマとその夫は疲れを滲ませた表情で、部屋の片隅へと座り込み、置かれた薬湯へと、手をつけた。
村人はクローディアの指示でその術力と状態を確認し合い、五、六人でグループを作っていく。その途中で、扉が開き、たら年齢層の高い、数人が顔を覗かせた。
「おう、わしらも数に入れてもらおうか」
「老衆様方!」
「おうよ。さすがに若いもんばかりに見せ場を取られるのはちぃっとしゃくだでなあ」
すでに守役の一部が外にいたのは知っていたが、さらに凄いのが出てきちまった、と入り口で座り込んでいたザックが、聞き取れないほど小さく、、年寄りの冷や水じゃぁ、と呟いて、ゴッ、と耳聡い老人の容赦ない拳の一撃を頭に食らっていた。
「結界はどうなります」
さすがに緊張した面持ちでクローディアが問うのに軽く笑い、
「そんなもん決まっとるわ。昔っから家内の守に長けるは女なりってな。小うるさい婆様方に任せておけば違いない」
小うるさいは余計だとどこからともなく叱咤の声が飛び、還暦を迎えたかと思われる男ヘイグは、
「まあ、ある意味攻にも向いてるやもしれんな」
そう言ってひよいっと肩をすくめた。
その右隣のごまひげの老人グリエルは、腰を曲げたり伸ばしたりと屈伸運動に忙しい。
さらにその後ろの、顎ひげが立派な老齢の男レブレンスは、素知らぬ振りでロッドに、
(で、どこまでいっとるんじゃ二人は。さすがに告白は済んだじゃろ。接吻の一つ、二つも……)
(それは、大きなお世話、というんですよ)
問いかけられた方は方で、表向き平然としながら、わざわざ念話で尋ねることかこのくそジジイが、と口にこそしなかったもの、そんなニュアンスを含ませた波導を送り返す。相変わらずで驚くほどね、と言葉もなく呆れ返っていたクローディアが、はっと気を引き締めて、「守役方、手をお貸し願えるのはありがたく存じますが------」
と言いかけたが、終える前に結界内でありながら、突如として異質な気配が感じられ、顔を強張らせる。それとほぼ同じくして、西側から凄まじい衝撃と振動が、建物へと襲いかかってきた。
一方、セリエとバスケスは、自警団の残りを配置させていた。
夜明け前の、暗がり。どこからくるかわからない敵を少しでも早く察知しようと、セリエは目を閉じる。
ブンッ
……なるべく、集中を切らさないよう、神経を研ぎ澄まし、
ブンッ
「……バスケス、私の隣で正拳突きをするのやめてもらえませんか?」
「何いってんだ、こんな時に!距離を置けばお互いのフォローがし辛くなるだろうが!」
「……そういうことじゃなくて、あああ、もう、何でもないです。好きにしていてください」
とうとうステップまで踏み始めたバスケスを視界に入れないように目を逸らしたセリエは、濃密な風の力を感じそちらを向くと、精霊力の縛りを紐解いたナスターシャと、あの、例の客人がやって来たのに気づいた。
そして、数瞬遅れて、地の底を這い近づく巨大な気配を察知し身を強張らせた。
建物を揺らす衝撃とともに、第一の結界を突き破り、地面から枝と若葉が伸びてきた。と、それは見るまに屋敷を覆うように枝葉を伸ばし濃い緑で隙間を埋めるように生い茂っていく。
その高さが屋敷を少し越したところで、大木は成長を止め、その内側から身を起こすようにしてドリアードの化身が姿を現した。
慌てて屋敷から飛び出て来た面々が、樹木を見上げ、その巨大さに顔を引きつらせる。
「これが、最後の警告よ。契約を解き、抵抗を止めなさい。長年のよしみで、この村だけは手を出さないであげるわ」
わざわざ造り変えたのであろうか、少女は肉声を伴い、はしばみの瞳を揺らがせもせず、真摯に最後通告をする。
クローディアはそれに、礼を失わず畏まりながらも、決然と首を横に振った。
「そう……残念ね」
表情を曇らせ哀しそうに首を傾げて佇む少女の滑らかな肌に、節が浮いた。
人ではなく木の肌へ変わり、薄茶に染まっていく。
眼窩を突き破り、細く枝が生え、葉を生い茂らせ、瞬くまに樹木の一枝と化し、呑み込まれていく。
アナタタチモ、コンナウンメイヲ。
枝の軋むような音が立ち、一斉に地面から木の芽が芽吹いた。
鋭く硬い棘を持ち、ぐるぐると円を描き絡みつく蔦、直線的に槍のように突き刺そうとする枝、瘤のように膨らみ次の攻撃を、と備える枝など、多種多様な種類の木々がそれこそ足の踏み場もないほどそこら中から生え、メキメキと伸ばされていく。
「全くかなわんな。老骨に鞭打たせるとは……」
どっこらしょ、とやってきた老人に驚き、
「師匠!どうしてここに!」
と叫ぶセリエに手を振って、やや掠れた声とともにぶつぶつと呟くヘイグ老のまわりにもすぐさま枝葉が伸ばされ覆い尽くそうと伸びていく。
しかし、すぐさまその葉には白くポツポツとした斑点が浮かび、そこから広がるように茶色く萎れ始めていった。
バスケスが風で剪定よろしく枝葉を切り刻むその横で、レブレンスが火花を散らし火種を作り、風とともに、舞い散るものを燃やしていく。
かと思えば、別の場所ではグリエルが、自警団間近に陣取り、骨削りの剣や火矢を使い樹木を傷つけようとする彼らに枝がしなり、飛んできた棘に対し風で盾を作るなどして守護にあたる。
どの老人たちも、まだ余裕の表情で、ああ疲れた、おまえ代われと、年齢が下の者と交代する辺りはちゃっかりしていると言えるに違いない。
やがて、生い茂る葉に隠れるようにして、虫型の魔物が生まれ、枝から枝へ跳び回りながら、ゼルネウスは大なり小なりのそれらを、斬り捨ててまわった。
人数が多い分まだ少し、余裕があり、ナスターシャは太い幹のあいだに見える屋敷の窓から、心配そうに顔を覗かせる子どもたちを安心させるため、枝を移りながらわざわざ傍へいき、大丈夫だよね?と不安げな彼らに、
「大丈夫!アーシャ姉さんに任せときなさい!」
と胸を張った。