常闇に、風を
ホラー表現があります。ご注意ください。あと、虫嫌いの人は描写があるので、すみません。
動きが速い。みるみるうちに黒い人形は近づき、シャロンは無意識のうちに風を動かした。
粉砕された黒影は、炭であろう物体と、その体に詰まった歯車、壊れた玩具の破片など、諸々のガラクタを撒き散らし、キラキラした硝子片のような輝きを伴って消えていく。
「……なんだろうな、これは」
「かつて人であった者、その名残りだな。ここはあまり長居しない方がいい。心に影を落とす」
アイリッツが神妙に言った。
「よくわからないが……早く出た方がいいんだな」
シャロンも同じように神妙に頷いた。
封じられた扉へ向けて歩みを寄せると、そこかしこから影が立ち上がり、こちらへと向かってくる。無声なのに、それは叫んでいるように感じられた。ここから、出せ、と――――――。
ふわり、と風の刃が幾筋も走り、それらを粉砕する。そしてすぐにまた結界を張った。
……よく見ると彼らの動きは一定ではなく、こちらに来ずうろつくもの、走り回ってはガン、ガンッと壁に激突しているものなど、さまざまなようだ。
シャロンたちは急ぎ扉に駆け寄り、調べてみた。
「……駄目だな、これは」
剣を抜きかけたアルフレッドの横ですぐにアイリッツが舌打ちする。
「強固に封じられてる。魔力の気配もするし、これは破れない。開かない前提でここに在るものだ」
「そうか。じゃあ、どうする?」
「ひとまず出口を探すしかないが……」
アイリッツは、暗いホールと、それをぐるりと取り囲むような崩れかかった階段と通路を見上げた。
「慎重に、かつ速やかに、だ。ここで時間はかけられない」
ちょっと待ってろ、と言ってカバンを探り、鈍く金色に輝く香炉を取り出した。
「それは?」
「“清廉の香炉”。しかし性能はさほどよくない。まったく、この辺でだんだんエドウィンの想像力が尽きて来たんじゃないか?よく知らない物は、出しようがないからな」
「……はあ」
出した瞬間、周辺の薄紫色の闇が一掃され、シャロンは結界を解いた。
「これで楽になるだろ。どこまで持つかわからないが」
そうだな、と頷いて、崩れかけた階段を、ひょいひょいと飛び越えながら、三人で上がる。
並んだ扉を開けると再び薄汚れた通路があり、薄ぼんやりと明かりが灯されていた。そして、その通路にもまたずらりと扉が並んでいる。
扉を開けると、そこにはもう使われなくなってどれぐらい経つのか、古い簡易寝台が多く設置され、棚などとともにひっそりと佇んでいる。向かいの部屋も同じような造りになっていた。
壁や部屋に落書きがひどい。ほとんどが見るも堪えない悪態ばかりで、書き殴りの文字が大きく浮かんでいる。
寝室、寝室、寝室。これは、かつて診療所だったのかも知れない。しかし、どこの部屋にも窓はなく、息苦しいような空間が広がっていた。
「………ッ」
何回か開けたところで、シャロンは悲鳴を堪えた。ベッドに、黒い人形が寝ている。
アルやリッツと見交わし……入るのか、入るんだな、とげんなりして、中へ侵入した。
用心しつつ探ったが、ベッドの人形は起きたりせず、じっとそこに横たわり続けていた。
談話室。軽く運動をするための部屋。治療室。黒い影はあちこちにいて、項垂れたように動かないか、時折発作でも起きたようにこちらへ突撃し、粉砕されていく。
深入りすればするほど心が折れそうになるため、あまり考えないようにしながらぐるりと探索してまわって上階段を発見した。
上がるとまた通路で、そこにも薄紫の霧が色濃く取り巻いていた。
「濃くなってるな。まだぎりぎり行けるか……」
アイリッツが香炉の状態を確かめながら、言う。
その階層は、部屋の一つ一つが手狭になり、個室に分かれていた。研究室のような、机と、薬瓶の並んだ棚の置かれた部屋もあった。
見つけ、さらに上へ。そして、とうとうそこで香炉が壊れた。薄暗い紫の闇は、濃くなっている。
ある程度予想していたのでシャロンは風の結界を張り直し、
「シャロン、大丈夫?」
「ああ、これくらいなら……ッうん、もうちょっと離れて頼むから」
アルフレッドに額に手をかざされ顔を赤くして離れていく。
いや仲がいいのはいいんだけどさ、とそれを生温かい眼差しで見つめつつアイリッツは、
「あーオレちょっと一人でその辺り散策してきてもいいかな?」
そう言って、
「な、何言ってるんだ!こんなとき単独行動は危険過ぎる」
シャロンに引き止められた。
