残滓
遅くなりすみません。あっさりですが戦闘シーンがあります。
遥か、塔の天頂から見た景色が正しいなら、宮殿は南西(右側)に建物が連なっており、正面向こう側には庭園、北北東(およそ左)側に演習場と馬場があったはずだと思い出していたシャロンは、アイリッツより、宮殿の正式な入り口以外、そして南西の建物にはすべて強固な結界が張られている、とのアイリッツの指摘で、守りが集中している南西側を中から目指すため、正面の浮彫が美しい扉に手をかけ、大きく開いた。
……そこは、豪華絢爛。玄関ホールの名にふさわしく、白く磨き抜かれた大理石の床、上から釣り下がるシャンデリアに、壺やタペストリなど高級で品のある調度品、幾つもの扉のある広々とした広間の端に椅子やテーブルなどが置かれ、さり気ない気遣いが施されていて、豪奢でありながら居心地良く整えられていた。
開けた瞬間、ざわざわ、と賑やかしい人々の声、靴の反響する音が聞こえた、と思ったのだが――――――それはなく、ただそのホールに剣と槍を構え、兜と鎧を装備した五、六人の騎士たちが佇み、待ちかまえていたようにこちらを見、
「我らは王国騎士団、この王宮と、ここに住まう人々を警護する者。いざ、潔く勝負、勝負!」
叫んで武器を構え、一斉に跳び掛かってきた。
シャロンは咄嗟に彼らを吹き飛ばし、壁に叩きつけて、
「怪我したくなければ、退け!邪魔をするなら容赦しない!」
と一喝した。
剣を抜きかけたままのアルフレッドの隣で、いや、通常なら大怪我は免れてないだろうよ、とぼそっとアイリッツが突っ込みを入れる。
「ふ、なんのこれしき。我らは不屈の精神で立ち上がるのみ!」
しかし、ズシャアと床に這いつくばったかと思いきや、騎士たちは身を起こし、再びこちらへと向かってくる。
「“我らに加護を!”」
雄叫びを上げながら向かってくる彼らに、仕方なくシャロンが風の刃を放つも、その風は鈍く鎧に散らされた。
「効かぬ!囲め、これ以上先へ進ませるな!」
騎士がそう言い、こちらを取り囲む動きを見せるその間に、アルが、そしてリッツが動き、鎧の繋ぎ目を狙って正確に剣を突き込んでいく。
魔法剣に、人の体はたやすい。ぐぅ、と呻き、斬り裂かれ転がる仲間を目にしても怖れずこちらに向かう騎士と打ち合い、返す剣で兜の下の首を狙い斬り込んでいく。
いつのまにかこれほどまでに、腕が上がっていたのか、と感慨深げに思うのと同時に、嫌な手応えだ、こればかりはどうしても慣れない、慣れたくもないが、という考えが浮かび過ぎ去っていく。
剣を突き立てられ止めを刺された騎士は、ザシュ、と妙な音を立て、同じように崩れ落ちていった。ガシャ、カランカラン、と鎧と兜が転がり、ふいっと姿を消した。後に残ったのは、
「灰、か……」
うず高く、ちょうど人の大きさ程度に積もった灰は、さらさらと崩れて白い床を汚した。
「思いの名残り、残滓、といったものか……な」
アイリッツが、降り積もった灰をそう評価した。
「とりあえず、先を急ごう」
シャロンがやりきれないような複雑な表情でそう告げ、アルフレッドが頓着なく頷いた。
右側の扉を抜けて、小ホール……美しきサロンを通り抜け、美しく磨き上げられた柱のある回廊へ辿りつく。ここでも幾人かの騎士が待ちかまえ、戦闘となった。
灰は、次々に白い大理石の床を、時には真紅の絨毯の上に積もり、シャロンたちの動きに従い、雪のように舞う。
幻想的だが、儚いその光景、降りしきる灰の中、シャロンは振るっていた剣を止め、一度ぎゅっと目を瞑って立ち止まり、やがてアルフレッドとアイリッツを振り返り、
「少し、疲れたかな……。そこの談話室で、少し休もう」
そう提案した。
手持ちの残りわずかな水と、鎮静の飴を口に放り込み、クッションの乗った椅子を借りて座る。アルフレドとアイリッツが思い思いに休息を取るのをちらりと見てから、ぼんやりと視線を壁に飾られた森と狩猟の風景画を眺めながら、この城にはかつてどんな人たちが住んでいたんだろうな、と呟いた。
その声音は思いがけず弱く聞こえ、シャロンは自分自身に苦笑する。
「はっきりそうとわかるほどの悪人相手なら、よかったんだろうが……こういうのはどうもすっきりしない」
