暁待ちの闇
ジーク視点です。
中央都シーヴァースに着いたのは、昼過ぎになってからだった。
さしたる苦労もなしに門から入ると、賑やかな街並みと、渦を巻く潮のような喧騒と人の群れ。立ち上る香草の匂いが鼻をつき、どうにも落ち着かない。
先にきたはずのシャロンとアルフレッドのことを考えた。
どんな用があったにせよ、ギルドで情報集めは基本中の基本。必ず寄っているに違いない。
馬を貸し屋に引き渡して代金を払い、ひとまずシーヴァースのギルドへ向かう。
扉をくぐると、そこは……なんだろうか……親しげに言葉を交わす冒険者たちのほのぼのした空気で満ち溢れ、受付カウンターにいけば亜麻色の髪碧眼の美女がにっこりと微笑みかけてくる。
「こんにちは。当ギルドへようこそ!」
「あー、ちょっと聞きたいんだが……ここにシャーロットとアルフレッドっていう冒険者の二人が訪ねて来なかったか?」
「容姿など特徴はありますか?」
「シャーロットの方は、赤みがかった茶髪で瞳はやや薄茶色、背は俺と同じぐらい。アルフレッドは黒髪、暗いところでは紺と見間違いそうな濃いめの青灰色の瞳、背丈は頭一つ分高い」
ジークはそう言って手で高さを示してみせる。
「それでは、今確認を取ってまいりますので、しばらくお待ちください」
受付の美女はぺこりと一礼した。
「あ、ああ」
丁寧な対応に、どうも腰のすわりの悪い思いをしながら、近くのテーブルでしばらく待つ。
……あいつらのことだから、また何か厄介ごとに首を突っ込んでいるに違いない。なんて言って合流しようか。
なんて想像していると、再び受付に呼ばれたのでそちらへ行く。
「お待たせしました。シャーロットさんとアルフレッドさん、でしたね。確認しましたが、どうもこの町には来ていないようでした」
「……へ?そんな馬鹿なッ」
思わず叫んでしまい、まわりの人々の視線がこちらへ集まる。
「詳細を教えて欲しい」
低く唸るように問えば、
「まず、確かにギルドの冒険者リストに載ってはいるようですが……今いったいどこにいらっしゃるのか、までは確認が取れていないのです。この町で目撃した、という情報もありませんし……。ひょっとしたらどこかで入れ違い食い違いが起こっていらっしゃるのでは」
そう真剣な表情で返された。
愕然とした。納得がいかず、そんなはずはない、と怒鳴り返したかったが、まわりの目もある。ここで問題を起こすわけにはいかないと、失礼、と断りその場を後にする。
ここではなかったのか……?いや、それはない。向かう場所ははっきり聞いた。こちらが先に着いた、ということも、ない。かなり後からの出発に加え、近隣の村々では、確かにそれらしい二人組が中央都を目指していた、という情報があった。
例えようもない不安に襲われながら、この町に怪盗が現れたぞ、いや、あれはただの愉快犯だ、などと、何かあまり緊張感のない様子で盛り上がっている人々を尻目に、一つ一つ、まずは南門付近から彼らが寄りそうな場所を訪ねてまわり、目撃されていないか、来ていないかどうかの確認を取る。
ずっと宿、酒場など、立ち寄りそうなポイントをあたって、知らないねえ、と何十件目かの宿の女主人に言われたところで、日没間近ということもあって一度休憩を取ることにした。
中央通りに位置した酒場で酒を飲みがてら噂を聞くも、まったくそれらしい人物の話しは出て来ず、ひたすら安価でうまい酒や料理をかっこんだ。
美味しいはずなのにあまり味の感じられない料理を堪能して、次第に夜がふけてくると、店のサービスか吟遊詩人が歓迎の拍手とともに現れて、バルバットを爪弾きながら、陽気に歌いだす。
「さあ、遠くの異郷から来た人も、こちらの近隣の人も、ご一緒に。ここでは無礼講です」
喝采と拍手の音に笑顔で片手を上げ、その美声を張る。
‘どんな煌びやかな宝石、極上の美女でさえ、この胸の思いには叶わない……’
