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異郷より。  作者: TKミハル
幻想楼閣
270/369

番外 ひらりひらりと舞う 3

 翌日、夜明けより少し前に起こされ、ナスターシャは昨日の残り、という名の朝食を取った。気の進まぬ様子で、ちまちまとムロイモを食べていると、

「おまえが、役目から逃げたけりゃ逃げりゃあいい。尻拭いぐらいはしてやる」

ぶっきらぼうな父親の声がかかった。


「…………ありがと」

 そっと目を伏せ、袋と畳んであった服を掴み、いってきます、と一言かけて、潔斎場所へ。


 薄暗く肌寒い村を駆け抜け、風をきりながら村の南西のはずれへ着き、控える手伝いの女性に挨拶してローブに着替え、四つある潔斎場のうちの一つ、‘水の場’を選び向かう。


 初夏とはいえ、まだ冷たい滝壺へ、最初だけ最初だけ、といいながら足を入れ、耐えた。じきに冷たさは和らぎ、ドドドド、と流れる滝の方へ体を進めていく。


 いつも雑念ばかりだなあ、と苦笑しながら水に打たれていると、不思議とざわついた心が薙いでいくのを感じていた。

 もし狂った精霊が結界を越えるようなら、封印をし直さなければいけないけれど、強大な精霊が黙って封印されるのを見過ごすはずもない。


 なんのために命を賭けるのか。精霊を封印するには、術者が命そのものを鎖として繋ぎ留めるやり方がもっとも相応しいと考えられている。でなければ、たやすく封印は緩む、とも。


 なんのために命を投げ打つのか。それしか本当に方法はないのだろうか、とそこまで考えるも、答えは出ず、ナスターシャはきつく拳を握り締める。


 このままじゃ終わらない。絶対に。


 ローブ姿のまま、滝壺から出る。そこにはすでに、手伝いのテーナーが控え、布と新しい服を用意してくれていた。


 潔斎後はいつも、心が澄み、遠くまで見通せるような気がする。


 手首につけた力制御のための組み紐を撫で、不意に気がついた。風が、震え慄き、地面が不安定にずぶずぶと足が沈む。


「終わったなら、入りますけど」

 セリエの低い声が耳朶を打った。

「あ、ごめん。もういいから」

 次に使うため来た、黒髪で薄茶瞳、ローブ姿の少女に会釈をして、そこから離れようとし、ナスターシャはぐらついた。


 何、か……。


 突然頭に映像が飛び込んできた。色褪せているので過去とわかる。閉じ込められたその苛立ちに、ギシギシと張られた縄がたわむ。頭の中に五六人の男たちが結界を乗り越え侵入し、会話する姿が展開されていく。


『いずれあの男はここに来る』

 一人がそう言い、おそらく待ち伏せのためにか、その茂みを物色し始めた。調べが半刻といかぬうちに、ドスッ、と鈍い音がして、男の一人が倒れた。

『おい!』

 ナスターシャは別の男が駆け寄ろうとして、先の鋭い枝に貫かれるのを視た。みるみる内に生命力を搾り取られ、カラカラに痩せ細った姿に変わると、死体はポイと捨てられ地に転がされる。他の男たちも同じ道を辿った。

 精霊が力をつけた分だけ結界がビシリとたわむ。破られるまであと少し――――――。


「ッは、はぁ、はぁ」

 いつのまにか汗をびっしょりとかいていた。視えましたか、とセリエの声が遠くから近づき、ここに戻ってきた。


「私はあなたほど視る力を持ちませんが……何が起きたのかおぼろげにはわかります。もう猶予もない」

 アーシャさんがあまりにも普段と変わらないので、疑問を感じていましたが……精霊たちが気を使ったのかも知れませんね、と呟いた。


「…………」

 呆然と佇むナスターシャの耳に、ずるり、ずるりと異様な音が聞こえ、やがてちょうど人型に盛り上がった泥の固まりが、地面を引きずるように姿を現した。


「ぅわッ」

 驚愕し構えるが、セリエは動じた様子もなく、冷静に泥の固まりを見つめ、そこからくぐもった声が聞こえてきた。

「……終わったなら……」

「見てわかりませんか。使用中です」

 バッサリと切って捨てる。

「ああ、なんだ。ロッドか」

 ナスターシャが胸を撫で下ろすと、ずるり、と泥の衣を脱ぐようにして、中から細目でひょろりとした青年が現れる。


「地の洗礼を一番しっかり受けたいから。……まだ終わってないなら、水を一杯貰うよ。靴が履けない」

 そう桶を取り上げたが、無言でテーラーに腕を掴まれ、あれ、というまもなく遠ざかっていった。


 そういえば、セリエは素肌にローブ一枚だけだった……。


 それを見送りながらも、これから控える地と風、火での潔斎がどういうものだったかを思い返し、かち合わないようにと先に水を済ませたのは間違いだったかなあ、と、これから洗礼を受けるであろう自分の体に目をやった。 風と土、炎の洗礼。強風にさらされ、泥に浸かり、燃え盛る熾火の上を歩く。


