しがらみ
急速に広がった曇り空の下、ヒューイックは首をコキコキと鳴らして大きく伸びをした。
「アルとシャロンは、乗ったことあんまりなかったんだよな?」
「ああ、まあ」
「それじゃ、慣らしといた方がいい。港の周辺まわるぐらいならさほど魔物も出ないし。どれぐらいの期間で乗れそうなんだ」
「……あと二日見てくれれば」
「わかった。じゃあ二日後で手配しとく。アルもその時でいいか?」
「……」
どことなく気乗りしなさそうな顔のアルフレッドに、ジークがにやにやと笑い、
「あーひょっとしてー、船に乗るのが恐かったりする?アル君にとっては初めての海!だもんねー」
ゴスッ。
「シャロンと同じ二日後で」
問答無用でジークを沈め、アルはきっぱりと宣言した。前々から思ってはいたが……。
「アル、ひょっとして、泳いだことがない、とか」
小さな声で尋ねると、
「グレンタール付近の湖は凍えるほど冷えた雪解け水。泳ぐのは自殺行為」
憮然とした答えが返ってくる。よく考えたら、あっちは夏でも涼しいらしいから、それはそうか。
「なんだなんだ。この町に来て泳がないなんてもったいないな。この騒ぎが収まったら、その辺で練習しとけよ」
「え、どうして。海に出るんだろ?」
復活したジークが後頭部をさすりながら訊くと、ヒューイックはわずかに表情を陰らせ、
「少しは考えろ。海に落ちたら魔物の餌だろうが」
そう返した。
そんなやりとりをしていると、ぽつりぽつりと港に人が集まり、海をぼんやり眺めている者がいるかと思えば市を開く者もいて、昨日より賑々しい。
そんなことを思いながら見渡すうち、港沿いの道を来たのか数人が籠を抱え、よいしょよいしょとこちらに向かって歩いてくるのに気づいた。
「あれは……漁師のアトキンスたちじゃないか」
ヒューイックが目を細めてそう呟き、何の用だろうななんて言ううちに、彼らは傍に来て籠を下ろし、
「旦那、これは俺たちの気持ちだ。受け取ってくれ。なんでも今魔物退治の人を集めているそうじゃねえか。こんなものしかないが航海の食料の足しにしてくれりゃあいい」
言うだけ言って去っていく背に、
「ありがとな。助かる」
と声をかけた。
それとまたすれちがうようにして、フンフンと鼻歌でも歌いそうなほど軽い足取りで、榛色の髪をした二十代前半と思われる青年がにこやかに現れた。ものすごく髪や瞳など全体の色合いや顔つきがレイノルドに似ているんだが、ひょっとして……。
「やあ。こういうことはきちんとしなくちゃと思って挨拶に来たんだ」
「……」
ジークが無言でチッと舌打ちし、ヒューイックがよお久しぶりだなケイン、と苦笑気味に挨拶を返す。
続いてケインはこちらを向いて、
「こんにちは。君たちは一緒に乗る人たち?」
「ああ、まあ。えっと、ケイン・ウィーヴァー?私はシャロンで、こっちはアルフレッド」
隣のアルフレッドが、黙って頷く。
「ケインでいいよ。言いにくいし。レイにはもう会ってるのかな」
「お兄さんなら、ついさっきまでそこにいたよ。もう行ってしまったけれど」
ケインは自分で訊いてきたにも関わらず、なぜか興味なさげにふうんと呟いて、
「それよりさ、出航っていつだっけ?」
「一週間後だよ。それぐらい覚えとけ」
ジークが苦々しげに吐き捨てる。
「あれ、ジークいたの?背が低いからわかんなかったなあ」
「……おまえちょっと来い。ぶっ殺す」
爽やかに笑うケインと、それを睨みつけるジーク。シャロンは心の中で、同族嫌悪かなと思ったが空気を読んで黙っておいた。
「ケイン、ジークと喧嘩しに来たわけじゃないだろ」
「あーそうそう。このあと予定があるんだった。ヒュー、一週間後にまた。まったく、不肖の兄を持つとフォローが大変だよ」
ジークが彼に気づかれないよう口パクで、この大嘘つきが、と罵っている。そうして、レイの弟ケインは、来た時と同じように嵐のごとく去っていった。
「……ケインは嘘つきだからな。あいつの言うこと信用するなよ」
ジークは彼の去った方に唾を吐き、ザッザッと砂をかけた。どうやら心底嫌ってるらしい。
「まあ、それはともかく、だ。二日後まで、自由に過ごしてくれ。もし何かあったらギルドに連絡を入れておくから、一日一回は寄って確認して欲しいが」
「了解。それまでに何かやることは?」
「そうだなあ……食料や水はある程度は用意するが……何か必要だと思うものがあったら伝言を頼む。あとは各自の判断で手荷物を用意してくれればいい」
わかった、と頷くと、それじゃな、とヒューイックは片手をあげて小屋に引っ込んでいった。
ひとまず市をぶらつくつもりで歩き出すと、タタタッとジークが追ってくる。
「シャロンたちは二日後まで何するんだ?オレも一緒に行くよ」
「来るな。戻れ」
アルフレッドがすげなく言う。
「いやいやそんな厳しいこと言わず。やっぱさ、大勢で回った方が楽しいって」
苦笑し寒いことをいいながらついてくるジーク。
ああもう、黙ってるのがめんどくさい。
「というかジーク、実は私たちがおかしな行動取らないよう監視してるだろ」
「……」
的を射られた彼はしばらく黙り込み、続いてふっと笑みを見せた。
「どうして、そう思った?」
「いやいや、いつもならふらっとどこか行きそうなおまえがベタベタとついてくる時点でおかしいと思うだろう普通。それに、ヒューイックのあの基地と財宝……あんなものをよく知らない他人に見せといて、何もせず解放、というのも変な話だから」
「いや、まあその通りなんだけどね」
んー、と言葉を選びながら、
「気づかれていたなら意味ないかー。ヒューもなんだかんだでシャロンたちを気に入ってるみたいだし。そろそろお役御免かな。ほんとはオレこんなことするより、久しぶりに会う娘たちと遊びたいんだよねー」
「……だと思った」
呆れつつじっとりと睨めば、どこかすっきりした表情で笑っていたジークは、
「あ……悪い」
なぜかアルに足をかけられ、すっ転んだ。
〈蛇足的補足〉
グレンタールの会話例。
(酒の席で)
「おまえの恋人さー、昨日男をとっかえひっかえして楽しんでたらしいぞ」
「あ、なんか急に湖で泳ぎたくなってきたわー」