陽炎<かげろう>
遅くなりすみません。後半暗めです。ご注意ください。
さも美味しそうにうっすら湯気を立てる焼き菓子。整えられたティーセット。なんというか、さすがの私でもわかる、どう考えてもこれは――――――。
「……罠、だよな」
ここまであからさまだとどうも調子が狂う、と気まずげなシャロンに、
「お茶のセットにしては強力な魔力が籠められているのは確かだな」
アイリッツが苦笑する、その隣でアルフレッドがすたすたと傍に、
「ってちょっと待った!」
慌てて菓子を取ろうとした彼の腕を掴み、ストップをかけるが、なぜ?と返されてうっ、と言葉に詰まった。
「匂いに問題はない」
「……いや。そうかもしれないが、無臭の毒とか、有害な魔法がかけられている可能性だってあるんだ。手をつけるのはよくない。ここは無視して先へ、」
シャロンが言いかけるのと時同じく。近づき過ぎたためか、そのテーブルそのものが力強く発光し始め、しまった、とシャロンが焦る。
その抵抗も虚しく、三人は光に包まれていき――――――傷、体力、精神力ともにすべてが癒された。
がっくり、とシャロンが膝をつく。
ちなみにアイリッツは、発動の時点で害あるものではないと気づいたが、シャロンの焦りっぷりが面白かったので黙っていた。アルフレッドも慌てず騒がず、ゴスッ、とそのすねに蹴りを入れる。
「いッ………………めっちゃ油断、し、た」
「リッツ!?大丈夫、か……」
ぱっと顔を上げて言ったものの、すねを押さえて跳ねるアイリッツと、何事もなかったかのようにこちらに手を差し伸べるアルフレッドを見比べ、眉を寄せて、
「アル……やるなとは言わないが、もう少し手加減してもいいんじゃないか?」
と言ったので、
「シャロンも何気にオレの扱いが雑だと思うよ~……」
そう返してしばらく、痛みがなんとか収まったアイリッツがふう、と息を吐きドッと椅子に腰かけた。
「で、これは罠じゃないんだな?」
「とりあえず、籠められた魔力は無くなったな」
シャロンはいまいち要領を得ないアイリッツの返答に、顔をしかめつつ、冷めていく焼き菓子を検分していたが、ああもう、と首を振った。
「もういい、食べよう!何かするつもりならもっと前の段階でしているに違いない!」
それに、なんだかあのシルウェリスとかいう奴におちょくられている気がする、とげっそりと呟く。
きらり、と瞳を輝かせたアルフレッドは、さっそく籠の中の焼き菓子に手をつけた。さも当然のごとく茶を注いでうまそうに飲むアイリッツの横で、シャロンも高価そうなカップにポットの紅茶を注ぎ入れ、おそるおそる口をつけた。
「美味しい……この際、ついでに交代で仮寝もしておくか……」
美しい庭園。焼き立てのお茶菓子と、抜群の茶葉という、素晴らしいシチュエーション。それなのに、素直に喜べないのはなぜなんだろうな、とシャロンはお茶を飲みながら、乾いた笑みを浮かべていた。
あれほど城内に響いていた轟音も今は収まり、ひっそりと静まり返っている。ソファで寝そべっていたエルズも、さすがに不安になり身を起こし、胡桃色の跳ねた髪や服のしわを整えながら、一旦出て扉の前の兵士に挨拶しつつ周辺を確認し、差し当たっての脅威はないと見てとると、急ぎ宰相室へと向かう。
扉には厳しい表情の兵士が見張り、こちらを見ると黙って頭を下げる。乱暴に音を立てて扉を開きながら、
「おい、親父!どうすんだ!」
怒鳴った。
「おまえは静かに入れんのか」
机に積まれた書類を一つ一つチェックし、書き込みをしていたこの国の宰相が顔も上げず言う。その姿にわずかに安堵しつつもつかつかと歩み寄り、机にバンッと手をついた。
「城は攻め込まれているってえのに、こんなもん意味ねえだろ!さっさと……」
言葉を遮り、宰相は首を振る。
「本当に騒がしいぞ。どうした、ここまで攻め入られそうなので怖気づいたか」
「いや……そんなんじゃねえよ」
「とっくに、城を出ているものと思っていたんだがな……」
パタリと羽ペンを置き、溜息を吐いた。
「それより、どうするんだ。もしここまで攻めてきたら」
「私は……責務がある。ここで王に従うのみ」
「阿呆か。少ない人数とはいえ、ここまで攻める精鋭に、敵うとでも……」
はっ、と気づいたように、
「そういや、城を護る衛兵もほぼ見当たらなかったな。まさか奴らに……」
言いかけたところで、宰相が手で言葉を押し留めた。
「わかった。手持無沙汰ならおまえに任務をやろう。南西の避難所、そこにいる一般市民を先導し、避難させろ。混乱する人々を纏める、これは重大な役目だ」
穏やかな灰色の瞳がエルズを射た。
つまり、そのまま逃げろ、というわけか。
「…………様子は見てくる」
目を逸らしてそう告げると、念のためにと鍵を渡された。重みと突きつけられた現実に手が震え、ふらつきそうになる足を踏み締めながら、エルズは宰相室を出た。両脇に立つ兵士の内の一人が、付添いを申し出るも断り、それよりかは宰相と王の居場所へ続く階段を護ってほしいと伝えて、慎重に回廊を進み始めた。
誰もいない廊下は自分の足音ばかりが高く響き、それが怖ろしい。耳をすませるが、静寂が横たわり、それに安堵して、急ぎ南西に向かっていく。
途中足音と話し声が階下から聞こえたが……庭園で魔法を使い、激しく戦っていたのがシルウェリスとするならば、騎士団長ラスキ、ナスターシャたちに違いない。
例え合流したとして、自分に何ができるわけでもなく、また、死線に赴く彼女たちに合わせる顔もない。
後ろめたい気持ちを振り捨て、エルズはひたすら足を急がせた。
城内は静まり返っていて、物音ひとつしなかった。今はそれが、怖ろしい。
「兵士たちは皆やられたのか……」
ひっそりと呟きながら、使用人たちの通る裏通路を辿り、南西へ抜ける。会議で話したとおり、あちらは、王を倒すのみ、とばかりに脇目もふらずただ一直線に向かっているようだ。だとしたら、市民を逃がすのはたやすい。
そう考えながらも募りそうになる焦りを押さえ、足下に注意を払い、やっと、避難所の塔まで辿り着いた。
そして、塔を見てふと気づいた。
――――――明かりがついていない。
敵の襲撃があり、不安でたまらないだろうに……絶対に明かりは絶やすはずがない。
入口に立ち、耳をすませてみる。何も聞こえなかった。
ここにもまさか奴らが――――――?いや、違う。その気配も荒らされた様子もなかった。ではなぜ。冷たく汗ばむ手を動かし、鍵を取り出して、入り口に差し込んだ。が、回す手が震えて動かない。
知りたくもない、真実がここにある。中にはきっと――――――。
エルズは拳を血が滲むほど握り締め、鍵をカチャカチャいわせてしまうと、塔に背を向け歩き出した。
口の中がざらつく。王が滅べばすべて消える。その事実を噛み締めてしまうと、どうやら唇を切ったらしく、たらたらと流れ出した。
布で拭きながら、来た道を辿り、元いた談話室へと向かう。
ショセンオレハ、カンジンナトキニ、ナニモデキナイ。
その言葉がぐるぐるとまわってしがみつき、離れないでいる。談話室に戻り、ソファに腰掛けて香草の葉巻を取り出すと、手が震え、随分時間がかかって――――――やっと、火が点いた。