地下通路
地下通路に下りてほどなく。シャロンは精神疲労による急速な眠気に襲われた。アルフレッドも、進むよりどこか安全な場所で一度休息取った方がいいと判断して、手近な壁に空いた洞穴に身を寄せることにした。
座り込んで明かりを消し、肩にもたれて寝息を立て始めたシャロンを横に、アルフレッドが油断なく耳をすまして辺りの様子を窺うと、先ほどからかすかに聞こえていた水の流れる音に混じり、ポフ、ポフッと何かが動く軽い音、ズル、ピチャッ、ズル、ピチャッという何か粘りのある物体が引きずられるような音が聞こえてくる。
粘着質な音はゆっくり近づき、やがて目の前に人の頭ほどの大きさがある、スラッグが現れた。アルフレッドは慌てず騒がず、カバンから塩を取り出し、入り口に撒いた。
ぬめぬめした巨体は、近寄ろうとしたものの、塩で体が縮むのを怖れ、ちょっと触れては慌てて遠ざかっていく。
それに引き替え、ポフ、ポフッという足音は近づいてきたので、息を押し殺して窺えば、やがて縫いぐるみのクマが、うろうろと彷徨い、こちらに気づかず通り過ぎていった。
「…………」
こちらに来ずに幸運と言うべきか。アルフレッドはなおも気配を殺しながら長いこと周辺を窺っていた。
「う……あれ?」
暗いままだがおそらく夜明け間近。やっとシャロンが目を覚まして不思議そうにアルフレッドを見て、
「ずっと起きてたのか……。ええと、ありがとう」
ちょっとはにかみながらお礼を言ってきたので、
「それには及ばないよ。僕も寝る。おやすみ」
といって、彼は入れ代わりに一時深い眠りに入った。
……アルはあっさり寝てしまった。少し心細さを感じつつ、シャロンは洞穴内を見まわし、迷ったが結局明かりはつけず、辺りの様子を窺うことにする。
すると、同じように、ポフポフした足音と、ねっとりと引きずるような足音が聞こえてきた。ここは無視……できるかッ。というか……アルはよく眠れるな。
内心突っ込みながらも、実際にはシャロンは耐えた。アルの胸ぐらを掴んで起きろと揺さぶりたいのを堪え、うろつく魔物(?)の様子をしばらく窺い、まだこちらには来ないのを知り……じっと身動きせず堪えることにしたのだった。
「じゃあ、そろそろ行こう」
お互いに休息を取り、魔物たちもいつのまにかいなくなっていたので、再び通路を歩いていく。すると向こうの方から、ポフ、ポフと音をさせ、うさぎの縫いぐるみが一体だけ楽しそうに歩いてきたが、即座にアルが遠くへと思いっきり蹴とばした。
ベチャッ、と鈍い音がして、黒いゼリー状の物体に嵌まり、うさぎはプルプルと体を動かしたが抜け出せなくなったようだった。
気が抜けるような出来事を尻目に、洞窟の通路を進んでいくとやがて泥で地肌が見えなくなるほど汚れた柱のようなものを通り過ぎ、分かれ道に出た。どちらも先は暗がりが続いている。
「……どうする?」
そうシャロンがアルフレッドに問えば、
「右からは風の音がかすかに聞こえる。左は何も聞こえない」
と彼は言い、でも行ってみないことにはどうしようもない、と至極まともな答えを返した。
「わかった。じゃあ、まず右へ。風があるなら、どこかへ出られるかも知れない」
そう宣言して右を進んでいくと、やがて切り立った石橋のような細い道になり、両側が崖で、下には河が流れ、遠くに光の差し込む穴がぽっかりと開いている。その横にはずらりと……なんだろう、石でできた、頭と胴体が繋がり、手だけ長い変な石像が並んでいた。
なんだか、嫌な予感しかしない。
案の定、石橋を途中まで進むにつれ、ギシギシ、と軋みを立てて石像が、腕を回すような仕草をしたかと思うと、列をなしてこちらへ向かってきた。
「くッ!」
やっと二人が横に並べるかどうか、といった石の通路の真ん中で、石像を迎え討つ。足払いを掛け下の河に落とせば、小さく水飛沫が上がるのが見えた。腰のあたりにゾクゾクとした寒気が走る。
