去りし日々の欠片
ジーク視点。
辺りが朱に染まる、日が沈む。
ジークは痛む胸部を堪えながら、そろそろ限界に口から泡を吹き、首を振り出した馬を、必死になだめながらさらに先を急がせる。
……もう少しでシーヴァースのすぐ傍の、ポレロの村に着く。そしたら少しは休ませてやれる。
自宅療養となってすぐ、ジークはヒューイックたちに書置きを残し、馬を借りてテスカナータを出発した。
それから馬を使い潰しつつ、寝る間も惜しみ乗り継いで、やっとここまできた。
なぜこんなに急いでいるのだろう。なんとなく、としか言いようがないが……取り返しのつかないことにならないうちに、と思う気持ちが、急がせるのだろうか。
……置いてかれるのは、もうたくさんだった。
あの出来事の始まりは、漁業組合事務所とは名ばかりの掘っ立て小屋に、ジークは遊びに来ていて、まあせっかくだから野暮用で出かけたヒューイックの代わりにと、ハリーと店番をしていた時だった。
急にバタンと立てつけの悪い扉が蹴り開けられた。
『おい、ヒューはいるか!?』
『……アイリッツさん、勘弁してくださいよ。その扉、これまでで相当ダメージ食らってる、んですから。外れちまいますよ』
『お、ハリー、久しぶり!ていうか、なんだよその敬語。似合わねーッ』
そう指差し、くったくなく笑う、銀髪の……アイリッツ。
それにハリーは恨みがましい目を向け、
『いやいやいや……ほんっっと苦労しましたよ。誰一人として、礼儀なんてなっちゃいないんですから。俺らの仕事もだんだん雑務から広がって……商人や町のお偉いさんと渡り歩くのに、なんで他の奴らタメ口なんですか!!なんで結局俺が交渉する羽目になるんですかねぇえッ』
そう嘆かんばかりの彼に苦笑しつつ、パシッと肩を叩く。
『ま、いいじゃねえの?頼られてんだよ。で、そっちはジークか?背、伸びたなー』
きらっきらした好奇心いっぱいの眼差しでこちらを向いたので、ちょっと視線を外し、
『まだ全然だよ。アイリッツも……無事でよかった』
と緊張しながらもどうにか口にする。
『まぁ、な。……ところで、ヒューはどうした?せっかく面白い話持ってきてやったのに』
『ヒューイックさんなら、二三日前に大型漁船の護衛としてちょいと沖まで行く、みたいなこと言ってましたよ。最近、どうも沖の様子がおかしいらしくて。小型の魔物なんかもたまにいるらしく、周辺の様子見も兼ねて、二週間ほどかかるそうですが』
せっかく訪ねてもらったのに申し訳ないんですけど、とハリーが言うと、あー、と頭をかきながら、
『なんだいないのか。二週間かかるんじゃ、もう終わっちまうなあ。ほら、あのミストランテ遺跡の、200年に一度の祭り。あれに参加しようとしたんだが………そうだ』
とそこでこちらを振り向き、
『ジーク、一緒にいかないか?噂じゃすっごいお宝が眠っているらしいぞ』
そう笑顔で提案してきた。
憧れのアイリッツの活躍を、すぐ間近で見れる――――――。
オレは、一も二もなく、すぐに頷いた。
もし、あのときヒューイックがそこにいたら、どうなっていたのだろう、と今になってふと思い返す時がある。
それから、ミストランテへの旅は、概ね順調で、皆から一目置かれる当人と、旅ができる、それだけで胸がいっぱいだった。最初は。
町に着く前にアイリッツは、なぜか染粉を二人分買い求めたので、
『なあ……なんで髪を茶色に染める必要があるんだ?』
と尋ねれば、
『何言ってるんだ。こうしておかないと、すぐに足がついてしまうだろ!?』
にこやかにそう言ってきたので、いったい何をヤる気なんだ、と疑問が浮かんだりもしたが、十歳以上もの年上、しかも相手はアイリッツ、とくれば、ぶしつけな質問も躊躇われ、まあ言うとおりに髪を染めると、なるほど、これまでとは打って変わって注目され度合いがぐっ、と減った。
さすがだな、と感心しながら、二人でミストランテに入ったが、そこでいきなり、泊まるはずだった宿が、人がいっぱいで入れないことが判明した。
ほぼ夜更けに近く、他の宿を探すことはさすがにできそうもない。
こっちが呆れていると、彼は自信たっぷり頷いて、
「大丈夫。ちゃんとここまでに、柔らかそうな、よさげな場所は確認したから。今の季節、風も穏やかだし、自然の息吹を感じながら星を見上げるなんて、よく眠れそうじゃないか」
と言ってきた。
それって、聞こえいいけどつまり野宿ってことだろ?
