住めば都の掃き溜まり
エドウィン視点です。
王都の西門で衛兵の念入りな検査を受け、そびえたつ壁の中へ入ると途端に辺りの喧騒と、埃と汚水と人の体臭が混じりあった独特の匂いが漂ってきた。
昼過ぎということもあってか通りは人で溢れ、そのあいだを縫うようにして馬車は停車場へと辿り着いた。
下りた瞬間、駄賃目当てに荷物を運ぼうとする子どもらを追い払いながら、エドウィンは辺りにたむろしている御者の一人を捉まえ、日が暮れる前にはオリンズヘ着きたいと銀貨をちら見せすると、彼は力強く頷いた。
「おうよ、待っててくれ、今さっと行って一杯ひっかけてくっから」
そのまま彼は酒場へ向かい、一刻するかしないかのうちに戻ってきて、馬を馬車に取りつけ始めた。
運よくまともな部類の御者――――――ひどいのになるとぐでんぐでんに酔って帰ってくるのがおち――――――を選んだことに安堵しながら再び馬車に乗り、一気にオリンズへ向かっていった。
オリンズは北西の商業地区部分にあり、さほど遠くはない。北西に行けば行くほど治安が悪くなるがその分税も安くなるので、金のない庶民は住むギリギリのラインを見極めて家を選んでいるのである。
一番大きな中央通りまで行かず、その四、五本前の通りを曲がり、ガタガタ揺られながら細い裏道をさらに曲がること三回、やっとエドウィンは友人の住む下宿に到着し、玄関のノッカーを叩いた。
しばらくして、はいよとしわがれた声とともに、年寄りで痩せてはいるがかくしゃくとした、女主人メイリヤが現れた。
彼女はしばらくエドウィンを上から下までじろじろと見た挙句、つっけんどんに、
「食料や料理器具ならまにあってるよ」
「いえ、違います。私はエドウィン・エドウィンという者ですが、ガーディス・ハモンドさんはおられますか?」
「……ああ、エドウィンさんかね。随分みすぼらしくなっちまって。あの男はいつものように二階に籠もりっきりだよ。金の無心なら期待できそうもないが」
「いやいや、そういう話ではなくて。しばらく王都で仕事をするので、部屋を借りたいと思いまして」
「そりゃあ……」
メイリヤはそう言ったっきり、しばらく絶句していたが、やがて首を振ると二階へと案内してくれた。
「ここだよ。別にあたしゃどうこう言わないが……まあ、中を見て決めるこったね。ハモンドさん!エドウィンさんが尋ねてきてくだすったよ!」
そうドアの外から声をかけたかと思うと、それじゃと早々に一階へ引っ込んでしまった。
しばらく待ってみたが、ガーディスの返事はない。ドアには鍵がかかっていないようなので、ノブをひねり、一気に押し開くと、部屋の中には煙が充満していた。
「うっ」
煙草の煙と薬品の入り混じった匂いに、布で鼻を塞ぎつつ大声でガーディスを呼ぶと、かすかにうめき声が奥の方から聞こえてきた。
……どうやらまた煮え詰まっているらしい。
本来ならリビングのはずの場所は……ごみ溜めにも似て、絨毯には煙草の灰が撒き散らされ、テーブルにはグラスや空き瓶、得体の知れない枯れ草の山が並べられ、長椅子にはくしゃくしゃな鳶色の髪と無精ひげ、青白い顔の男がグラスの中の濁った液体をぼんやり見つめている。
「おいガーディス、ガーディ、起きろッ」
大声で叫ぶこと二回、彼は充血した虚ろな眼差しをこちらに向け、しばらく黙っていたが、やがて徐々に焦点があってきた。
「エドウィン?なんだ、いつ入った。失礼じゃないか、ノックもなしで」
「いや、ノックはした。このやりとりも久しぶりだ……」
エドウィンはまわりの惨状を見つめてため息を吐いた。
「部屋?……部屋か。いいぞ、てきとうに使え」
ガーディスはごそごそと足元の箱から煙管を取り出し、葉を詰めて着火石で火を点ける。続けてうまそうに吸って、煙を吐き出した。
それを見たエドウィンは無言で窓に立ち、木戸を全開にして部屋の空気を入れ変えた。
「あああ、め、目が……くっ、何をする」
「……」
西日に射られた目を押さえて涙をにじませる男を生ぬるく見やり、食事は、と尋ねると、
「知らん。いや、メイリヤが何か用意してはいるようだった。多分その辺に……」
そうやって差し示したテーブルの下で、干からびた鶏肉らしき物体がいくつか転がっていた。
なんとか人の居住空間らしくなるよう片付けをすませると、あらためてガーディスが、よく来たなと、埃まみれの棚からグラス二つを取り出し、布で拭いてワインを注いでくれる。
「で、しばらくいるんだったな」
「ああ、とりあえず、商品を売りさばくまで。そっちの研究はどうなんだ」
「今は、ピュピュレアの効能を調べている。これを服用したり、いぶした煙を吸い込んだりすると、天使の後光のような黄色い輪が人の頭上に見えてくるようなんだ」
目を輝かせてそんなことを言ってくる。
ピュピュレアというのは、世間一般で毒草と言われていたはずなんだが……。
「…………それほど研究が忙しいなら、宿は別に取ることにする。邪魔はしたくない」
「そうか?悪いな」
命を危険にさらしたくないエドウィンはタダ宿に見切りをつけ、まだまだ研究のことを話し足りなさそうな表情のガーディスに宿を探すからと断って席を立つ。
「待った。おまえに貸すものがある」
ガーディスは何やら戸棚の奥を漁っていたかと思うと、布に包まれた重いものを手渡してきた。
「……これは」
中にあったものを見てエドウィンは言葉を失った。
「火打石式着火銃だ。最近何かと物騒だからな。護身用に持ってけ」
「これほど物騒なものもないだろうに」
闇市に売れば、これ一つで豪邸が買えてしまう。
しかし、彼は譲らず、結局それを懐に入れ、持っていく羽目になってしまった。