番外 ひらりひらりと舞う 6
ナスターシャは、奇妙なモノが結界を越える、その気配に気づいてはっと顔を上げた。
「なんか、来た」
古の精霊と酷似した存在だが、そこまでの精霊力ちからを感じない。
ゼルネウスが丸腰のままではどうにもならない、と、ラグールに交渉するため自警団本部に向かう矢先のことであった。
「どうした?何かあったか?」
ゼルネウスの問いかけに対し、
「何かが結界を越えたの。でも、おかしいな……それほど強い存在ではないみたい。この近くに……ああ、ラグールたちもそこにいるのか……ありがとう」
彼女は目に視えぬ何かにお礼をいい、一つの方角に足を向ける。
「行こう。そこに自警団の面々もいるから」
「そうはいってもな……そこに何らかの存在がいるとする。さすがにこれでは心許ないんだが……」
すかすかする腰帯の辺りをゼルネウスが示し、
「あ、そっか。じゃあ、とりあえずこれで」
はい、と獣骨削りであろう短剣を渡され、彼は一瞬眉尻を下げたが、わかった、ありがたく借りることにする、と気を取り直し礼を言った。
そして、彼らが急ぎその場所へ辿りついた時、そこには、村の7、8頭の狼と、臨戦態勢の自警団に囲まれた、萌ゆる緑の髪にはしばみの瞳という、一目でドリアードとわかる少女が白いワンピース姿で、さも危害を加えるつもりはありません、とばかりに微笑んで立っていた。
ドリアードの化身が出現した、との風霊の知らせを聞いたロッドは、その少女の形の精霊の元へ向かうさなか、ロッドはひそかに風に伝令を乗せ、続けてもっとも相性の良い地の精霊に助力を請い願うと、これには予想通り、求めに応じる声と、否、と拒む反応があった。
使えるのは、おおよそ三分の一か…………。
ナスターシャがなるべくたくさんの精霊と動いてくれることを望みつつ、足を速めたが、
「……先に行くわ」
それをクローディアが難なく追い越した。
「…………」
短く息を吐き、その後を追う。彼かの精霊の場所は、目前に迫っていた。
ふわり、と緑の髪をなびかせ、微笑む少女の足先は、よく見れば地面からわずかに浮いている。
「太古より御座します精霊よ。何ゆえ卑小なる我らの元へ顕れなされ申したのか」
その場の一人、壮年期を過ぎた男が震え声で問う。
少女、樹木の精霊は、そちらを見、体をゆらゆらと揺らしながら、
〈‘彼’を呼んでくれる?あなた方の言うところの、話し合い、をしに来たのよ〉
楽しげにそう応えた。その目線は合わず、虚空を漂っている。
‘彼’とは、おそらく村長のことだろう。
ラグールはそう当たりをつけた。来ていただくにはご高齢過ぎ、また、逢わせるつもりもない。そう考えていると、クローディアの意志がふわりと運ばれてきた。
「すでに、こちらに向かっております。しばしお待ちください」
じわり、と汗をにじませながら返した。目の前の少女からは、幾分かも精霊力ちからを測ることができず、それが余計に怖ろしい。
その場に出くわしたナスターシャは、押し殺したような苛立ちの波動を受けつつ、隣のゼルネウスに合図し、同時に静かに自身と彼の気配を気薄にした。すでに気づかれてはいるけれども、何がきっかけとなるかわからない。
〈あんまり待たせないで欲しいの〉
後ろで手を組み、首を傾げて、拗ねたような表情を作っている。長引けば、見せしめに、と誰かが殺されても不思議ではない。そして、さらに言うなら、自警団は精霊術が得意でない者が多い。
じりじりと場に焦燥感が流れ、長く長く感じられる時間が過ぎ――――――実際には数分と経っていなかったのだが――――――クローディアと、続いてロッドが到着した。
まず先に身を低く叩頭し、遅れを詫びる。
そして、クローディアは最初の者とまったく同じことを問いかけた。
遠くでその様子を窺っていたバスケスとセリエはしかし、動かなかった。
「……始まったな。行かなくていいのか」
「冗談を。あれは、ただの末端に過ぎない。ああして意識を引きつけておいて、裏で別の画策をする。常套ね。知っているでしょうに」
「ああ。もちろん。より弱き者が狙われることも、な。さあて、どう出るか……」
セリエは呆れていたが、気を取り直し、
「ここで集まっていても意味がありません。私はあちらへ」
別の方角を守護するため、その場を離れた。
〈…………ここに来たのは他でもないわ。提案をしにきたの。この際、私を永く閉じ込めていたことは、不問にしましょう〉
太古の精霊はあどけない表情で笑顔を浮かべながら、
〈あなたたちにはこれまで仕えてくれた恩情もあります。ここを黙って通してくれさえすれば、あなた方には決して手を出さないと誓いましょう〉
