気怠い朝
下ネタ的発言があります。苦手な方ご注意ください。
冒頭はジーク寄りの視点です。
――――――夜明けが近い。
ジークはふとした瞬間に目を覚まし、娼館のベッドから体を起こして窓の外を眺めた。
にぎやかなはずの港は、明かりがぽつぽつとまばらで、静まりかえっている。
テスカナータの沿岸の朝。本来なら深夜から声を掛け合い、一斉に沖へ乗り出した漁師たちが戻り、市の準備で騒がしい。幼い頃はまわりをうろちょろしては取っつかまって荷下ろしを手伝わされたものだった。叔父貴と船で漁に付き合わされもした。
ベッドを抜け出て、ミストランテでついた手の傷の治りを確かめてから服を着ていると、
「まだ早いじゃない……」
女が気だるそうに裸身を起こし、鳶色の長い髪をかきあげて抱きついてくる。
引き留める意図が透けて見え、やる気が失せた。
いけない。どうも褪めていく一方だ。
明日になれば、ヒューイックにあのことを話さなきゃならない。
「……置いていきやがって」
苦く小さな呟きを聞いたのかどうか、彼女は緩く微笑み、ジークの髪に手を伸ばす。
「そんな顔をしないで……あなたみたいな子が」
誰が、なんだって?
その手を払い退け、ベッドへ思いきり突き飛ばす。
衝撃に息を飲む女に、薄く笑いながら恫喝した。
「さっさと金持って出てけよ、ババア」
まったく、どいつもこいつも。
上背が欲しかった。この体格では鍛えても出せる力に限り があり、同年の奴らと比べても最低二、三歳は下に見られてしまう。
いくら速さを鍛えたところで一撃の重みに欠け、決め手がない。
ジークはイラつきながらぼんやりと明るくなり始めた白い町並みを歩き続けていく。あいつらでもからかいにいくかと、そう思い直して。
早朝、空が白み始めてまもなく。シャロンは毎度の鍛練をするため宿の入り口までくると、これまたいつものように先に来ていたアルフレッドと一緒に外へ出た。
潮騒の音が、新鮮で心地よい。
二人で散歩がてら良さげな場所を探していると、ぐるりとまわった反対側に、荒んだ雰囲気で歩くジークを発見した。
声をかけるのをためらっている間に距離は縮まり、こちらに気づいた彼がパッと華やかな笑顔で駆け寄ってくる。
「あれ、二人とも。ひょっとして朝帰り?」
「……朝帰りはおまえじゃないのか?麝香っぽい匂いがするんだが」
艶めかしい香りに顔をしかめていると、
「ああ、アンブレットシードか。そんなに匂う?」
袖をクンクンと嗅いで首を傾げているジークの横で、
「くさい」
アルフレッドが鼻を押さえつつ、追い払うジェスチャーをする。ジークはそれをまったく気にした様子もなく興奮したように、
「いや、聞いてよ。それが、昨日はすごかったんだよ。お客が少ないからもう選び放題、入れ食い状態!おかげですっごいグラマラスな美人相手だったんだけどさ、それがベテランで」
「ああそう。どうでもいいが」
「でさ、最後は意地の張り合いみたいになっちゃって、こっちも疲れるからそう簡単に出したくないし、でもそしたら彼女が先っ……」
「っアルフレッド!おまえに任せた!」
まったくこちらの様子を気にせずしゃべりまくるジークの話がだんだんヤバい方向になってきたので、慌てて立ち位置を変わり、なるべく遠ざかるようにする。
後ろの二人――――――というか主にジーク――――――が盛り上がる中、一人だけ離れて海の素晴らしい眺めを堪能した。
心理的に鍛錬どころではなくなってしまったので、ぐるりと一周して宿へ帰り、ジークの隙をみてアルを呼び、
「アル、悪かった。ちょっとその……ついていけない話だったので。ジークのおしゃべりに付き合わせてしまって。退屈だっただろう?」
するとアルフレッドは、珍しくきゅっと口の端を上げ、
「そうでもない。いろいろと参考になった」
そうのたまった。
え。な、何が。
なんだか混乱やら任せたことへの激しい後悔やらにとらわれたが、もう訊き返すのもどうかと思うので、このことは触れないでおくことを決意した。……気になるは気になるが、訊いたら負けのような気がする。
藪蛇は嫌なのでなるべくアルの方を見ないように席につき、
「さ、さて、朝食でも頼むとするか。あ、そこの主人、ツイカをボトルで。あと、パンと何かお勧めを人数分」
ちなみに、この宿に客は片手で数えるほどしか泊まっておらず、さらに早朝のため食堂は貸切状態だった。
「……」
どんよりと曇った表情の主人が奥へ引っ込むのを見届けてから、
「それで、今日はどうしようか。まずギルドへ行って……そろそろ携帯食料が減ってきたから買い足したいんだが、他に行きたいところは?」
シャロンがそう尋ねると、
「それは大変だ。ま、オレにかかれば安く買える場所を見つけるなんて簡単だけれどね」
ジークが自慢げにいう。
「……どうせただじゃないんだろ?」
疲れたように問い返せば、
「そりゃもちろん。でも、そんな高くなくていいよ。ここでの宿泊費と食事代払ってくれれば。実は、昨日娼館で使い切っちゃったんだよね」
悪びれなく言う。
ティファも気の毒に……。
ジークに恋焦がれて貢いだ少女のことを思うと胸が締め付けられたが、それはそれとして、さすがにちょっとした案内の対価には高すぎる。
「いや、それは高い。せいぜいこの朝食ぐらいだな」
運ばれてきた小魚の酢漬けと平たいパンの取り合わせを見て、シャロンはそう結論付けた。
「ちぇっ、いいよそれで。その代わり……マスター、エヴァンティエのワイン煮追加ーッ!」
「おいほどほどにしろ、ほどほどに!」
……どうやら、一日分腹に詰め込むつもりらしく、運ばれてきたギョロ目の大魚の盛り合わせを見て、シャロンは心の中で涙した。