番外 ひらりひらりと舞う 7
自警団宿舎前。ここにも蔦や、地面を突き破りうねる樹木の根が荒れ狂い、ゼルネウスは器用に白光りするナイフを使い、枝葉を払いながら、倉庫に辿り着いた。
攻撃ですでに鍵の壊れかかっていたドアを、ナスターシャが叩きながら、
「しまった……鍵貰ってくるんだった……」
と呟いた横から、どいてくれ、とゼルネウスが言って、
ドキャッ
思いきりドアを蹴り開けた。
「うわー、意外に大胆な……ま、いっか。非常事態非常事態、っと。……あ!」
「見つかったか!?」
「あ、違う違う、ごめん。あたしの手にちょうどよさげな弓だなあ、と」
そうか、と心なしか肩を落とすゼルネウスの横で、自分の持つ弓とその弓を好感し、矢と矢筒も補充していく。
「鉄で創られたものがほとんどないな」
「そりゃ、精霊は鉄を嫌うからだよ。ここは精霊術師がほとんどで、使役のみならず、声を聴く時の妨げになるから、必然的に武器や防具の材質としては避けるんだよね」
使えそうなものを物色しながら、あれでもない、これでもない、といいながら掻きまわすと、黒地に細く、鈍い朱色の彫り込みのなされた、大きめで異質な剣がナスターシャの目を惹きつけ、気づいたゼルネウスが、これだ、と嬉しそうに手に取った。
「なんだか変わってるね。螺鈿……かな?鞘に象嵌されてる」
「ああ。これは、旅人が盗賊に襲われていたところに、たまたま出くわし、助けたところ、どうやら武器専門の鍛冶職人だったらしくてね。礼として、その男が創ったのがこれだ。なんでも、剣を振るうその光景に、いたく感銘を受け、創作の女神が微笑んだとかで…………銘もある。“明けの華”すなわち、私の剣術は人々に夜明けをもたらす剣だと」
恋人の自慢をする男のように、剣をあるべき位置に差し、微笑んだ。
ナスターシャは、指を閉じたり開いたりしながら、手に取った感触、そして、美しく彫られた文様をもう一度まじまじと見た。
なんだろう。美談だし、まったくゼルネウスの言い方に含みもないんだけど……。
なぜか背筋にぞわりと寒気が走り、ナスターシャは無意識に腕をさすっていた。
結界で弾かれ、あるいは術で、あるいは斧や鉈、槍などの武器によって樹木の攻撃は防がれ、じりじりと勢いが削がれていく。
セリエは、植物の動きが鈍くなったのを見るや、動物、特に慣らされた狼に指示を出し、警戒は怠らないものの、集めて水分補給など一時休息を取らせることにした。
村長宅からかなり距離のある、第二離れの反省室へ入れられていたキーンとブレトンも、まわりの軋みが無くなったので、終わりか、とほっとして顔を上げた。
跳び出した木の根や蔦は、ぐっ、と身を太くし動かなくなった。そのまま、防御に徹するか、と思われたが、不意にその瘤が内側から破られた。
まず、羽虫が現れ、素早い動きで周りに動くものを襲い出し、続けてもっと巨大な瘤がパックリと割れ、中から……小柄な人ほどもある蜘蛛が次々と這い出し、糸を吐き手近な人間へと襲い掛かっていった。
ミシリ、と軋み、木々の瘤が張り裂ける音があちらこちらから響き、家人の視界を覆うほどの羽虫と、枝を渡るようにして近づく蜘蛛の群れ。
(羽虫と蜘蛛……でもまだだ。これしきのことで村人たちはやられはしない)
ロッドの視ている先で、縮れ髪のシャウラが笛を吹く。羽虫たちはその音に誘われ、向きを変えて手近な同類や、ごそごそ歩く蜘蛛を取り囲み攻撃しつつ、パチャパチャと自ら沼の中に飛び込んで溺れていった。
別の場所、ホロミィとファレリ姉弟の住む家付近では、揺れる小さな炎を精霊力を籠めた糸に結び付けて回転させ、虫を焼き払い、続く大型の魔物を魔力を籠めた弓矢で返り討ちにしていた。その近くには、ブレトンとキーツの家もあるが……二人が謹慎中でも戦力的に堪えた様子もなく、這い寄る魔物たちをあるいは射殺し、あるいは骨削りのダガーで切り裂いて、危なげなく迎え討つことに成功していた。
