祈りの時間
なるべくならもう少し乾いていて、眺めのいい場所で休もうと、またしばらく歩いて日当たりのよいところに陣取った。
荷物を探り、そこらの枝と石を集め、小さな鍋をかけて、お湯を沸かす。
香草は萎びているかと思えばそうでもなく、まずこれを入れ、次いでアルの持ってる干し肉の塊を一部ナイフで削いで鍋に落していくと、その肉は削った部分からみるみる膨れ、また元どおりになった。
これを食べることには一抹……どころか、相当量の不安を感じるが……すでに入れてしまった後なので、見なかったことにしよう、そう決意した。
塩とわずかのスパイスを入れ、くつくつと鍋が煮えるのを待つあいだ、ライ麦パンを切り分け、皿代わりの葉に乗せておく。
「なあアル。あの言葉、やっぱり、例の核への標だと思うか?」
「うん……まあ、ね。ただ、この場所が創られたものなら、なぜああやって居場所のヒントになるものを残したのかがわからない。よほど自信があるのかそれとも……」
「罠、という可能性も確かにあるな。市外地の方を探った方がいいのか……」
考え込んでいると、やがてスープからスパイシーな香りが漂い、いい感じに煮えてきた。
それぞれ小皿に木製スプーンで盛りつけ、まず味見をと、肉と思しき具を一口食べてみる。
「うわ……本当に味が薄いなこれ」
例えるなら出汁を絞りに絞った挙げ句の出がらしか。……肉はまるで、分厚い皮でも噛んでるかのようにやたら弾力はあるが、味がほとんどしない。
猫舌のアルはスープをひとしきり冷ましてから口に入れ、無言で味のしない肉だけをひたすら先に詰め込み咀嚼している。
好物は後に残すタイプか……。
そんなどうでもいい知識を頭に入れながら、スープにパンを浸して食べ、それが終わると火の始末をして立ち上がった。
「まあとにかく、だ。ここは危険もなさそうだし、街中を調べて、灰色だとか少女だとか、怒りに燃える人々が何を示すか当たりをつけよう。かなり広い町だがなんとかなるはず」
「了解。じゃあそれで」
鍋の中身を平らげたアルも頷き、柱の傍の溝を伝って流れる水で濯ごうとさっさと歩き出した。
手がかりを探すために再び中央の広場へ戻ってくると、先ほどの男たちはまだ演説を熱心に繰り返していた。為政者への不満不平から、どのように魔道装置を活用するか、といったことまで、よく口が疲れないなと感心するぐらい、滔々と幅広く話している。
「かつての覇者はもう老いた!我らの手で引導を渡してやろう!!」
調子よくしゃべっている男のまわりのひとだかりは、心なしか増えているような気がする。
そんな様子を横目に通り過ぎる最中、アルはなぜか中央の台の男と、そのまわりの連中を、まるで目に焼きつけるように凝視していた。
まさか、あの男たちにいきなり斬りかかったりしないだろうな……。確かにあの文には、怒りに燃える人々をどうにかする、みたいなことが書かれていたが……いやいや、少女が剣を取らないといけないんだから……。
しかしそんなことを考えているあいだに広場は無事に過ぎ、特別何も起こらなかった。相変わらず通りや市はごったがえしている。
ふと思いついて、馬車の停留所に立ってみた。ほどなくして、近くをうろついていたらしい馬車が土煙とともにやってきて、目の前に止まり、陽気な馭者が帽子を取ってにこやかに挨拶する。
「よう!お待ちどうさま。さて、どこへ行きたいんだ?」
「ああ、この町の名所巡りがしたいんだが……、あ」
「……どうかした?」
そう尋ねるアルフレッドに、シャロンは苦渋の表情で、通貨が違うの忘れてた、と呟いた。
「ああ、いいってことよ!無料で案内してやるぜ!さあ、乗った乗った」
威勢よく促され、半信半疑ながらも乗り込み、走り出すのを待って、正面に空いた小さな窓に、本当にいいのか、と問いかける。
「心配すんなって嬢ちゃん!というか、これは趣味みたいなもんだからな」
「え?それはどういうことなんだ?」