「それぞれがそれぞれに、これが正しい、と確固たる信念で動いている。自分にとっての価値基準で」
アルフレッドが静かに言い、アイリッツがそれに、
「つまり、現実はそんな簡単じゃないってことだ。どんな理由にしろ、この世界を護る者と変革を望むオレらが対立するのはしょうがない。ここが悪の城で、対するは魔王、とかだったら楽だったかもしれないな」
笑ってフォローした。
「……それは、私もわかっているよ。ただ、そうだな、少し悲しくなっただけだ。ここは、幻想の中でしか生きられない城なんだな。だからこそ話し合いの余地もなく、戦闘は回避されない。仕方ないことだとは思う……」
首を振り、立ち上がった。
「悪かった。もう大丈夫だ。続けよう。こちらにも、揺るぎない目的がある。退くわけにはいかない」
「おうよ」
二人がしっかりと頷き、シャロンは、同じ志を持つ仲間がいてくれるというのは、それだけで力が湧いてくるものなんだな、と今さらながらに、その暖かさを噛み締めた。
よし、と再び扉を開けたシャロンは、
「シャロンは、優しいから。それが怖く感じるときが、たまにある……」
と、ぽそりと零したアルフレッドの独白を聞くことはなかった。
会議室にて、しばらく壁を震わせていた、騎士団長と魔術師団長の、話し合いは、長きに渡って決着がつかなかった。どちらも主張を譲らず、こうしているあいだにも、攻め込まれてるんだけど、とのナスターシャの冷静な突っ込みが入る。
それが功を奏したのか、これまで得てきた過去の研究の髄、魔術の軌跡がどれほど濃いものであったか、それにどれほどの情熱を傾けてきたかを熱弁していたシルウェリスが、言葉を切った。
「――――――わかりました」
不気味に静まり返った声で言い、
「私との戦闘の後に彼らを回復させる手段を、何がしか用意します。それで文句はないですね?」
生きてたらですけど、との内心を隠し、そう吐き捨てた。
「あくまで二番手は譲らないわけだな」
そうラスキが揶揄するも、
「別にいいじゃないですか。辛抱強さにかけては貴方の方が上でしょう?もしそちらを先にしたら待ちきれず横やりを入れてしまうかもしれませんよ?」
脅すようなその言葉に鼻を鳴らし、なるほどな、と低く返した。
「昔から年寄りに道の先を譲れというからな。それで構わん。言ったこと、忘れるなよ」
「若造が、生意気な口をきくな、とは言いませんよ。私はそれほどの年嵩でもありませんし」
嘘をつくな、引きこもりが長かったのと、魔宝石の影響で若く見えるだけで、純粋に生きた年数は立派な年寄りだろう、とジゼルを除くその場の誰もが思ったが、表立って指摘する者はいなかった。
「それで、行きましょう。私はそろそろ中庭に向かいます」
髪を払い、時間を無駄にしたと言わんばかりに足早に歩き、
「手出し、無用ですから」
と釘を差して部屋を出ていった。
「あの、シルウェリス様を一人で行かせたら駄目なのでは……」
もはや泣き出しそうなジゼルを宥めるように、ナスターシャが、
「いやさ、本人が手出しされるのめっちゃ嫌ってるから。ついでに言うなら、あいつ独特の戦い方するでしょ。あたし一緒だったら、まず間違いなく真っ先にシルウェリスの脳天ぶち抜く自信あるよ」
半眼でそう断言し、彼女を絶句させた。
少し段を上がり、行けども行けどもまっすぐで他に道のない回廊を進み……どこをどう抜けたのか、中庭へと通じるアーチが横に連なる通路へと到達した。
幅広のまっすぐな階段が、きちんと刈り込まれた庭木、手入れされ、模様のように配置された花壇のある庭園へ続き、その真ん前には噴水が輝きと澄んだ音を溢れさせ、置かれている。
誰かがいる。
シャロンたちが、なぜだかその光景に惹きつけられ、自然にそちらへ赴くと、そこには白いローブを着た男が立っていて、穏やかに微笑み、腕を胸元に当て、
「初めまして。私は、この城で魔術師団長を務めております、シルウェリス・トリチェリと申します。お見知りおきを」
とゆっくり正式なお辞儀を三人へと向けてきた。
それから、頭を上げ、
「まず、歓迎の意を。貴方がたとこうしてお目見えでき、本当に嬉しく存じます」
真紅の薔薇がほころぶような微笑みで、そうしっかりと宣言した。