村の中央、やや西寄りの場所でバスケスの体躯が躍動する。
「喰らえ、風破斬エアスラッシュ!」
風を練り、巨大蜘蛛へと叩きつけるようにすれば、数体の蜘蛛の手足が千切れ、空中を舞った。
体術を伴い、攻撃する精霊術師は珍しい。盾となり精霊が出るのを防ぐ、このことさえなければ、この村の者たちはほとんどが穏やかに波立てないよう術を使うのを好む。その中で彼は異質、とも言えた。
「はっ、まだまだ!」
獰猛な笑みを浮かべ、次々とくる羽虫を薙ぎ倒し、蜘蛛をダガーで刺し殺し……やりたい放題のバスケスに、ロッドは術を介し、待った、をかけた。
〈バスケス、精霊はまだ本腰ではない。体力の温存を〉
「ロッド……何を言う。俺が、そんな使い過ぎ、燃料切れを起こすように見えるか?」
〈……残念ながら、見える〉
「まあ、それはさておいて」
昔からともに修行した者の気安さ、その内に隠れた真摯な忠告に、毒気を抜かれたのか、わかった、と短く返し、向かい来る魔物を倒すと、風を読んですぐさま少年たちのフォローにまわるため、北西の方角―――――村長の屋敷からすれば西側へ向かっていった。
武器を手に入れたナスターシャとゼルネウスは、村をぐるりと確認する形で動いていた。羽虫の群れは風とともにナスターシャが払い、術を使っている彼女の死角はゼルネウスが陣取り、援護する。
ザシュ、ザシュ、と呆気ない音とともに、蜘蛛たちは斬られ、やがて、他でうろついていたモノたちも気配を感じとったのか、集まり始め、ゼルネウスは平然とした顔でそれらをさくさくと倒していた。薙ぎ払い、紫色の体液が飛散するより先に次の獲物へ肉迫する。
通る後の大地に次々にその骸が転がっていく。ぽかんと呆れるナスターシャの隙をつき、羽虫がゼルネウスに向かうも、剣をひと薙ぎしただけで散らされパラパラと残骸が地面に落ちた。
歩みを止めるでもなくすぐに他の獲物へと向かえば、造作もなく醜悪な魔物は葬られ、物言わぬ骸となって転がっていく。
「風の精霊よ…………」
彼女が呼び掛けるあいだにも音は響き、体液を飛び散らせて蜘蛛は絶命していく。間近で起こる、紫の華が次々に咲き乱れるかのようなその光景を見て、ナスターシャは突然理解した。
これを、盗賊に襲われた鍛冶師も目にし、頭から離れなくなったに違いない。そしておそらく、あの剣の銘は意味を違えている。
“朱あけの華”
造った鍛冶師も、さすがにこの銘を本人に告げるのはためらわれたのだろうが、見た者は、誰しもが心を奪われ、静止するに違いない。この、衝撃的で、どこか現実離れしてるようにさえ見えるこの光景を。
ナスターシャは、無意識のうちに自分の手首に巻かれたあの紐を、撫でていた。
「せーのっ!」
ザシュザシュザシュッ
「やったぞ!!」
魔力が籠められたクロスボウの矢が蜘蛛の体のあちこちに命中し、体力を奪いクタリとさせていく。テュロスの指導の下、充分な距離を保ちつつ矢を射かけていく。その前に離脱した囮役の少年が、他の魔物も引きつけ油断を誘い、別隊の攻撃を待って急ぎその場を離れていく。
「よし。よくやった」
帰ってきたその少年はテュロスに褒められ嬉しそうにしつつ、ハイタッチして次の少年へと役を交代する。
「……よくがんばっているな」
バスケスは合流したが、思ったよりよく動けている少年隊に安心すると同時に、急ぎ来る必要もなかったか、とひとりごちた。
「危ない!」
息の根を止めていたかに思われた巨大な蜘蛛の一つがむくりと起き上がった。テュロスに矢を射かけられ内側からパックリと割れる。内から出ようとする白い腕が覗いた。
嫌な予感がして、すぐさま炎を纏わせ、その身を焼いた。ィイイイイ、と悲鳴にも似たような音を立て、魔物は炭となっていったが、バスケスたちには、それを見ている余裕などなかった。
巨大蜘蛛に混じり、人にも似た、白くぬめるような上体と蜘蛛の足を持つ魔物が、すぐそこに迫っているのが見えた。
続きます。