ひゃっほう、と馬に鞭を当てながら、
「その昔ここら一帯、どころか国全土に流行病がはびこりひどいもんだった。だが、シーヴァ国王様がお造りになった魔道装置のおかげで、病どころか怪我をすることもなくなり、畑の作物は常に豊作、望めばすぐ願いは叶えられ、皆が満ち足りているからあくせく働く必要もないんだ。だから、おいらみたいに仕事している奴はやりたくてやっているのさ。さあ、どこへでも乗っけてってやるよ!」
スピードはさらに上がったが、不思議と揺れはほぼ感じず、まわりの人々も驚くこともなければ、誰かが轢かれそうになることもない。
馬車は快調に走り続けて、やがて大きな建物の前で止まった。
「さあ、ここが町一番の人気スポット、時計台だ!!」
近くに小さな水路が流れている大きな時計台は、なんと大きな水車と連動して作られており、水路から一度タンクに溜められ、上から垂れた水が水車の突起の穴に入って、水車をゆっくりとまわす仕組みになっているらしい。高さも三十ヒュットぐらいあってそこからディストリストが一望でき素晴らしかったものの、手がかりとなりそうなものはなかった。
黒い点々が浮かぶ空や、外壁のさらに遠く、あちこちにある村々を眺めていたアルがいつもより険しい眼差しでいて、握ったその手がかすかに震えていたのが、気になったといえば気になったけれども。
どうしたか尋ねても、首を振って決して話そうとはせず、ただぽつりと、ここは広い、と呟いたきりだった。
「ああ、ここで最後だな。ここのパイプオルガンは決まった時間にしか鳴らさないが、一度聴いてみる価値はあるぜ。おっと、残念、過ぎちまってた」
英雄の像だの、昼になるとひとりでに木の鳥(おそらく精巧な人形)が歌いだし、獅子の口から水が出る噴水だのを見学し、最後にやってきたのは古ぼけた教会の礼拝堂だった。
遅い時間のためか数人しかおらず、夕陽が差し込む祭壇の隣には花束を持った乙女の像、それを守るかのように少し離れた位置に騎士が剣を持ち佇んでいる。
アルに目くばせをし、シャロンはこれまで案内してくれた御者へ向き直り、にこやかに微笑みかけた。
「ああ。ここまでどうもありがとう。私たちはちょっとパイプオルガンが聴けないかどうかそこの牧師に掛け合ってみる」
「そうかい?まあ、難しいと思うけど……」
「でも、なるべくなら粘りたい。まあ、長くかかるかも知れないからここで」
「おう。なかなか楽しかったぜ。また乗れよな!」
そう片手を上げてあっさりと男は去っていった。……またどこかをひとっ走りするのかも知れない。
シャロンとアルフレッドは、厳かに神の教えを説いている牧師の話が終わり、一人、二人と帰っていくのを見届け、トイレとか告解室などになるべく気取られないよう立て籠って、なんとか牧師に気づかれず礼拝堂に残ることに成功した。
日が落ちてからも念を入れじっと気配を殺して隠れて待つ。そして、夜も更け、月が昇ってきた。シン、と静まりかえった祭壇は窓からの月の光に照らされ、静謐に佇んでいる。充分明るいので明かりをつけず、乙女の像に足を忍ばせ近寄った。
しっかりと握り締めているかと思いきや、その花束は乙女からあっさり外れたので、それを持って今度は騎士の支え持つ剣を動かしてみる。と、これもあっさり動き、わりとするりと抜けてしまった。
「……」
とりあえず邪魔な花束は騎士に持たせ――――――なんだか乙女にプロポーズしに来た、みたいになってしまったが――――――抜いた剣を乙女のところまで運んで、その空いた手に剣をすっぽりと嵌めてみた。
ガチッ、と突然乙女の像が剣を握り締め、空へと突き上げる。うわ、とか叫びそうになったが慌てて口を押えた。ここで大声を出すと、誰かが来ることは間違いない。
礼拝堂に、歯車が回るような小さな音がキリキリキリと響き、やがて、パイプオルガンが、“静粛な祈り”とでも呼ぶのにふさわしい、厳かで神秘的な音色を奏で出した。