アルが頭を剣で狙いうち、石像はまたも奈落の底へ落ちていく。しかし、数が多すぎた。一体倒しても、まだ続々と次が待ちかまえ、列をなしてこちらへひたすら向かってくる。穴の向こうからどんどん湧いてきて、尽きる様子がない。
「たぁあああッ」
十数体倒したところでアルフレッドが、
「シャロン、一度退こう。こっちは違うのかも知れない」
と言い、手を引いて元来た道を引き返し始めたので、再び暗い分かれ道へと戻ってきて、今度は左を選択する。
そこは、少しだけ広く鍾乳石があちこちにあり、奥には小さく扉があるのが見えた。
こっちが正しかったんだ、と頷き、そちらに向かう。しかし、どうしてだろうか。一向に扉は近づいては来なかった。歩いているとだんだん頭の中に靄がかかったようになり、足元もふらついてくる。息が、苦し……。
次の瞬間、アルが思いっきり引っ張ったので、地面に顔をぶつけんばかりになった。息が少し、楽になる。
「アル……ここもおかしいんじゃないだろうか……もう一回、戻ってちゃんと調べてみよう」
地面近くに残っている清浄な空気を吸いながら這うようにして戻り、もう一度他に道がないかあれこれ探ってみた。そうして四苦八苦していると、ベチョ、ベチョと音を立て、あの黒いゼリーがのろのろとやってくる。今回は、ウサギは中にいないようだ。
「ッと、アル、見てくれ!中に何かある!」
黒いゼリーは体の中に薄い石板(?)のようなものを抱えていた。剣を抜き、ゼリーを狙って風の刃を繰り出すと、見事にその黒い体は四方へ飛び、グチャッと壁に当たったので、急いで中から板を拾い上げた。
ゼリーは動き、じりじりと元に戻ろうと集まってきたので、その前にと、その場から走って離れ、ランタンの光で石版を照らし出した。そこには、
『物言わぬ彼女は、じっと耐えている。その穢れを漱いだ微笑みは、荒ぶる者を宥めとどまらせるであろう。しかし、その怒りが静まることは、永遠にない』
と刻まれていた。
「……謎かけ、か?」
実はこういったものはあまり得意ではないシャロンは、顔をしかめつつ、
「つまり、誰かが捕まるか何かしていて、助けろってこと、だろうな」
「いや、ここでそんな女性がいたらとっくに死んでる」
間髪入れずアルフレッドが突っ込み、シャロンが真面目な顔で頷いた。
「物言わぬ……つまり、そういうことだろうな」
「ただのたとえって可能性もある。物言わぬ……つまり石像とか」
「そうか!そうかも知れないな。どこかに女性の石像があって、その穢れ……つまり汚れか何かを取り除けばいいんだろう」
シャロンは謎が解けた、というように笑みを浮かべ、そういえば一角だけやけに汚れているところがあったと、アルフレッドとともに走り出した。
やたら汚れている柱の泥を、一つ一つ汲んできた水で洗い流して(そのうちの一つには跳針の罠が仕込まれていたが、何とか回避した)、そのうちの一つに、女性の姿が彫り込まれているのを発見した。しかしその表情は、なんというか、無表情に近い。
もう少し丹念に磨くと、首筋に小さな穴が空いており、そこに指を入れると、カチッ、と何らかのスイッチが入ったような音がして、彫像の女性がかすかに微笑みを浮かべていた。
「よし、これであの石橋が通れるはず!」
「でも、『怒りが静まることは、永遠にない』とも描かれていたから」
「……そうだな。用心はしていかないと」
果たして、再び石橋に辿りつき、渡り始めると、あの石像たちが襲ってくることはなかったが……時間とともに、微動だにしていないその石像の腕や、身体の向きが少しずつ変わっていることに気づき、最後には走り抜けることとなった。
再び復活した石像は、橋を守ろうと進んでいったが、その頃にはもうシャロンたちは通り過ぎ、向こう側へと抜けていた。