 炎の洗礼は慣れないうちは、おそるおそる、その上に足を踏み入れたものだったけれども……火は自分を傷つけることなく包んでくれた。今はむしろ、通る度に、さっぱりと生まれ変わったようにすら感じる。


「やっぱり清めた後はさっぱりするわねぇ」

 そう言いながら、炎に焙られ気持ちよさそうに来たのはふわりとした赤茶の髪の妙齢の女性。どことなく婀娜っぽさが漂い、しばしナスターシャをぼんやりとさせた。


「先にいくわよ」

「えっ、あ、はい」


くっ……む、胸が……いやいや、こっちはまだ成長期だから!


 そんなことを考えながら、濡れた布で一度火照った体を静め、クローディアの後を追って村長の屋敷へと足を走らせた。



 屋敷の小広間に通されると、すでに村長はそこにいて、揃った五人――――ロイド、クローディア、セリエ、潔斎中は会わなかったが、ずんぐりとしたバスケス――――の面々をゆっくりと見渡した。

 目が衰えた、との話を聞いて、久しく経つけれども……こちらを捉えながらも、どこか遠くを見ているような、不思議な眼差しをしている。


「よく、来てくれた。そなたたちを呼んだのは、他でもない。もう承知のこととは思うが……」

 しわがれた声が届く。 

「かの精霊が再び目覚め、結界を破りこちら側へ赴かんとしておる。我らは古からの伝承に則り、これを封印せねばならん。すでに一部は準備をしているものと思われるが……もはや猶予はない」

「村長……外部者はどうします?」

 ロイドの問いかけに、やや首を傾げ、

「さて……どうしたものか。邪魔になっては困るし、事が済むまで結界内に閉じ込めておくのがよかろう」

さらりと答えた。


「各々……覚悟の程は言うまでもないが、かの存在は強きもの。同時に畏怖すべきものである。敬意を払ってことにあたるがよい」

「」

「村長。そのことで一つ相談があります」

 ナスターシャが口を開きかけると同時に、クローディアが厳しい表情で目を細め、村長の位置する一つ上の座を仰ぎ見た。

「ナスターシャを、要のメンバーから外していただきたいのです」


 なっ……。


 一瞬頭が真っ白になり、身体に震えが走った。目の前で話は続いていく。


「彼女には私たちのような覚悟もなく、未熟でしかない。中途半端な気持ちでは関わって欲しくないのです。多少は足しになるかも知れませんが……ほぼいてもいなくても同じでしょう」

「……ふむ」

 村長が先を促す。クローディアはふと表情を和らげ、

「人には向き不向きもございます。彼女に村人の守護を頼んだとて、それが上の決定なら誰も何も言うことはないでしょう」

「そなたの言いたいことはわかった。だが、まず本人に意志を問うべきだな。ナスターシャ。さて、お主はどうする」

 ナスターシャはその問いかけに、面を上げ、強い光を宿して――――――。

「いえ。やります。やらせてください」

 そうきっぱりと答え、つきまして、一つお願いがございます、と低く頭を下げた。



「辞退しなかったのか。馬鹿だな」

 村長宅から帰る道すがら、ロッドが率直に言う。

「おまえがこの役目を忌避したがっているのはここにいる者は皆知っている」「あたしは……責任を放棄したいわけじゃない。ただ、このままじゃ終われないから。無駄かも知れないけど、足掻きたい。その時まで」

ロイドがぐっ、と表情を厳しくし、

「……まあ、本人が決めたことだからいいんじゃない。ちょっと、バスケスもたまにはなんか言いなさいよ」

とクローディアがいなす。

「ああ、特には……だが……」

「そうだ。選んだからには死ぬ気でやれ。失敗は許されない。本来なら村をまわり、備えるか、その力を練磨するところを、ある程度の権限と自由行動を許せと言ったんだ。その責は負え」

