待ちくたびれた少女の影
戦闘シーン、若干の残酷表現、ホラー要素あり。
ドスドスドスドスッ
ソファーに次々刺さるナイフの音を聞きながら床を転がり、渦をなすティーカップにクッション、降りかかる椅子や鍋などを避けて踞る少女に対峙した。
ポメル、パミュル、おねがい!
その叫ぶと同時にドスンボスンとクマのぬいぐるみと、棚の中に仕舞われていたウサギのぬいぐるみが、飛びかかってきた。
「くっ」
切り裂いたものの、中の綿が飛び散るだけで、さほどダメージを与えたようには見えない。
ちら、とアルがこちらを見た。どことなく懸念の色が濃いその表情に頷くと、剣を構え直す。
――――――やはり元凶をなんとかしなければ。
アルが大きな二つのぬいぐるみを翻弄し、引きつけているあいだ、栗色の髪の少女を中心に巻き起こる風と凶器の渦、その品々を床を縫うように腰を低くして躱し、逆風を防ぐため身の回りに空気の層を纏いつかせつつ、縮こまりぶるぶる震える少女へ迫る。
ずっと待っていた少女か……。
当てる瞬間剣を返し、昏倒させるためその柄でその首筋を狙う。……この世界はそんなに甘くないと知っているのに、と自嘲しながら。
柄は狙い違わず、少女の後頭部に直撃し、ぐらりと揺れて意識を失うかに見えた少女の、その首からピシリ、と皹が入った。
え、と思う間もなく。割れ目から黒く長い手が這い出て、少女の皮をベリベリと脱ぎ捨てた。
『ねえ――――――あ・そ・び・ま・しょ』
鼓膜を通さず、直接頭に滲み込んでくるようなその言葉とともに、ズルリ、と、闇を滴らせて現れたのは、黒くどろりとした少女の影----赤く輪のような一対の眼が、その体に浮かび上がった。
「あぐっ……」
突然体に合わぬ巨大な手が伸び、シャロンを離さない、とばかりに強く強く羽交い絞めにし、ベキ、ボキ、という嫌な音が部屋に響き渡る。
『あれ……?おねえちゃんしんじゃった?』
妙な方向に折れ曲がったシャロンの体をバラバラになったぬいぐるみの真ん中にドサリと落とした影は、きょとん、と首を傾げ――――――悪態とともに斬りつけてきたアルフレッドを、ソファに刺さっていたナイフ、棚に置かれていた燭台、皿などを盾に振り払う。
体に巡る激情を堪えながら、それでもアルフレッドは、シャロンが床に投げ出された時には、元の体に戻っていたのを見、冷静になれ、と自分に言い聞かす。
腕輪の効果は正常に働いている。今は意識を失っているだけだ。
だが、少女の影は、シャロンが本当に死んでいるのか確かめるため彼女を覗き込み、その手で持ち上げようとしている。
「触るな」
言葉と同時にその手を切り裂いた。しかし少女は斬り落された腕を二三回降ってにゅっと手を復活させ、渋々こちらへ向き直る。
どうやらこっちはお気に召さないのか、先ほどのようにいきなり抱き締める真似はせず、赤い眼でじっとこちらの様子を窺っている。
『――――――あなた、きらい』
影がそう言うなり、貴族が好みそうな、レースのついたドレスのビスクドールがガタガタと飾り棚を開けて飛び出し、ゆらゆらと浮かびあがり、ギョロリとこちらに目を剥いた。その小さな手には五指の代わりに鋭い刃が生え、キラキラと光を反射させている。
『ねえ、おきて。もっともっと、あそんでよ』
ゆさゆさと揺り起こされたシャロンが最初に見たものは、黒い体に光る二つの赤い輪のような瞳。
「………!!」
起き上がろうとするその体に、黒い少女がズシリ、とのしかかる。
『おんぶしてー!!』
なんとか振り払おうとするが、首にしがみつかれ、息ができない。
「シャロンッそいつを」
アルフレッドは、人形をその剣で斬り捨てるが、その刃を弾きすぐに起き上がるそれに苦戦しているらしい。
『だっこしてーだっこー』
きゃいきゃいはしゃぎながら正面にまわり、今度はめいっぱいこちらをその手で抱き締めてきた。ミシミシと体が音を立て、意識がかすむ。即座に髪を掴まれぐらぐらと揺すられた。
『だめだよーまだしんじゃだめ。もっとあそぶのー』
「ッそったれ!!」
剣を握り風を叩きつける。くるくると飛ばされながら、少女の形をした影は嬉しそうに笑う。
『ねえねえ、なにしてあそぶ?』
「こっちはお断りだ……!!」
叩きつけるように叫ぶも、少女は聞いちゃいなかった。
『じゃあねじゃあねー、かくれんぼ!』
ふっ、と影の少女が消えた。なんとか人形を破壊したアルが、警戒しながら一度傍に来る。
「あいつは……」
探るように見まわすアルの、その足元を黒い手が掴む。
「アル……!!」
風を加減してぶつければ、弾かれたように床から少女が飛び出し、見つかっちゃった、とでも言うように体を跳ねさせる。
『じゃあ、つぎは……!ふやしおにー!』
今度はその黒い体がブレたかと思うと、同じような黒い姿が幾重にも横へ広がって、こちらを囲むように円を描いた。
『ほんもの、どれでっしょー』
ふりふり、と腰を揺らしながらくるくるとまわり踊る八つの影。アルに合図して、そのすべてを打ち砕こうと、手近な一体に狙いを定めれば、それはべちょり、と剣ごと腕にへばりつき、自由を奪い取る。
『ぶっぶー、ざんねーん。はっずれー』
本物の影が楽しそうにきゃっきゃと手を叩くのとほぼ同時にアルが肉迫し、その体を裂いた。
『……あれ?』
例え手が塞がれたとしても、風が起こせないわけではない。シャロンはありったけの力を籠め、小さく硝子玉ぐらいに縮めた風の塊を、手早く少女の元へと送る。
アルフレッドが影から飛び退いてから、一瞬のち。
パン!という派手な音とともに解放された風は、少女の影を部屋中へと散り散りに弾き飛ばした。
つ、疲れた……。
それと同時に偽物の影も消え、シャロンは膝をつき、軋みをあげそうな体を休ませながら、部屋の端々に千々《ちぢ》に分かれてもなお、消えない黒い欠片を眺めていると、それは時間をかけながらゆっくりと集まり、次第に元の少女の形を形成し始めていた。
何ごとかを、伝えようとしているような気がした。
アルフレッドがとどめを刺そうとしたので、手を振って止め、その小さな体を抱き上げて耳を近づける。
『たのしかっ、た……。またあそぼーね……』
そのまま少女の影は、腕の中でさらさらと砂になって崩れ、光の粒のようなものが残ったものの、それもすぐ溶けて消えてしまった。
どこへぶつけたらいいかもわからない苛立ちと、やるせない気持ちを抱えながら。この地下の部屋が消えていかないことにかすかな疑問を感じつつ、地上へ繋がる階段を、アルと二人で上がっていく。
扉を開けると眩しかったのは一瞬で、すぐに目が慣れた。
「…………」
言葉が、出て来ない。
規模が大きく、そこそこのにぎわいも見せていた町、ディストラストは、今や風化して何年経っているかもわからない、ただの廃墟と化していた。
地下の少女……長い長い時が経つうちに、記憶されていたはずの楽しかった思い出も、何が起きてどうしてここにいるのか、どうして待たなければいけないのか、といった理由も薄れ、少しの悪意と孤独感だけが残されてしまった。彼女は、めいっぱい遊んでくれる相手を探している。