主義と主張
遠くの岩礁のあいだで、小規模な爆発がいくつか起こり、きゅぃいい、きゅぃいいいい、と小さく、どこか物悲しげな鳴き声が渡ってくる。
そのまま爆発が収まるのを待ち、舟を出発させて四人で漕ぎ続け、どのくらい経っただろうか。
舟は、爆発が遠くぐるりと岩礁に囲まれた地帯へと水面を滑っていく。ところどころ淡い灰色をした、ごつごつしてはいるが概ね平らな岩の塊が存在していて、ヒューイックが合図してそのうちの一つへと舟を寄せた。
「よっ……と」
真っ先にジークが飛び降り、舟がぐらぐらと揺れる。
「そういえば、アルは泳げないんだっけ?大丈夫かよ」
立つと同時にからかい気味に振り向いたが、さして気にした風もなく、なんとかする、と返してアルフレッドが降り、迷っていたものの促されシャロンが、最後にヒューイックが降りて舟に乗せていた重りと縄を下ろし、手近な岩に巻きつけた。
ひょっとしたら流されるかも知れない、という不安は少なからず皆が抱いていただろうが、誰も口にせず、遠く淡く光る水面を見つめ、
「……行こう」
そうヒューイックが呟いた。
歩いていくと、時々飛び魚っぽいものや細長くヒレのある魔物が飛び出してきたりしたものの、特に問題にもならず斬られ、ボチャンと海の中へ沈んでいく。アルフレッドが言うには、他の魔物の気配はあるものの、どうもここら一帯を遠巻きに避けて近づいては来ないらしい。
「そういえば、あっちは大丈夫なのか?戦力が大幅に減った気もするが」
ふと気になり尋ねれば、
「聞いてなかったのか?全員に、ヒュドラという大物を倒したから、その臭気が落ちるまでは他の魔物は怖れて近寄らないだろう、と説明したはずだが」
「……そうだったかな」
それまで黙って聞いていたアルフレッドがぽつりと、
「その時シャロンはいなかった。船医の手伝いで怪我人数十人の手当をしてた」
といった。
「あ~、あの時か。って、アル……その後教えてくれてもよかっただろうが」
「特に必要ないか、と」
「くっ……。そういって今まで話さなかったことがどれだけあると思ってるんだ」
腕を掴んで揺さぶり、まったく平然としている表情をどうにか変えてやろうと、頬を掴むため思いっきり手を伸ばしたところで、
「痴話喧嘩は余所でやってくれ。まったく呑気だなおまえらは」
ヒューイックが疲れたような声音でストップをかけた。
「あれ、止めちゃうの?せっかく面白くなりそうだったのに」
にやにやしながらジークが言い、
「ま、ま待て!おかしいだろ、なんで痴話喧嘩なんだこれが!」
慌てて弁解したものの、
「え、どう見てもそうとしか思えないよね?」
からかう気満々のジークの笑みに、迎撃された。
「おい、いつまでやってる。ジーク、おまえの出番だ」
「ん~?ああ、あれ」
平らな岩の道は途切れ、速い流れの向こうにその先が続いている。言われたジークは特に衒いもせず腰の鎖を使い、何度か投げてうまい具合に尖端を引っ掛け、その鎖を伝って慎重に向こう岸へ渡る。
荷物を置いてきてよかった、と濡れて重くなった服を引きずりつつ、飛び石のあるところを歩き、深い淵があって進めない場所は迂回して、ぐるぐると周囲をまわりながらそれでも確実に、淡い光の元へと近づいていく。
次第に金色の液体が水に混じり、辺りの岩におびただしい痕跡を残すのがはっきりと見え、その向こう柄で白く巨大な魔物は、その傷だらけの体を静かに休めていた。
傷ついてもなお厳かなその姿は、まわりの岩の様子もあいまってまるで……“身をひそめて時を待つ神の使い”とでも題名がつきそうな、一枚の絵画のように感じられた。
「じゃあまず、できるだけ静かに近づき、最もダメージがいきそうな部分に一撃を食らわす。シャロンは支援にまわってくれ。あのでかい体だ。振り飛ばされたらひとたまりもない」
ヒューイックがじっと冷静に観察しながらそう指示を出し、それに対して、
「ヒュー、本当にやるのか?」
「おい……じゃあ何のために俺たちはここに来た?」
声を低く落とし、尋ね返す。
「魔物発生の原因を突き止め、その大元を絶つためだろうが。今のところ、怪しいのはあのデカブツのみなんだ。それを殺らなくてどうする」
「…………それは」
もし違ってたらどうする、とか、それはこちらの勝手な都合じゃないのか、という言葉が浮かんだが、今さらのような気もして言葉にならず泡のように消えた。
「ああ、誰かも言っていたな。こいつが海の守り神で、倒したら凄まじい呪いを受けるかも知れないとか、他に方法はないのか、とか」
ねえよ、とヒューイックは斧を抜き放ち、凄みを帯びた憎しみの眼差しで、
「そういうの嫌いなんだ。神とか救いとか、そんなものはただのまやかしだ。神が上にいて善なる行いをしているのを常に見ている?馬鹿じゃないのか。……世の中を見てみろ。いい奴ほど早く死ぬ。生き残っているのは腹黒い奴ばかりだ。善人っていうのは騙されて、骨の髄までしゃぶられて、顧みられず死んでいくのがせいぜいなんだよ。俺は、そうはならない」
そう言い切ると、ヒューイックは走ってあの魔物の傍へ向かう。止めることはできなかった。どうして、止められるだろうか。
「あー……オレも行くわ。ここまで来ちまったし」
ジークがためらいつつもその後を追い、私は――――――。
その場を動けずにいると、
「シャロンは、どうする?」
絶妙なタイミングで、アルが声をかけてきた。こいつは、どうするのだろうか。いや……その答えを待つのは、卑怯だろうな。
「――――――行く。あの魔物を倒すのが正しいかどうかなんてわからないが、ヒューたちに責を負わせて逃げるわけにも行かない」
「ん。じゃあ、行こうか」
アルはいつものように飄々と答えて――――――。
「待て。アルは、どうする気だったんだ」
「え。もちろん行く気だったけど」
不思議そうな顔をして、なぜ訊くのかわからない、という風に問い返す。
まったく、こいつが本当に羨ましくなるのはこういう時だ。このやろう。
「じゃ、行くか」
「うん急ごう」
白く光る魔物を見据え走り出すと、ちょうどその体にしがみつきよじ登ったヒューイックが、大きすぎておおよそでしかないけれども、その魔物の胸ビレの付け根と思しき部分に斧を振り下ろすのが見えた。