 ロッドが厳しい口調で言う。バスケス、セリエがそれに頷いた。


「バスケスに聞いたんだけどもね……」

 クローディアが呆れつつも、それからにやりと笑い、

「そういえば、聞いたわよ。あんた、ナスターシャとセリエ覗きにいって失敗したんだって?」

「うわ……そんな話になったか。いや、もうちょっと凹凸のある方が好みなんだけど」


 バゴッ


「すみません、歩みが遅いのでぶつかってしまいました」

 的確に靴越しではあるが足の小指という急所と、脛を蹴られ声も出せないロッドに、セリエがぺこりと頭を下げ、すたすたと去っていく。


「鳥も鳴かずば……って格言、もっと頭に叩き込んだ方がいいんじゃない?」

「…………」


「あ、あの、あたしも向かうところがあるから」

 ナスターシャの言葉に、はいはいいってらっしゃい、とクローディアが手を振った。


「オレも……風を受けにいってくる」

「はいはい。……で、ロッドはどうすんの?」

「何言ってんですか……これから村の家々を一つずつまわって結界の強化ですよ」

 脛をさすりつつ彼が返すと、

「あ、そっか。悪いわねぇ、どうも守りより攻める方が性にあってるのよ」

「ああ、確かに。クロアは肉食系だか……ッ」

 ゴスッ、と脇腹に一撃を食らい、ロッドは今度こそ悶絶してしばらく動けなくなった。



 その頃屋敷では、守役が複雑な表情で、村長の本意を尋ねていた。

「ナスターシャの件……本当によかったのですか」

 村長は痩せているしわの多い顔でふ、ふぉと笑い、

「無茶は、若い者の特権じゃな。まあ、ナスターシャの気持ちもわからんでもない。納得いくまで自由にさせておこうじゃないか。どうなるかはわからんが、足掻かねば可能性は生まれん」

 そういって行く先を見守るかのようにゆっくりと目を細めた。



 例の男と接触する機会をなかなか得られず、夜通しじりじりとしていたキーツたちだが、朝、長身黒髪のあの男が小屋から出され、散歩なのだろうか自警団の一人に付き添われてどこかへ移動するらしい様子を見て、俄然色めきたった。


「おい……奴を拉致するのは今しかない」

「キーツ止めとけって……もう気づかれてるよ」

「いいから」

 侵入者の男と見張りはそのまま小さな広場に出た。会話を聞く限り、どうやら男が、運動ぐらいさせて欲しいとごねたらしい。


 これはチャンスだ、とキーツが隣の相棒に、

「いいぞ……ブレナン、頼む」

「だからもう諦めろって……」

「オレの秘蔵の品、欲しくないか」

「おおお……よっしゃ、やったるわ」

 二つ返事で引き受けて、カトリーヌちゃんのためなら、と言いながら離れた場所に行き指を咥え、聞こえるか聞こえないか程度の音を立てた。


 突如、木々の鳥が羽ばたき、見張りに襲い掛かる。見張りは、

「てめえ、ブレナン!この非常時に何しやがる!」

 青筋を立ててすでに遠ざかろうとしている背中を見、すぐさま後を追った。


 その隙にキーツは、騒ぎにも動じず体を曲げ伸ばししている男の前へ立ち、

「おい、そこのおまえ!」

と低く呼びかけると、

「ん?なんだ?」

振り向いた男は、小さなナイフですら装備していない。


 丸腰なのを改めて確認したキーツは腰の剣を抜き、

「ちょっと、来てもらおう」

と声をかけた。


「それは……穏やかじゃないな。だが、断ろう」

 と言って肩をすくめてみせる。

「わかってないようだな。おまえに拒否権などない」

 キーツはそう言って脅すように剣を振り上げた。


 男と目が合った。あれ、と振り上げたままで、キーツは止まる。体が動かず、ぶるぶると震えが走り、思わず剣を落としそうになり、慌てて握り締めたが、どうしても振り上げることが叶わない。


「どうして、どうしてなんだよ!」


 戦いの経験、純粋に剣士としての腕の桁が違う……。そのことにやっと気づき、顔をくしゃりとゆがめ、がくりと膝をついた。


「おまえが、おまえのせいでアーシャが……オレは彼女を助けたいんだ!」

「なら、そうすればいい」

「え……」

「何があったのかはわからないが、もし叶えたいのなら、そうすればいいだけのことだ。場合によっては力を貸せるかもしれない」

 力のある言葉。男のその気迫を目の当たりにしたキーツは呆然と立ち上がり、頷きかけて――――――。


「おい、てめえ。うちの若いモンをたぶらかさないでもらおうか」

出てきたラグールに、待ったをかけられた。  


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