と宣言して、悪い話ではないはずよ、と、付け加えた。
「仮に、その言に従わんとするのなら……この外には何が起きうるのでしょうか」
〈……愚問ね。答える必要は感じないわ〉
クローディアの問いにも少女は変わらず、穏やかに微笑んでいる。だが、白い服の裾から、彼女の苛立ちを示すように、赤褐色の蔦模様がゆっくりと広がり始めた。
「あなた様が、この地に災厄を招くというのなら…………過ちを犯すというのなら……我らはそれを、身を以って止めねばなりません」
〈何を以って過ちというのかしら。これは、当然の権利だと思わない?私たちは、長きを耐えてきたわ。伐られ、削られ、砕かれ、持ち運ばれ、地に毒を流される。過ぎたるは禍を呼び込む。地に生かされていることを忘れた者たちは、命をもってその罪を贖うでしょう〉
「それでも……私たちは精霊を……貴方様を留めなければなりません。例え外の者であれ、滅ぼすというのなら……それが人としての務めなれば。叶うのならそのお考えを変えられますよう」
苦渋に満ちたクローディアの返答に、精霊は呆れたように首を振った。
〈別に意見など求めていないわ。ただ、人はまず、力より話し合いによって解決するのが上策、と理想を掲げるのでしょう。その方法を取ってはみたけれど……提案が受け入れられないのならば、押し通すまで〉
精霊が一瞬どす黒い殺気を放つ。抵抗する気力を根こそぎ奪うようなその風は、周辺一帯を吹き抜け、気づいた時はすでに、少女の姿はどこにもなかった。
「結界が、破られる」
ロッドが呟き、すぐさまその場から立ち去って急ぎ村の中心地、自分が創り上げ、また、村人に編むよう言い渡した守護の要へ向かう。
ビシ、ビシビシビシッ。メリメリメリメリッ
結界がこじ開けられる巨大な音が村中に響き渡り、じっと目を閉じ、より反応の強い場所を探っていたクローディアも続いて姿を消した。
「クソッたれ。おい、急ぎ他の家々の援護へ向かえ。相手は精霊だ。引き際、間違えんじゃねえぞ」
ラグールは自警団の面々が威勢よく答え、散らばるのを見届け、自身ももっとも守るべき場所、すなわち村長の屋敷へ向かおうとしたが、そこでナスターシャに呼び止められた。
「あ?なんだ、このクソ忙しい時に」
「ラグール……彼の武器なんだけど、どこにあるの?ゼルネウスも力を貸してくれるって」
「……自警団の倉庫だ。勝手に持ってけ。何ができるとも思わないがな」
少しばかり武器を持たせることにためらったが、この非常事態だ、何ができるとも思わない、精霊の生贄となって終わりだな、とセリエと同じ結論に達して、さっさと許可を出し、急ぎ足で去る。
「じゃあ、行こう。自警団の宿舎はこっちだから」
「……こんなにあっさり行くと、逆に不安になるな」
そんな会話をしつつ、ナスターシャ、ゼルネウスの二人は、草地を走り、自警団の宿舎、その脇にある倉庫へ向かうことにした。
バヂィッ!
別の場所では、激しい轟音とともに結界が壊れた。しかし、一気に来るかに思われた攻撃はなく、表面上は何も起こらないように思える。
バシュ、ザシュ、と鈍い音を立て、地面を突き破りあちらこちらから根が飛び出し、民家を取り巻いた。芽を幹を蔦を伸ばし、もっとも手薄そうな場所から襲いにかかる。
しかし、その枝が届く前に、バチッと守護結界に阻まれる。
「地道な作業の成果はあったな……」
ロッドは呟き、中心地へと向かう。地の精霊と繋いだ視界の隅では、クローディアが、幹とその余分な枝葉を焼き払い、大本を取り除こうとしているのが映った。
円を描き炎が舞う。
「派手さは僕にはないけれども……」
ロッドは苦笑して自身の円状結界の中心に立ち、ゆっくりとその場に動きを止めた。ぼんやりと半開きの瞳のまま、張られた結界の円内に佇むロッドの姿は、他の者がそこにいれば、ただひたすら呆けているように映ったかも知れなかった。
土と、敷き詰められた砂や守り石に意識を繋ぎ、結界の状態を探ると同じくして、周辺からごく少しずつ、少しずつ生体エネルギーを集めて、使えるよう留めておく。
より効率よくエネルギーをまわせるよう、ロッド自身は常に意識を張り巡らされた結界上へ置かなければならず、この状態では動くこともままならないが……戦う者たちのサポートをするには最適の術であり、要であるこの場所とロッド自身もわからないよう巧妙に隠されていて守護の力も分厚く重ねられている。
家を襲い締め上げる蔦に、その持ち主が出てきて、印を作り呪を唱えてその枝葉を枯らしていく。
ロッドは、ここは大丈夫そうだと判断して、狂気に走ったと考えられている精霊の、その攻撃がより激しい場所へと補強の力を送り始めた。
ドリアード(ドライアド)……樹木の精霊。