ジゼル・コルシェシカ 1
アイリッツは、頭に当てられた矢の先をちらりと見、ひょいと根元を摘まんで逸れるよう動かした。
「負ける気はしない。とは言っても力の無駄使いもしたくない。ま、今回は応援の旗でも振っておくさ」
肩をすくめてそんなことをいう。
「そうあって欲しいものだけど、ね」
「まったく、同族てのはぞっとしないな。やり合うことに一片の益もねえし。…………まあどのみちあいつらも、このぐらいどうにかできないようでは、先は無理だからな。そうわかってはいるんだが……」
まったくオレって人がいいから、と笑うのに対し、ナスターシャの表情に哀しみの色が差す。
「リッツ……あたしたちは、“誰か”の強い願いによって生まれた、本体ではなくその残影のようなもの……。そして、多かれ少なかれ、その願い主の希望を行動に反映する」
「……だからどうした」
告げられたアイリッツは、ふ、と息を吐き肩をすくめ、
「オレは、自分がやりたいようにやるだけ。そんなのは関係ないな」
「ま、だよね。それしかないし」
ナスターシャも知らぬまに入っていた体の力を抜いて、彼ら自身の思いを譲ることなく戦っている自分の仲間を見やった。
ただ、今は彼らを見守るだけ。切なる祈りとともに。
遠くから、斬り結ぶ音が聞こえてきた。結局、宰相室にも戻れぬまま、離れた一室で、エルセヴィルはぼんやりと時間を過ごす。
……どうせ、向かったところで、何ができるわけでもなく。あいつらなら、勝てるだろう、とただひたすら小さな希望にすがりつく。エルズはずっと、動かない。自分は役立たずだ、と、その思考に縛られ動けない。
演習場では、戦闘は未だ始まったばかりだった。アルフレッドが、あのラスキ、とかいう騎士と打ち合うその横で、シャロンは剣に力を籠め、風を起こし、ジゼルを追い詰める。彼女の服はすでにあちこちが破れ、肩や頬にも傷ができ血が流れ伝っていく。
ラスキか……そういえば、結局最初のアレはなんだったんだ。宣伝的実演技とでもいうものだったのだろうか。
そんな思考を巡らせる余裕すらあり、いけないいけない、と慌てて気を引き締めジゼルを見据える。だが差は、歴然だった。
彼女が考え直し、道を譲るよう声をかけようか、とも考えたが、勝者の理屈だな、相手の神経を逆なでするだけだろう、とすぐに打ち消した。戦闘不能状態に持ち込んでしまえばいい。
よく保っているな、彼女も、とシャロンは冷静にジゼルの様子を窺い、考えを実行に移すため動いた。
――――――手加減されている。
ジゼルはシャロンの動きが変わったのを感じ取っていた。振るった剣は返され、風が彼女を弄り追い詰めていく。命まで取る動きではなく、確実にこちらの体力を奪い、屈服させるために。
その甘さが命取り、と告げられるほど甘くはなくただひたすら冷静に、こちらの力量を測り、勝利を得るための最善を、と――――――。
追いすがり隙をついた剣は撥ねられ、どれほど渾身の力を振り絞っても、届かない。姿を追い切っ先を向けても風が阻み、体力を削っていく。
届かない。高い。差が。どうして――――――駄目なのに。あれだけ鍛錬を積んだのに――――――。――――を。私は。
打たれながら、仰ぎ見れば、揺るぎない決意を籠めた眼差し。仲間とともに――――――。なかま。なかまは。
知らないうちに、口から笑みが漏れた。そのまま肩を震わせ笑う。
「貴方は、幸せな人ね。本当に絶望したことなどないのでしょう?どれほど願っても届かない苦しみ……貴方には、きっとわからない。…………こんなもの!」
もう、何の価値もないわ――――――
そう言ってジゼルは、解けて落ちる髪を払い除け、細剣を投げ捨てた。
細剣は演習場の隅まで飛び、休憩所の柱にぶつかってカランカランと音を立てる。
「ジゼル……あんなに頑張っていたのに……」
ナスターシャの嘆きが零れた。声なき声が言葉を紡ぐ。