その歌をどこか遠くに聞きながら、なぜオレはこんなところにいて、こんなふうにのんびり食事なんかしているのだろう、と考える。何かを無くしたような、ただ焦燥だけが残るような虚無感を抱えながら、ここで一人で――――――。
アイリッツがいたなら、どうしていただろう。
ふとぽっかりと浮かびあがった考えに、首を振る。彼は、いない。ミストランテで、いなくなった。
もう逢えない、そう思った瞬間、生温かいものが頬を伝う。はは、と乾いた笑い声を上げた。
「どうして涙なんか――――――」
もう乗り越えたはずだった。なぜ泣いているのかもわからない。流れる涙は収まらず……次第に、アイリッツとの思い出――――――母が戦に巻き込まれて死に、泥水をすするような生活をしているところに突然現れて親戚だとか名乗り、強引に連れてかれたときのことや、その後一緒に旅した場所……陸の上で、時には船上で見た華麗な剣捌きのことを思い出した。
オレにもあんな力があったなら。ここで、燻っていたりは――――――。
その心を読んだかのように、柔らかく吟遊詩人は歌う。
‘ここはこの世の楽園。叶わない願いなど何もない’
力が欲しかった。これほどの無力を感じずにすむのなら。
拳を握り胸に当て、はっと気づく。折れていたはずの肋骨の痛みは、跡形もなく消えていた。
まわりは、悪意なんて持ちそうにもない、幸せに輝く人で溢れている。……オレは、こんな感傷に浸るような人間だっただろうか。
たまらず店を飛び出し、夜の道を走り出す。途中で支払いがまだだったことに気づいたが、追ってくる者もいない。その違和感を深く考える前に、行く当てなどないことを思い出した。
シャロンもアルも見つからないのなら……いったいどうすれば……いや、そもそもオレは、あの二人にこだわりすぎているんだ。
平和な夜道を急ぎ足で、どこへ向かっているのかわからないなりにも、進み続ける。
きっと自分たちで問題を解決して、この町を出て、彼らは彼らで好きにやっているんだろう。だったら……つまらないこだわりなんて捨ててしまって、この町のギルドで依頼でも受けて活躍すればいいんじゃないだろうか?今なら、どんな困難な依頼も、どうにかできそうな、そんな気が――――――。
いや、違う。
ジークは自分を包みかけている、全能感を振り払った。
オレはこの町で、そんなことをするために来たわけじゃない。シャロンの焦りは尋常じゃない様子だった。何か深刻な問題が起きたんだと、テスカナータで彼らがいて助かったから、それを返そうと――――――。
いや、それも違うな。ジークは内で響く羽音のような雑音と戦いながら、自分の心を探り、一瞬凪いだその奥から真実を拾い上げる。
オレはただ――――――悔しかったんだ。ちっぽけな強さしか持たない自分。力不足でアイリッツに置いていかれた、その事実が、もしあいつらの手助けが出来たなら、覆せるような、そんな気がして――――――。
それなら、力を手に入れればいい。そう願えば、その思いは叶う。
心の奥から、強く黒い感情が、吹き出してきた。かろうじて掴んだものが、次第に見えなくなっていく。違う、と反論する声はどんどん小さくなり、もう吹き消されそうな灯となっていた。
自分が越えてきたはずだった、とっくに乗り越えてきたと思っていたものが、足元から絡みつき、その自由を奪っていく。
違う。これはオレの本当の望みじゃない。でもこれ以上は……。
悪意の声はガンガンと割れんばかりに鳴り響き、内側の扉を叩く。やっと、ジークはその異常と、偽りの望みへ引きずり込もうとする中央都シーヴァースの絡繰りを理解した。
浅はかだった。何の情報集めも、準備もせずに、表面は善意に見せかけた、この町の汚濁へ飛び込むことに――――――。いや、待て。何か、何かあるはずなんだ。オレは無力で考えなしだったが……それでも、きっと何かが出来る、と――――――。
ジークは黒く濁った闇に呑まれる前に、渾身の力を振り絞り、必死で考えを巡らせる。
もし、ここで、本当に願いが叶うというのなら。