平和に眠る町
やっ……と夜が明けた。
寝不足の頭を押さえつつベッドから身を起こすと、アルフレッドも同じように起き出してきた。
何も一緒のタイミングで起きなくてもいいだろうに、なんて思いながら着替えるのを待って、部屋から追い出し、急ぎ自分も服を身につける。
まあ昨日と同じ服なのもあれなので若干違って見えるよう組み合わせを変えて、と。
「アル、着替え終わったから」
「……昨日の夜は」
「う、うるさいな。あれは、夜遅かったからだよ」
本人が忘れたいと思っていることを、思い出させないでほしい。あれは仕方なかった。アルを部屋の外で待たせて噂になるのも嫌だったし。
半ばヤケになっていた自分の行動を内心で正当化しつつ、シャロンはさっと話題を変えることにする。
「それより、朝の鍛錬をやるなら、さっさとしよう。それからこの町がどうなってるのか調査もしないと?」
「そうだね。行こう」
アルはあっさり頷いて、部屋を出た。なんとなく上機嫌にも見える。
「…………」
思いっきりその背中を叩くか蹴るかしたい気持ちに駆られながら、シャロンがその後を追って階下に行くと、宿の女将が、
「朝も一緒なんて……本当に仲がいいねえ」
とにやにやと意味深に言ってきたので、ますますシャロンを落ち込ませた。
……最近、精神的痛手を負うことが多い気がする。
朝靄のかかる中、裏通りを散策してちょうどよさそうな大きさの寂れた広場を見つけ、アルに頷くと、こんなもやっとする気分の時は、体を動かすに限る、とまず素振り三百から始めることにした。
素振りの次に形に沿ったステップを踏んで、剣を振る。どうしても直線になりがちな自分の動きを、なるべく柔軟に。
「……シャロン?」
アルフレッドが、彼女の練習がひとしきり終わったところで声をかけ、
「ああ、やろうか」
シャロンは笑顔でそれに応えた。
アルの剣は、速く重く、まともに受ければそう何回ももたない。シャロンは強いその剣戟を、受け流し、巻き込むことで反撃へと変えていく。
「くっ」
シャロンが間合いを詰め、繰り出された蹴りを半歩下がって避け、アルの脇から斬りかかると、彼は瞬時に低く腰を落とし避けざまに剣の柄で相手の身体の中心を打ち、手首を返した。
「……!!」
肺腑をえぐる衝撃に息を詰めつつ振りかぶった剣が届く前に、首の傍にひやりとした感触が走る。
お互いその姿勢のまましばし睨み合い、やがてアルフレッドがこれで終わりとばかりに剣をカチッと鞘に納めた。
「次は絶対、一撃入れるから」
悔しそうな彼女に頷いた彼は、軽く伸びをしたりトントンと足で地面を叩いたりすると、そろそろ朝食だよ、と言ってカバンを肩にかけた。シャロンも呼吸を整えてそれに並ぶ。
宿では食事を頼むこともできるらしいが、調査ついでに朝市で何かつまもう、と大きな通りに出ることにした。
現在地は中央からやや北寄り。東に貴族たちの高級住宅地域、北西にスラム街。
シャロンはシーヴァースの地区を頭に思い描きながら、大通りの朝市へと向かう。
「えー、卵。卵はどうだい?産み立ての新鮮だよー」
「野菜、野菜ー。セージにパセリ、パースニップ。それに果物はベリーにシトラス、ブラムリーもあるよ」
籠を引っさげ、にぎやかに歩く売り手とすれ違いながら市を物色し、ほどよく黄色がかったブラムリーと、屋台の焼き串を買って、アルと食べ歩きながら辺りを観察する。
道行く人は皆明るく、弾むような足取りをしている。この町に入った時も思ったが、道は綺麗に掃除され、漂うのは香草の爽やかな香りと、屋台のごちそうのいい匂いだけ。
一日中歩き回っても、どこへ行っても平和な街並みと、明るい人々。ギルドを訪ねても同じように、軽い言い争いは見ても、殴り合いに発展するようなきつい諍いをする男たちも、受付の女性にひどく絡む厄介者もおらず、平和そのものだ。
やがて日が沈み、沈んでもなお夜道を明るく照らすランプと、笑い声の絶えない家々。
シャロンたちは軽く夕食を取った後、何の収穫もないまま宿に帰り、にこやかに女将に出迎えられた。入り口は戻ってきた人、これから一杯やりに行く人でごった返している。
部屋に戻り、アルと二人になると、二人きりという状況にもかかわらず、なぜだかほっと安心できた。
「アル……この町は、おかしなところがたくさんある。確認したいんだが……まあ、争いがほとんどなく、平和すぎることはさておいて」
「……まず、浮浪者がいない。あと老人もいない」
「ああ。こういう町には必ず壁にもたれているならず者や、物乞いがいるはずなんだが、そいつらがいない。そして、家先や天気のいい日には広場なんかでのんびりしているはずの、老人も見ない」
シャロンは眉をひそめつつ考え込んだ。が、どこか異常だ、と感じただけで明確な答えは出なかった。
「もう遅い。また明日調べよう。今度は遠くまで」
アルの提案に頷き、再びベッドを見やり――――――げんなりしながらも、今度はいったん彼を追い出して着替え、また同じように布団へもぐりこんだ。
それからしばらく。アルはもう寝たのか、呼びかけても答えず、昨日と同じように寝息が届くばかり。
なんであいつはこんな早く眠れるんだ。私ばっかりが意識してるなんて、不公平じゃないか!?
理不尽なことへの怒りを燃え立たせながら、自分自身に、あいつがその気ならこっちも、こうなったらなんとしても眠ってやる!!と、できるだけ意識しないようにしないようにと目を閉じる。
すると、それが功を奏してか、一刻ほど経ったのち、シャロンは静かに眠りに落ちた。
すぅすぅとシャロンの寝息が聞こえる中、アルフレッドは静かに起き上がり、音を立てずに彼女の傍まで来て、眠っているのを確認して小さく息を吐いた。
……この状況で眠れる、と思うその心持ちが、シャロンの、シャロンらしいところかも知れない。
触りごごちのいい髪に触れたかったが、自制できなくなっても困るので、そのまま部屋を出て、階下へ向かう。
宿の入り口には鍵はいっさいかかっておらず、その事実もアルフレッドを戦慄させた。
外へ出てみても、酔っ払いの騒ぐにぎやかな声、時折響く馬車の音以外に変わった物音は聞こえてこない。
無性に宿に戻りたくなり踵を返したが、もう一度、アルフレッドは、ある可能性に気づき足を止めた。
部屋に戻った時。もしシャロンが自分にとって都合よく、変わっていたら?
体に走った寒気を、頭を強く振って振り払う。
それはきっとないはずだ。自分が、それをこうして、怖れている限りは。
そして、彼は足早に宿へと戻っていった。