ああ、彼女が堕ちる。
もう、何度この光景を、目にしてきたことだろう。……どうして、彼らは出口のない道を、同じように。当てどもなく、グルグルグルグル――――――。
武器を投げ捨てたかと思うと、ああ、どうして、とジゼルは急に叫んで頭を抱え、その身をくねらせた。蒼白な表情で悶える彼女の口から呟きが洩れる。どうしてこんな風になってしまったんだろう、どうしてこんなことに、と呟きながら、彼女は涙を流す。そして、踊る、くるくると不安定なピルエットを。
シャロンはその異様な光景に目を奪われていた。目の前で泣きながら踊るジゼルが、祈りの形に胸元で手を組んだかと思うと、ぅっ、と小さく呻いて蹲った。
「おい――――――」
細く白いたおやかな手が、その胸元に突き立った柄を握り締めた。呼びかけの形に固まったまま、シャロンの瞳がズル、と引きずり出される無骨な剣を目で追った。彼女にはまったくふさわしくない、どこにでもありそうな、数打の――――――。
「人の心の深淵など、具現化するものじゃないな」
アイリッツがぽつり、とひとりごちた。
「あ、あああ、あ。私は、戦う。この城を、滅ぼそうとする者たちから、守るために。それが私にできる唯一の、、、」
贖いだから。
引きずり出した剣を、ジゼルはシャロンに向けた。顔は背けて陰になっており、どんな表情をしているのかはわからない。
それより少し前、様子のおかしいジゼルに気づいたラスキは舌打ちし、剣を交えるアルフレッドに声をかけた。
「おい。悪いが、一時休戦を取る。彼女のこの戦いは、きちんと見ておいてやりたい。例え、どんな形を取ったとしても」
「関係ないな」
いったんその提案を跳ね除けたアルフレッドは、険しい顔つきで剣を強く振り立てるラスキと斬り結びながらも、考え直した。
もし、彼女だったなら。その提案を呑むだろう。
「まあ、少しばかり戦闘が後になったからといって支障はない」
首、そして腕を狙う剣筋を躱し、アルフレッドは剣を収めた。
「………すまない」
ラスキも剣を収め、目を軽く閉じ、頭を下げる。
「ジゼル…………」
視線の先の彼女は、すでに立ち上がり、シャロンに剣を向けていた。
体が、軽い。でも、どうしてかしら。寒くて寒くて――――――震えが、止まらないの。
「私の願い。それを阻む者は…………滅ぼす」
ジゼルがそう宣言したその瞬間、それまで何もなかった空間に、彼女を取り巻き、ぐるりと円を描くように、大小の差はあれ同じ形の剣が出現し、シャロンを直に狙い飛来した。
「くっ…………!」
「逃がさないわ。死んで頂戴」
地面を蹴ると同時に風を使い跳躍するシャロンへジゼルが追いすがる。その剣を弾き、バランスを取りながら受け身を取って地面に下り立つも、まるで地から生えたように剣が飛び出し慌てて再び跳躍した。
「形勢、逆転ね」
流れ落ちる髪を払い高みから見下ろすジゼルには、もはや――――――迷いはなかった。
くるくると踊る、彼女はピルエットを。
『ねえ、凄いじゃないジゼル!もう貴方のダンスに適う女性なんていないわ!』
そういって友だちが笑い、手を握り締めた。
『舞踏会で、上の人に見初められたりするかも!………って、あ、ゴメン。もう恋人いたんだっけ』
『う、うん。その……ええと』
『遠目で見たけどいい人そうじゃない!お披露目式にはぜったい呼んでね!』
『あ、う、うん!』
ジゼル、そろそろ時間よ、と侍女仲間から声がかかる。
『それと、これ。……本当、隅に置けないぐらいお熱いわね』
呆れたような声とともに、手紙を渡され、ギュッと胸元で抱き締めた。
大切な、平穏で幸せな日々。でもどうして、それが遠くへ行ってしまったように感じるのかしら。
――――――償いを。しなければ…………。
数打ち……質より量、とばかりに大量生産されたもののこと。<補足>ここでは剣に使ってますが、本来は刀に対し使う言葉だと思われます。