手がかりを求めて
いったい誰が、何の目的でこれを。
シャロンは、丁寧に紙をなぞったり引っくり返したりしてみたが、なんとなく、女性の書いたものらしい、ということしかわからなかった。
……仄かに雨の後の草原のような爽やかな香りが漂ってくる。
「で、坊主、これは誰から貰ったんだ?」
「坊主ぅう?おいらにはヨークって名前があるんだぞ!」
拳を振り上げバシバシと胴辺りを叩く少年をアイリッツは受け流しつつ、
「ああ、わかったわかった。で、これを渡せって頼んだのは?」
「そんなの秘密に決まってるだろ。約束したんだ。話すとごほうびなしだかんな!ぜってー言わねえ!」
にかっと大口を開けて笑いながらヨークが言う。
「ごほうびね……何が貰えるんだよ?」
「ふふふ……聞いておどろくなよ!弓と矢、しかもアーシャねえさんの手作り!あ、しまった」
そこまで少年の表情が曇り、アイリッツを睨みつける。
「ふん!もうゆーどーには乗らないからな!とにかく、渡したぞ!」
そう言い捨て、引き留める間もなく、身を翻し、木々のあいだを縫うように走り去っていった。
「アーシャねえさん、か。どう思う?」
「罠もしくは攪乱の可能性がある」
アルフレッドがあまりに率直に答えたので、苦笑しつつ、
「うん、そうだな……。でも、とりあえずは。このメモも手がかりの一つにして、もう一度町を散策してみないか?城の情報も得たい」
「あまり時間はかけない方がいいだろうな。変な虫もいるし」
先ほどからアイリッツは手でブン、ブンと飛んでくる小さな羽虫を払い落としている。
「どうやら体液の匂いで仲間を呼び寄せてるらしいな。増えてきた」
「よし、城下へ戻ろう」
早足で歩きながら的確に飛びまわる毒虫を斬って落とすアルフレッド。アイリッツもひょいと虫を掴みまじまじと見つめ感心しながら、
「おそらく魔法生物だと思うが……こんな小さいのに、よくできてるな。アル、体液も毒だぞどうするんだよ、それ」
アルフレッドは無言で布きれを取り出し、霊薬をほんの少し滲みこませて拭い取った。
シャロンも剣を抜き風で数匹を弾きながら、
「刺されるとどうなるんだ」
「三日三晩高熱にうなされ、苦しみのたうちまわって死ぬ。まあ、霊薬があれば一発で治るから気にすんな」
からからとアイリッツは笑い、素手で潰した毒虫を摘まみ上げた。
「アイリッツ……そういえば、おまえ、大丈夫か?」
眉根を寄せたシャロンがそう尋ねた。
「ああ、結界を薄く張ってるし、刺されても効かない」
「うん、まあ、それもそうなんだが、ここに来てから、いつもの溢れる元気というか、奔放さがないようだから」
不意打ちだったのだろう。咄嗟の返事に窮し、アイリッツが数秒止まる。続いて、ははっと笑い、
「そう見えるかー。なんていうか、オレも緊張してるんだよ。敵の本拠地だから」
「おまえがか?」
アルフレッドが訝しげに問い返すと、
「ひっでー。オレだって緊張する時ぐらいあるさ。特にここじゃあ、何が起きるかわからない」
と真顔になり、
「ここには、この、全世界の主がいるからな」
遠ざかりつつある白い壁を振り返った。
「ま、でも、オレらしくないか。うーんやっぱり自然体が一番だな!」
そして大きく伸びをして、いつものくったくのない笑顔を見せた。
城のある丘を下り、林を抜けると、すぐに城下町が見えてくる。城へと伸ばされた白の敷石の通路が自然と街中へ解け込んでいく。
そういえば、屋敷らしきものはちらほらあるが、塀に覆われていない。貴族はいないか、いても平民との境界はないらしい。
シャロンはぼんやりとそんなことを思った。
王朝が長く続けば続くほど、貴賤のへだたりも顕著になっていくことや、城下のまわりの様子を考えると、この状況は、おそらく流行り病から復興後、七、八年といったところか。
城下は、相変わず賑わっている。白や淡いベージュの石造りの建物は暖かく、住み心地が良さそうに見えた。
「ここも同じか……」
アルフレッドの呟きを、近くにいたシャロンが拾う。
「アル……?何か気になることでもあったのか?」