本気で言ってるのか、二人きりにされたくないのかどちらなんだろうな、とアイリッツが余所事を考えながら、また再び部屋を一つ一つ確認していく。
部屋数が減り、それぞれが化粧棚や鏡もつき、それぞれが豪華になっている。ここは、
「おそらく、貴族用だな」
アイリッツが一人ごちた。
「……誂えや装飾からして、そうだろうな」
シャロンがそれに返し、隣のアルフレッドが頷いた。
ここには、黒い人形はほとんど姿を見せなかった。在っても、何かに怯えるかのようにベッドにくるまっているか、虚ろに天井を見つめているかのどちらかでしかない。
さらに上に行けば、また霧が濃くなった。結界を通してでも、息苦しさが感じられ、階段を探し当ててさらに上へ登る。
今度の階段は、狭く長かった。搭の上部だろうか。
「オレの結界が役に立たないな。この霧には悪意を感じる」
風の結界と、布で鼻と口を覆いながら、もはや視界を覆う霧を掻き分け、狭い場所のいくつかの扉を開け、進んでいく。
どんどん紫の闇は濃くなり、かろうじて前へ進める状態にあった。奥の奥の部屋の扉にやっと手をかけ、開くと、ぶわっと一気に毒の霧が押し寄せてくる。
そこは、貴賓室のように設えられた、部屋だった。狭い中にも、化粧棚や飾り棚、部屋の主を飽きさせない工夫が凝らされている。
整えられたベルベットの寝台には、窓があって、そこで黒髪の美しい女性が身を起こし、外を眺めていた。
――――――ねえ、私、いつまでここにいればいいのかしら。こんな病にかかったからって……好きにして何が悪いの?……ねえ、外へ出てもいいでしょう?
話す度に、濃い紫の闇が、その唇や身体から漏れ、床へと落ちていく。
三人は無言で剣を構えた。あの窓は嵌め殺しだが、おそらくこの搭で唯一。そこへは、彼女を倒さなくてはならない。
「……名は」
シャロンがそう問いかけたのは、おそらく彼女の礼儀正しさだっただろう。
女がゆっくりとこちらを振り向いた。眼も漆黒に濡れている。
「――――――ドロテア」
名乗った瞬間、そこから闇が溢れだし、女性の体はざわざわした小さな黒い粒の蟲となってゆっくりと解け、部屋全体を覆うように広がっていった。
「アル、リッツ、近くに。一気に片をつける」
シャロンは低い声で彼らを呼ぶ。ざわざわざわ、と蟲は威嚇するように蠢いている。
……一つ一つなら、さほど強さはない。
彼女は瞼を閉じ、一度限界まで風をまわりに凝縮させ、臨界まで到達したそのタイミングで解放した。
バシュバシュバシュッ
風の結界越しに蟲やその他諸々が潰され、木端微塵になる破壊音が響き、シャロンは見計らって結界も解除する。
「うん、まあ、らしいやり方じゃね?」
蟲とともに崩壊した寝具や家具、高級そうな置物を眺めながら、アイリッツが賞賛とも呆れともつかない言い方をした。
「こんなところに長く留められてはたまらない。行こう」
シャロンは笑顔を見せ、アルフレッドの手を掴み、そのまま勢いよく窓へ突撃した。
バリンッと硝子と窓枠を壊し、そして、外へ飛び出した。
外は青空が広がり、城下の町が遠くに、城とその美しい庭園が、ほぼ全貌を現していた。高い塔の最上階の窓から、足元の花畑へ。シャロンたちは急降下していく。
「派手だな~」
アイリッツはその様子を塔の上から見送った。
今さら結界で取り繕っても仕方ない。もうすでに相手はこちら側の侵入には気づいている。
シャロンが風を編みたわませ、クッションにして着地するのを確認した後。同様に飛び降りることもできたものの、同じことをするのもあれなので、わざわざ腰から鉤つきロープを取り出し、破壊された窓の縁へと引っかけて、そのまま搭の壁伝いにスルスルと下りていった。
トン、と下に降りたところで、
「……アル、大丈夫か」
いきなり道連れにされたアルフレッドを気づかったが、
「ああ。風を使うのは予想できたから」
と平然と返された。
ああそうかよ、とやさぐれそうな気持ちを抑えつつ、
「シャロン、あんま飛ばし過ぎんなよ」
と助言するだけに留めておいた。
黒い人形……その身に詰まるのは、先の無い未来、絶望、かつて夢であったものの断片。
ドロテア……王族に連なる者だったが、病のため搭の中へ。
搭は伝染病患者を隔離するため造られたが、命がけで脱走する者も現れ、次第に彼らを確実に閉じ込める役割を果たすようになった。
この搭だけに限らず、隔離施設から脱走した者は残念なことに、その身から病を撒き散らし、それは怖ろしい速度で国中に広まることとなった。
この病は治癒魔法がまったく効かないことから、古代の呪いの一種ではないかとも噂されていた。