それは、始まり 2
これほど魔力を帯びている場所なのに、魔物は影も形も姿を見せなかった。辺りはひんやりと肌寒く、虫すらもいない。
測定の振り子は激しく振れっ放し。油断はしない方がいいと兵士たちに忠告してはみるものの、馬鹿にしたような目で見られるだけに終わる。
あの、エセ学者なのか錬金術師なのかわけのわからない者たちの存在も一役買っていた。今も洞窟の水質を調べるふりをしてその実何もしてはいない。
エドウィンは何度目になるかわからないため息を吐いた。三日目だというのに、こちらの兵士も騎士たちの天幕の方も、またも酒宴。まあ、飲むしかない、というのも現状ではある。
しばらくすると、用足しにいっていた兵士が帰ってきた。顔色があまりよくない。
仲間の一人が、どうした、と尋ねるのに対し、
「何か、よくわからないもん斬っちまった」
と答えて酒を取り上げぐいっと呷る。
「なんだ、どうしたどうした」
それから聞き耳を立てたところによれば、なんでも、暗闇の中を赤ん坊ほどもある塊が動いていて、とっさに斬ったが感触がおかしかったらしい。
「なんかこう、もふっとしたというか、妙に斬れ味が悪かったというか……」
「なんだそりゃ。おめえ、そんなに酔ってたのか?」
「いや、そんなんじゃねえと思うんだが……」
「ひょっとしたら新種の魔物かも知れん。見に行こうぜ。やばそうだったら報告だ」
ひそひそと話し合い、どうやら見に行くようだったので、こっそり後を尾けてみた。
拠点から少し離れた先まで来ると、
「なんだ、何もねえじゃねえか。やっぱり酔ってたんだろうよ」
そう一人がぼやく。照らされたカンテラの明かりには、ただ黒々とした闇と、遠くの鍾乳石が見えるだけで何もない。
「いや、待て。ここになんかある……なんだ、ただのオモチャじゃないか」
こちらから見て布っぽい塊を取り上げ、
「こんなのを魔物と勘違いして逃げ帰ってきたのかよ。相当だろ、おまえ」
爆笑の渦が巻き起こった。
そうかなあ、絶対動いたと思ったんだが、と言うのをさらに笑い、兵士たちは、バシバシ肩を叩いてほがらかに去っていく。
エドウィンはしばらく待って、兵士の一人が放り捨てたものを拾い上げてみた。
確かに、それは玩具だった。何の変哲もない、熊か猫かよくわからない形をしたぬいぐるみ。そのお腹辺りが裂け、中から綿がはみ出している。 だが……なぜここに?
例えば、向こうにいる騎士のうちの誰かが肌身離さず持ってきていて、捨てたのだとしたらそれはそれでホラーだが……。
調べてみるか、とエドウィンはその、じっとりと湿っていて重いぬいぐるみとカンテラをいったん脇へ置き、背負っていた荷物を下ろしてまずは布地についた成分から、と地質や水質を調査するための検査薬を中から取り出した。
さて、と傍らのカンテラを見やると、そこにはすでにぬいぐるみはなかった。
エドウィンは釈然としない気持ちを抱えつつ、再び拠点へ戻ったが、そこには全く動揺の様子もなく、出たときとまったく変わらず酒宴が続いており、憂鬱な気分がただ割増しされただけだった。