考古学者(?)エドウィン
日が傾くと、ビスタの南側のオスロ湖は次第に黄金の輝きに包まれていく。
その美しい光景を、風呂の壁の細長い隙間から見ていたシャロンは、くしゅっと鼻を鳴らすと、慌てて下の湯船にざぶりと肩まで浸かった。
風呂から上がり、着替えて半乾きの髪に布をかぶせたまま外へ出る。魚の養殖場に設けられた小さな入浴施設とはいえ、久しぶりにゆっくりとお湯を使えたのでいつになく気分が高揚していた。
入り口で待っていたアルフレッドが足音に振り返り、こちらを見て軽く目を瞠る。
「……シャロン?」
「当たり前だろ。ああ、そういえば髪を下ろしたところはあんまり見てなかったか……ほら、私のは結構くせっ毛だから、乾く前に縛ると大変なんだ」
そう言って笑い、シャロンは自分の赤茶の髪と、彼の黒髪を見比べる。
「って、アル……随分髪濡れてるじゃないか。ちょっとかがんでくれ」
低くなった頭に布をかぶせ、ワシャワシャとこすると、
「……自分でやる」
何やら不機嫌そうに布を奪ったアルフレッドは、しっかり髪を拭いてから布を渡してきた。
「……」
布からかすかに、自分のものではない匂い。
そのまま再び髪に乗せるのもためらわれ、神妙にそれをたたんで背負っていたカバンへとしまう。
「……しかし、本当に綺麗だな」
いたたまれないような雰囲気を振り払い、しみじみと夕焼けに見入る。
「そろそろ行かないと、宿が取れない」
隣でぼそりとアルフレッドの声。
「……おまえな。そっちは露天だったからたっぷり眺めたんだろうが、こっちはあんまり見れなかったんだぞ」
恨みがましく睨んでも、特に気にした風でもなくさっさと歩き出したので、シャロンはもう一度湖を眺めてから後を追いかけていった。
宿を取り、すっかり暗くなった街を足早に歩きつつギルドへ行くと、キャサリンがにこにこしながら手を振ってくれた。
「あれ~なんか髪下ろすと随分印象違いますね~。そっちの方がいいんじゃないですか~。なんかこう、お忍びのお嬢様っぽくて~」
「……いや、もう結んでおくよ。髪の毛も乾いたし」
ええ~と残念そうな声が上がったが、構わず一つに縛り上げた。
「それで、ひょっとしてあの人が依頼人か?」
いくつかのランプで照らされた案内所の中には、古ぼけた本をめくっている三十代半ばの男の他には誰もいない。と、見られていることに気づいたのか、その男が手をとめてつけていた眼鏡を胸ポケットにしまうと、こちらにやってきた。
「エドウィンです。家族名と名前は同じなので、そのまま呼んでくれて構いません。いや~今回あなた方が引き受けてくれて本当に助かりました」
にこにこと手を差し伸べるので、慌ててまだ引き受けたわけじゃない、と首を振る。
「そうなんですか。でも、話を聞く気になってくれただけでもありがたいですよ」
アクセントは中央フランキシュか、その近辺のもの。流暢な話し方は考古学者というよりは商売人、と言った方がぴったり来る。
「私はシャーロット・リーヴァイスで、こっちがアルフレッド」
そう話しながらもシャロンは、エドウィンをぶしつけにならないよう観察した。日焼けなのか色褪せた茶髪に擦り切れた服やカバンは、とても支払い能力があるようには見えない。って、似たようなことを前も感じた覚えが……。
思わずアルフレッドを振り返ったが、特にいつもと変わった様子はなく、ただ興味深そうに学者だという男を見ている。
「あの~」
受付のキャサリンが、遠慮がちに声をかけてきた。
「もうここ、閉める時間なんですけどぉ」
いい店を知ってるのでそこへ行きましょう、とエドウィンの提案に乗り、湖畔のそよかぜ亭という料理屋に入ると、人はそこそこの入りだったが、なぜか店員を呼び止める声が飛び交うこともなく、皆穏やかに談笑していた。
彼は通りすがりの店員におすすめ三人分、と頼むと、そのまま奥の空いた席によいしょっと腰を下ろす。シャロンとアルフレッドも向かいの椅子に座り、
「なんだかやけに静かだな。これだけ人がいるんだから、もっと騒がしくなりそうなものだが……」
「そりゃそうですよ。この店は安くて料理の味もいいけれど待たせるので有名なんですから、ほとんどが料理待ちです。入り口のところに、『夜明けまでには出ますので~気長にお待ちください~』って書いてあったでしょう」
「……それはまたひどい」
「まあ、やり手商人の観点からは、理解しにくいものがありますが……これはこれで、長話をしたい客には向いているんですよ。ちょうど話が一つまとまる頃に料理が来るっていう」
エドウィンは肩掛けカバンから紙を取り出し、携帯筆記用具とともにテーブルの上に置いた。
「それでは、依頼の話をしましょうか」
「依頼内容は単純です。荒れ地にあるターミルへ着くまでの護衛をお願いしたい。依頼料は知ってのとおりで、それにプラスして途中で得た品物。これはその時々によって違いますが……どうですか?」
「荒れ地には魔物が出ると聞いたんだが……それでこの値段は安すぎじゃないのか?」
「魔物が常に出現するわけではありませんよ。もちろん出会わないこともあります」
「それでもだ。魔物が出た時の保障分のお金と、基本料金はせめて倍は欲しい」
「……魔物が出た時の保障ですか。それじゃあ、一回につき銀貨十枚でどうでしょう?で、基本料は倍、と。これでいいですか?」
さらさらとエドウィンは紙に同じことを書きつける。シャロンは、銀貨十枚はまあぎりぎり妥当な線だと頷いた。と、そこで黙っていたアルフレッドが口を挟む。
「そこに一つ条件を。道中の安全を確保するため、こちらからいろいろ尋ねると思う。それには誠実に返答して欲しい」
「……いいですよ。それも書いておきましょう」
エドウィンが苦笑しつつ書き入れ、お互いにサインをしたところで、折よく平たいパンとサラダが運ばれてきた。
「ああ、今日は随分スムーズにいってるようです。この分だとメインの焼き魚やスープは、朝食にならずに済みそうですね」
話がまとまり、嬉しそうに食事に手をつける彼の前で、いったいいつ宿に帰ることになるんだろうとシャロンは心中不安にかられていた。
補足:正規の入浴施設はほぼお金持ち用。シャロンたちが入ったのは炉によって水温を調節している養殖場内部のお風呂で、壁向こうでは同じ型の浴槽内に魚が泳いでいたりします(もちろん風呂の水温より低め)。地元民がよく利用する場所を紹介してもらっていました。