「いや……匂いがあまりない。こういった町は、本来ひどく雑多な匂いで包まれているはず」
ヒクヒクと鼻をうごめかせ、やはり首を振った。
「そういえば、そうだな」
シャロンも同じように嗅いでみた。食べ物の焼ける美味しそうな匂いや、花のような甘い香りは漂ってくるものの、人混みの中にいるような臭気はまったくなく、秋のよく晴れた朝のようにどこか清涼な気配が漂っている。
ふとシャロンは、街中にある、警備兵の在駐所を見やった。
……この町で、あれは必要な物だろうか。もし、ここに争いがない、というならば。
アルフレッドも気づいたらしく、こちらに頷いて見せた。
「……この、面倒くさがりが」
ついつい心の声を口に出してしまったシャロンに、どうした?とアイリッツが不思議そうに尋ねてくる。
「いや、こっちの話だ。リッツ、あれは」
仕方なくシャロンは、自分で在駐所を示した。
「お、よく気づいたな。オレも気になって見てたけど、知る限りじゃあそこから出動してはいないな。些細な諍いすらも町では起こっていない」
にやっと笑う。
「じゃあ……」
「でも、あれはおそらく違うな。さて、ここで問題。あれがこの町にどうして必要だと思う?」
「え、いきなりか。別に兵たちがいる必要はない、んだよな?」
シャロンはその場所をじっと観察してみた。きっちり軍服に身を固めた兵士は、歩く人々に気さくに笑いかけ、挨拶をしたりしている。
「ひょっとして、飾り?もしくは外部者への牽制か」
「おお、正解。本来の機能は果たさなくても、景観とか、別の意味で必要ってことだな」
ちなみに、アルはつまらなそうにだが、一応聞いている。ややあって周囲を確認したかと思うと、
「シャロン、風を」
「またか……しつこい毒虫だ」
その指した方向に風を飛ばすと、パシパシパシッと小さな音とともに、遠くで――――おそらく虫と思うが――――小さい粒が落ちた。
そんなことをしつつもさらに歩き、町を散策しながら、少しずつ中心地を離れると、家の間隔が広がり、畑や空き地が増えていく。
時折パシパシと飛んでいる羽虫を落していたアイリッツが、
「シャロン、10ヒュット四方に結界、対象:小さい虫」
「なんだ急に」
アイリッツの言葉と同時に風の結界を張り、周辺を飛ぶ虫の十数匹からなる群れを落としていく。
「シャロン、こっちも。右前方と左側に数匹ずついる」
再び風。
「あああ、うっとうしいな、もう!」
とうとうシャロンが叫んだ。アイリッツが笑う。
「仕方ないだろ」
「少なくとも、全部で千匹は越えているはず。いくつも群れがいた」
アルフレッドの宣言に、中心街の方を見やり、それから周囲も確認してげんなりとした。
「……わかった。また教えて」
歩いていると次第に、町の外壁が少しずつ見え始めてくる。
「町の端か」
「ぐるりとまわってみようぜ」
快活にアイリッツが言い、アルフレッドがああ、と頷いた。
対照的な二人だなぁ、と呑気な感想を抱きながら、ずっと壁に沿っただいたいの方角を歩いていくと、やがて、鉄格子がそびえるのに出くわした。
「墓か……」
「墓地だな」
「……」
ほぼ同時に二人が言い、アルフレッドが何か言いたげにこちらを見た。
「いや、言いたいことは口に出してくれ。いいから」
シャロンが呆れるが、なんでもない、とアルフレッドは返事をする。
「おまえら呑気だなあ。あ、あんなとこに看板がある。“進入禁止”か」
ふーん、とアイリッツが鎖と頑丈な錠のついた門の前に歩み寄った。
いつのまにか日は傾き、夕暮れに差しかかっている。……しかしどうして、いつも墓の前で黄昏時になってしまうのか。
「アイリッツ……おそらく、ここもこの町には必要ないものだと思う」
「そうだな……」
薄暗くなりつつある中シャロンは、文字の消えかかる墓にじっと目を凝らした。いくつかは読み取れる、ような、、、
“心優しき剣士、ここに眠る。『シャーロット・クラレンス・リーヴァイス』”
ぞくり、と背筋が鳥肌だった。冷たいものが走り、慌てて墓を見直す。
……しかしどうしてか、再び見たそこは、灰色くのっぺりとして、なんの文字も読み取ることはできなかった。