シグナル
見ることは聞くより百倍勝る、との言葉どおりだった。
ターミルの竜の正体を知ってしまったシャロンたちは、そのまま近くの料亭兼酒場でひと休みしながらこれからどうするかを話し合っていた。
「竜が出た時のまわりの人の様子を観察してみたんですが……動揺せずにいた人は、現地人がほとんどでした。おそらく、ロープを引っ張っていたのは同じターミルの地元民ですね」
エドウィンの含みのある言葉。それに対し、水は馬鹿みたいに高いので酒を飲みながらシャロンが疑問を呟く。
「しかし、どうしてわざわざあんなことをしたんだろう」
「それは決まっているでしょう。客寄せですよ。この町は元々商人や一部の遊牧民が炭坑場で働く人たち相手に売り買いを始めたことが発端だったんです。長いこと栄えていたんですが、一年前に採掘していた資源が尽き、今必死でなんとかしようとしている最中ってわけです」
「……そういうことか」
「私も、その話を知っていたのでひょっとしたらとは思っていたんですよ。まあその考えはこのとおり実証されましたが」
低い声ではははっと笑い、ぐいっと酒を飲み干すエドウィン。
料亭で食事をしている人々は、竜の話を興奮しながらしゃべっていて、あれは相当でかいぞ、家五つ分はあるんじゃないか、とか、立派な角と牙が生えていたな、とか、だんだん話が大げさになってるような気がしないでもない。
シャロンは自分たちとまわりの温度差に脱力しつつ酒を追加注文し、気力の失せた彼女の代わりに、
「……これからどうする……?」
今まで羊肉の炒め物を頬張っていたアルフレッドがそれを飲みくだしてからエドウィンに尋ねた。
「ひとまず隣の村へ寄ってみましょう。あそこには古くからの竜の伝承が伝わっていると、」
「お前いい加減にしろ!」
突然後ろから怒声が聞こえ、同時にバキィッと殴る音が響く。
慌てて振り返れば、遠巻きにしている人たちの中心に顔を真っ赤にして怒っている酒場の主人と、倒れ伏した青年の姿があった。焦茶の髪で、なんだか薄汚れた服のその青年はふらふらと起き上がり、
「……本当なんだ。竜の呪いがもうすぐ――――――」
殴られた頬を歪ませ、不明瞭な声で呟いたのを、まだ言うか、と主人が拳を振り上げたので、慌ててよろよろと店を出ていく。
どうかしたんですか、と近くの人が主人におそるおそる尋ねている。
「ああ、あいつは隣の村、ストラウムの住民でね。こっちを妬んで二三日前から嫌がらせをしてくるんだ。竜が呪いをかけるだの、この町はもうすぐ滅びるから逃げた方がいいだの……。まったく、頭がおかしいとしかいいようがないよ」
「ふうん……どこでもそんな奴はいるんだな」
と視線を戻すと、エドウィンが好奇心に目を輝かせながら、店の入り口を見つめている。
……嫌な予感がする。というかこれはほぼ確定だろう。
案の定彼は、さっきの人を追ってみましょう、と、こちらに提案という名の指示をしてきた。
例の青年は、年は十五、六歳ぐらいだろうか。どうして、どうして誰もわかってくれない、と裏道をぶつぶつ言いながら千鳥足で歩いており、普段ならあまり近寄りたくない状態だったが、エドウィンは迷わず声をかける。
「ちょっとすみません。お話を伺いたいのですが」
その言葉に振り返った彼の、頬の痩けた顔と充血した目には、例えるなら借金まみれで明日にでも自殺しかねない人のような絶望と諦めの色があった。
「ああ、いいですよ。いくらでも笑うがいいんだ。……僕はただ、一人でも犠牲者を減らしたいだけ、なのに。まあ、たぶん手遅れ」
引きつったような声で笑い出す。これはまずい。
「おい、アル!さっき持たせた酒を出せ」
「……わかった」
店から出るときに回収したウォッカと水を混ぜ、ふらりと倒れかかった青年に無理やり飲ませ、エドウィンが上着を差し出したのでそれを被せて道端で休ませる。
と、次第にその眼差しに理性が戻ってきた。
「ああ、すみません、見苦しいところを」
「いや、いいんだが……大丈夫か?」
あまりよくない顔色を窺い、脈を測る。
「……手馴れていますね」
感心したようなエドウィンの台詞に、
「ああ、なぜかこんな状況に出くわすことが多いから」
シャロンは苦笑して見せた。
ひとまず落ち着ける場所まで移動しようと小道を抜けると、そこは馬場と厩舎へと繋がっていた。遠くの窓から何頭もの馬が鼻を突き出し、こちらを見つめている。
低木があったのでその下の石にそれぞれ腰を下ろし、青年が回復するのを待つ。
……やがて、幾分か顔色のよくなった彼は、ぽつりぽつりと事情を話し出した。
「僕の名前はヨアキム。この町の隣にある、ストラウムに住んでいます」
「……変わった名前の村だな」
シャロンがそう感想を洩らすと、
「そうなんですよ。本当はこの町より古くからあって由緒正しい村なのに、後からできたこのターミルがどんどん拡大していって、今じゃ旅人のほとんどがこちらに訪れるようになり、僕らの村は徐々に人が少なくなっていって……」
「あの、今は竜の呪いの話を……」
続きそうなヨアキムの愚痴に、エドウィンが口を挟む。
「ああ、そうでした。少し前から、僕らの村に竜の呪いが振りかかり、病気が流行っているんです……」
シャロンがその声音の深刻さに思わず、いったいどんな、と尋ねると青年は手入れの悪い髪を振り、頭を抱える。
「体がだるくなり、微熱の症状を訴えている者がもう、村のほとんどになります。このままでは村は全滅だ……」
ただの風邪じゃないか?
そう思ったシャロンだが、さすがに言える雰囲気でもなさそうなので黙っていると、エドウィンは真剣な表情でヨアキムを見つめている。
「“始めは、誰もがただの風邪だと思った”か。ヨアキムさん、一度村へ連れて行ってください。もしその症状が文献のものと同じなら、本当に村が全滅しかねない。……と、いうわけで、すぐにストラウムに向かいますが、いいですよね?」
と、有無を言わせない強い調子で確認してきた。
「わかった。……アル、ひとまず宿へ戻ろう」
いろいろ気にはなったが、ずっと無言だったアルフレッドを促して立ち上がると、彼はこっちの方がいいよ、と宿へ続く近道を教えてくれた。
羊肉の炒め物→ローズマリーとかその辺の香草の風味がかなり強いジンギスカンを想像してください。