もはや心の突っ込みも慣れてきたが、底抜けに明るいアイリッツの笑みを前に、もういいやと、彼のいうとっておきの場所とやらで、身体を休めることを決意した。
町の中だからまだよかった。明日は馬小屋でもいい、せめて屋根の下で寝るぞ、と満天の星に誓いながら。
彼といると、だいたいいつもこんな感じだった。驚きと焦りと苦労の連続で、でも不思議と嫌じゃない。
ミストランテへの遺跡の探索をするようになり、階下に進むにつれ、次第にまわりの空気が不穏になっていっても、それは変わらず続いていく。
叔父であるアイリッツは、すぐ誰とでも仲良くなり、厳つい体つきの男でも物怖じせず近づいていって、どんどん知り合いが増えていった。
うまく、こちらの情報というカードをちらちらと見せ、相手からそれより多くの情報を引き出していく。そのおかげで、さくさくと迷宮の探索は進み、あっというまに地下五階へ辿りつく。
歌姫が怪しい、と言い出したのも、あちこちから得た情報のおかげだった。しかし、その真偽を確かめる前に彼女は町から出て……やがて、迷宮で行方不明者が増えてきている、との情報が、ギルドに入るようになってくると、アイリッツは迷宮の探索時間を減らし、酒場とギルドをはしごするようになっていった。
必然的に、パーティを組んでいるおれも、町や宿で過ごす、‘待ち’の時間が増えていく。そして、ある日いきなりアイリッツはこう宣言した。
『ジーク、悪いけど一時他の奴らと組んで、奥まで潜ってくる。どうにも、おかしい……多くの奴らは、お互い疑心暗鬼になって、ギルドでも、誰がどこにいる、なんて情報はまわって来なくなってる。しっかし、どうもこっちの人間より、あの迷宮自体に原因があるような気がしてならないんだよなあ』
とそこまでしゃべり、
『だからちょっと行って様子見てくるわ。ま、それほど多くないけど、戦利品とか、他の荷物とか頼む』
『待った!こっちで留守番かよ。もちろんいくに決まってるだろ!!』
と迫ると、
『悪い。おれでも迷宮の奥はギリやっていけるかどうかって感じになりそうだし、危ないと判断したらすぐ戻るつもりでいるんだ。その辺は微妙な判断になりそうなんで……おまえは連れていけない』
『なんで、なんでそういうこというんだよ。行ってみなけりゃわからねえじゃねえかよ!』
『本当は適当なところで切り上げるつもりだったからなあ……行方不明の奴には知り合いもいるからさ。ほら、あいつらだよ。ポールにサイラス。二人が行方不明で、マシューだけが戻ってきたらしい』
でも、と言いかけると、ストップストップ、とアイリッツはそれを制し、
『……わかった。いけそうだ、と思ったらお前も連れてく。だから、それまでは絶対に追って入ってくるなよ。それでいいか?』
と念を押してきて、渋々頷くと、よし、と言って曇りない空のような笑みを浮かべて見せた。
しかし、なるべく今日中には戻る、と次の早朝発ったアイリッツは、それから幾日経っても戻ってはこなかった。迷宮が崩れ、生存者は帰ってきたものの、いくら待っても、決して彼が戻ることはなかった。……永遠に。
今度は、きっと。やってみなければわからない。シャロンたちがいるシーヴァースで、何が起きているのか知らないが、きっとおれにもできることがあるはずだ。
と、ジークはそう信じている。