諸々の仕組み
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宿はこの町に一つしかなく、暗がりの中慌ててそこに入って一泊した早朝。
幾人かの話し声が響く階下の食堂へ下りると、石でできたテーブルのうちの一つからおはようございますとエドウィンが声をかけてきた。
シャロンはああ、と生返事を返しながらすでに席にいたアルフレッドの横へ座る。
「昨日はお疲れ様でした」
「……どうも。それで依頼は確か、この町までだったな」
「そのことなんですが」
笑顔だが有無を言わせない強い口調で、
「もう少し、仕事をしてくれませんか?まだ、私の調査は終わっていないんです。報酬を倍額払いますから」
そうエドウィンが告げる。
「え」
倍額という言葉に少なからず心が揺れたが、気になるのは――――――
「どうしてそんなことを。報酬を倍にしてまで護衛を頼む理由はなんだ。まさかまたあの祭壇へ行くのか?竜が本当にいると信じているわけじゃないだろう?」
彼はコン、コンと頭を指で叩きながら、
「勘が訴えてくるんですよ。何かある、とね。もう一度探ってみたいんです、ここら一帯を。……それには護衛が欲しい。一週間だけでいいですから」
「……どうする?アルフレッド」
思わず隣に話を振る。正直なところ、この学者に振り回されるのはもう勘弁したい。アルフレッドも同じ気持ちのはず。
「引き受ける。ただし、一週間以上は無理だ」
しかし、予想に反してアルフレッドは強い口調で断言した。驚くシャロンを尻目に、二人の話は進んでいく。
「いや~助かりました。これ書面にした方がいいですか?」
「……いい。条件も同じ。ただ、こちらが危険だと判断したら止める。後はそっちが余計なことをしなければ」
「あ~そうですね、大丈夫じゃないですか。やはり護衛をしてもらうのに嫌な気分にはなって欲しくないですし」
「……」
しばらくエドウィンを睨んでいたアルフレッドは、やがてふいっと目線をこちらへ向けた。
「シャロンも、それでいい?」
「いや、もう決定だろ、それ……」
勝手に話を進めて、と心中ではあまり穏やかにはいられなかったが、よくよく考えてみれば自分も似たようなことをアルフレッドにしてきている。
……いやいや、アルだって嫌なら言ってくれれば済む話じゃないか。
シャロンがあれこれ思い悩んでいるあいだにも、エドウィンの言葉は止まらない。
「しかし、ここまで魔物が少なかったのは意外でしたね」
「なぜ?この辺一帯は気をつけなければいけないのは火蟻と大ワシの二種類で、それもこの季節はあまり脅威ではないと聞いたが」
ひとまず自分の悩みは保留にして、彼に問いかける。
「いえ魔物発生の条件というのは、ですね。あなた方は、今まで魔物が数多く生息する地域を訪れたことがありますか?」
シャロンとアルフレッドが頷くのを確認し、考古学者は眼鏡をひょいと鼻にかけると手帳をめくった。
「魔物が多く出現する場所には、ある共通点があります。例えばミストランテの遺跡、荒れ地の祭壇、キリジュ山の大穴。これらはすべて太古の時代、すでに滅びた魔法文明の名残。つまり魔物の発生の原因は」
そういうことか、とシャロンは勢いよく立ち上がる。そして、食堂に集まり始めた人の視線が一斉に自分に集まったことに気づき、恥ずかしそうにゆっくりと座った。
「つまり魔物の出現率は、魔法文明の跡地に近づけば近づくほど上がると。そういうわけなんだな?」
「ええ、そのとおりです。それぞれの場所から強弱の差はあれど、ある種のエネルギーが放たれ、その影響を受けて獣が突然変異を起こし、魔物に変わる」
「……?」
アルフレッドは首を傾げている。魔法文明のことは詳しく歴史を学ばない限り一般には縁のないものだから、ひょっとしたら知らないのかもしれない。
テーブルの上にはいつのまにか運ばれてきた酸っぱいミルク……ではなくて馬乳酒が置かれている。
この地方では馬や羊は財産として誰もが持っていて、余すところなく有効活用している、と前に天幕の中で聞いたことを思い出した。
エドウィンの説明は、魔物が少なかったのはこの町に現れたという竜の噂と何か関係があるのでは、という言葉で締めくくられた。
それに対する返答は避け、シャロンは朝食の注文とそのついでに諸々の情報を手に入れてくる、と席を立ち、カウンターへ向かう。その姿を眼鏡と手帳をしまいながら見送ったエドウィンがアルフレッドににっこりと笑いかける。
「可愛らしいですよね、彼女」
「……」
鋭い視線をエドウィンに向けたアルフレッドは答えない。
「しかし、あなた方の関係もよくわかりませんね……恋人でもないのに、どうしてそこまでするんですか」
考古学者として研究をしながら、時に商人として渡り合い、世の中の辛酸を舐めてきた男は首を振った。
「これはお節介の部類ですが……シャロンさんにはそれとなく、伝えておいた方がいいですよ。家族名は名乗るべきじゃないって。後は仕草が微妙に丁寧になるところも」
アルフレッドが短く息を吐いた。
「リーヴァイス家は中央ではそこそこ有名です。私は言いふらしたりしませんが、そのうち見抜かれて足元をすくわれる。貴族の息女がこんなところで冒険者をやっているなんて……どんな事情であれ格好のネタ」
目を閉じて返事をしないアルフレッドに、エドウィンも口を閉ざす。
……わざわざこうやって助言をしたのは、純粋な好奇心からだった。
このまま行けばそう遠くないうちに彼女は穴に嵌る。自分が捨てたはずの影に。
でもそれじゃあ面白くない。彼らがどうなるのか、どのように旅をしてどんな風に変わるのかを見てみたい、とエドウィンは遺跡の奥深くから掘り出し物を見つけた時のようにひっそりと笑った。