実りと災厄
戦闘シーンと多少の残酷表現あり。
空は青く、日差しが強かった。辺り一面は金色の麦穂が揺れ、さやさやとこすれあい、幾重にもざわめきあっている。
何が起きるかわからない、と、覚悟を決めて扉を開けたはずのシャロンとアルフレッドは、見渡す限りの麦畑の真ん中で、途方に暮れたようにぽつんと立ち竦んでいた。
夏の風よ 南風 麦穂優しく揺すっとくれよ えぇ~え 夏の風
シャツを腕までまくり上げた農民が、歌いながらもえっさほいさと麦穂を刈って積み上げた束を結び、次々と吊るしていく。
夏の風よ 南風 木々の病葉 吹き飛ばしておくれよ えぇ~え 夏の風
「ちょっとそこの」
咳払いして呼びかけると、
「えっ!?なんだいあんたら。おらの畑で何してんだ」
振り向き、びっくりした、と顔いっぱいの表情で表していた。
「……ここはいったいどこなんだ?」
まさか外に飛ばされた、というわけでもないだろうが……。
「はあ……地名で言うならシーヴァ・ストロヴァリスだけんども。あんたら旅人かね?」
そう言ってじろじろとこちらを見てくるので、曖昧に頷いた。うーん、まったく地名に聞き覚えがない。
「シャロン、羅針盤は」
そういえば、とアルに頷いて、内ポケットから時計のようなそれを取り出し、パカッと蓋を開けると、その針は左右にぶれていた。
脱力しそうになりながらも、怪訝な顔をしていた農夫に、
「あちらには何がある?」
と道の先を尋ねれば、
「はあ……向こうはずっと先までエレックんとこの畑だけれども」
とぼやけたような返事が返ってきた。
反対側はアイザックとかいうこの男の畑と、また別の方向は別の持ち主の畑が広がっているらしい。よくよく見れば、遠くに小屋らしきものも見える。
「わかった。邪魔したな」
まったく要領を得ない……。
手を振って別れ、振り子のように揺れる針がだいたい示す方向へと歩き出す。道の両側に麦穂が揺れ、照りつける日差しにじっとりと汗ばんできた。
ちらほら、先ほどのアイザックのように刈り終わった束を干したり、刈り取った麦の落穂を拾い集めたりと、農民たちが畑の収穫に精を出している。
「アル、どう思う」
「どうというか……この周辺には小麦畑と小屋しかないようだけれども、エドウィンが言うとおりなら、ここは中心となる何かによって創り出された世界なんだろう」
「そうだよな……ちょっとなんというか、想像と違うけれども」
そんな話をしながら、のんびりと歩く。
しばらく行くと収穫している人はいなくなり、代わりに畑にはぽつんと案山子が立つようになってきた。歩くうちに雲が広がって、ところどころ雨雲のような固まりが空に浮かんでくる。
もう一度羅針盤を確認すると、その針はまっすぐ、案山子の一つを示していたので……近づいてよく見てみることにした。
「ええと、本当にこれ?」
まじまじみても案山子は案山子。藁の束に麦わら帽子、ぼろぼろの服を纏い一本足で立っている。ただの案山子にしか見えない。
「攻撃してみればわかるんじゃないかな」
アルの意見ももっともだと思ったので、頷いてお互いに剣を抜き案山子と向き合った。
うーん……はたからは間抜けな姿に見えるだろうが、もし何事もなかったらどうしようか……。
まあ軽い運動をした、とでも思えばいいか、と気を取り直し、案山子に斬りつけた。
ガキィン!
思いがけず硬質な手応えが返る。……目の前の案山子は、窪んだ眼窩から光る赤い点のような瞳、まるで骸骨のように細い身体と四本の腕に剣を持つ、おかしな人形に変化していた。
「ッくそ」
肉迫していたのでその体を蹴り、振りかぶる剣から逃れて距離を取る。
ザザザザザザザ
妙な音が畑を走り、細い鉄の茨が辺りを取り囲んで、赤い窪んだ瞳の人形は、カクカクと顎を振るわせながら、こちらへ二本の剣、二本の大鎌を振りかぶってきた。
双方向からアルと同時に剣を突き出したが、すぐに弾かれ、人形は一見バラバラな動きで剣と大鎌を振り回転しながらこちらへと向かってくる。
麦の穂をスパスパと、まるでそのための人形じゃないのかと思わせるような動きで刈り取り進んでいく様子に、一瞬感じた怖気を振り払い、剣に力を籠め風でその体を薙ぎ払う。
ガキィン、と弾かれた音がしたが、それだけだった。人形はわずかに足を止め首を傾けたかと思うとすぐにその動きを再開した。
今度はアルが駆け寄り斬りつけたが、ひるまずまるで不恰好な剣舞のようにも見える動きで次々と彼に斬りつけ翻弄する。辺りに麦穂が飛び散り、時に視界を遮ってうっとおしい。
茨の囲いは広く、まだそこまで到達してはいない。チャンスを窺いながら人形から逃げ、斬りつけてはまた走る。
しばらくそれを繰り返すと、いつのまにか道を越え、もう一つの畑に足を踏み入れていた。当然のことながらそこには案山子が立っている。
「あ、アルフレッド!」
嫌な予感がした。
剣を弾かれ反動でもう一方の案山子の傍に来たアルに、案山子はするりと皮を脱ぎ捨てるように変化し、四本腕の殺戮人形として襲い掛かった。ギリギリ剣で受け止めたが、あいつの体勢がまずい。
ありったけの風を籠め、アルを避けるように不気味な人形を吹き飛ばして傍へ寄る。
「大丈夫か?」
「……なんとか」
見届けるつもりかおこぼれに預かろうとしているのか、烏がバサバサとやってきて、遠くの枯れ木に止まりこちらを窺っている。
人形はカクカクと身を震わせながら起き上り、しばらく探るような動きでまわりを切り払っていたが、やがて再びこちらへ勢いよく回転して迫ってきた。
逃げて、また攻撃して、気がつけば鉄茨が背後にあり、かろうじて横に跳び人形の斬撃を躱し、斬りつけた。確かに胸元に当たり、多少その胸は欠けはしたものの、動きは止まらずまわり続けている。
じっと人形の動きを観察していたアルが、隙を見て穂のない麦を結んでいる。こちらに視線を投げてきたので、その位置を覚え頷き返した。
一体が足を取られ、動きを止めた隙に、アルは即座に斬り込み、その首を刎ねた。ガクリと膝をつき、人形がその動きを止める。
「よしッ」
笑顔で頷いて、こちらももう一体に向き直り、風は効かないが……アルが作った罠へと誘い込むようにする。
しかし人形の足に上手く嵌らなかったようで、そのままこちらへ迫ってきたので、慌てて肩まで届きそうな麦のあいだを走りなんとか距離を取った。
アルフレッドがこちらへ走り寄ってこようとする、その近くに案山子がある。まさかあれも、ではないだろうか。
逃げているうちに、がく、と足が何かに蹴躓いた。
「痛ッ」
地面に隠れるようにして、一体の案山子が倒れ込んでいる。
あ、まずい――――――。
変化したその人形を、なんとか振り切って立とうとするが、足を取られ、鋭い激痛が太ももに走る。何かを叫ぶアルに振り向く前に、すぐ傍まで迫ったもう一体の持つ剣が、立て続けに鎌が、なんとか起き上がろうとするシャロンを襲い、その体を切り裂いていた。