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サマーバケーション(仮)

作者: なごみ
掲載日:2026/07/22

 ライルが「旅行に行こう」と言い出したのは、

 少し大きな仕事が終わったときだった。

 

 居間に、一瞬沈黙が流れる。

 誰も、すぐには口を開かなかった。


「旅行ですか!」


 珍しくセレナが大声を上げ、静寂を吹き飛ばす。

 それを見たライルはニヤリと笑い、

 勢い良く立ち上がる。


「一泊二日!三人で!」

「泊まりですか!」


 私の耳をライルとセレナが破壊する。

 持っていた紅茶を喉に流し込み、ゆっくりと置く。


 ——正直な所、私も旅行は楽しみだ。

 ただ、問題はあのライルが発案者という所だ。


「ちなみに、どこに行くつもり?」

「え、まだ決めてないよ」


 ……旅行を散歩の延長と考えているらしい。

 私の不安を掻き消すように、セレナが身を乗り出す。


「もしかして……今から決めていいんですか!」

「みんなで決めたら楽しいと思ってさ」


 本当なのだろうか。

 いや、セレナが行きたい所があるなら、

 その方が絶対にいいはずだ。


「私……海に行きたいです」


 そう言ってから、

 セレナは顔が俯く。

 

「海かぁ、僕は山の——イタッ!

 ……いいよね、海」

 

 ……海。

 今の季節ならちょうどいいかもしれない。


「遊びます? それとも、のんびりですか?」

「両方しよう!」


 ライルは即座に反応し、満足そうに腕を組む。

 その反応の速さが、逆に少し怖い。

 ——ライル、絶対に深く考えていない。


「宿は?」

「今から探す!」


「計画は?」

「これから考える!」


 頭が痛い。

 

「……はぁ。そっちは私が考えるから、

 二人はやりたいこと考えてなさい」


 そう告げた瞬間、

 セレナの表情がぱっと明るくなり、

 ライルは「流石、アリス!」と気楽に笑った。


 ——ああ、この人は昔から変わらない。


「海、初めてなんで、ちょっと……貝殻集めしたいです」

「僕は美味しいご飯の制覇かな」

「制覇する必要はないわ」


 即座に切り捨てると、

 ライルは肩をすくめて「冗談だって」と言う。

 冗談にしては、目が本気だったけれど。


 きゃあきゃあと騒ぐ二人を眺めながら、

 溜め息が出てしまう。


 私は、こういう無計画な旅行が苦手だ。


 そう思っていたはずなのに、

 気づけば、予定表の余白に

 小さく丸をつけていた。


 海の匂いも、波の音も、

 まだ見ぬ景色も——

 きっと、この二人となら悪くない。


 一泊二日、三人の夏休み。

 思った以上に、賑やかなものになりそうだ。



——



 出発の日の朝は、雲ひとつない晴れ空だった。

 照りつける太陽の下、

 ライルとセレナは欠伸をしている。


「二人とも、ちゃんと寝れたの?」


 揃って首を振る二人に笑いそうになる。


「子どもじゃないんだから」


 ライルは寝癖を手で押し付けながら笑い、

 セレナは小さく目を逸らした。


「いやぁ、旅行なんて久しぶりだから。ついね」

「つい、じゃないわよ」


 そう言い返していると、

 真新しい鞄を小脇に抱えたセレナが頷く。


「私も楽しみで、ちょっと寝付けなくて……」

「セレナはいいのよ」


 ライルが「扱いの差がひどい」とぼやくのを横目に、

 懐中時計を取り出し、時間を確認する。


 予定時刻まであと少し。


 目の前には荷馬車の待合所。

 今回のために朝一番の便を確保したのだ。


 決められたルーティンをこなすように、

 時間通りに馬車が現れた。


「荷物貸して」

 ライルが当然のように、腕を突き出す。

 

 セレナの鞄も両脇に抱えながら、

 荷台にゆっくりと置いている彼を眺めていると、

 背中を突かれる感触がした。


「なんだかワクワクしますね」


 背後でセレナが両手を握りしめていた。

 三人とも、普段から馬車は使っているわけで、

 私の鼓動はいつも通りのままだった。


 ……はずなのに、

 なぜか、懐中時計を握る指に力が入っている。


 返事をしたくても、言葉を取り繕うには、

 少し勇気が足りない。

 私は小さく笑って頷くしかなかった。


「二人とも、乗りなよ。置いてくよー」

「行きましょ、セレナ」

「はい!」


 私たちを乗せた馬車は静かに出発した。



——

 


 馬車は街道を進んでいた。

 規則正しく揺れる車輪の音が、妙に心地いい。


 セレナは過ぎていく街道を静かに眺めている。

 ライルは……寝ている。


 時計の針は出発から二つほど時を刻んでいる。

 予定では、あと一時間程で着くはずだ。

 計画通りの進行に自分を褒めてあげたくなる。


「アリスさん」


 小さく呼ばれて、顔を上げる。

 セレナは外から視線を外し、こちらを見ていた。


「何?」

「ありがとうございます」


 ありがとう?

 感謝されるようなことをした覚えはない。


「別に、いつものことよ」

「ふふ、そうでしたね」


 セレナはそれだけ言うと、再び外を眺め出した。

 馬車の中を、再び車輪の音が包み込む。

 差し込む陽気がほんのり強くなった気がした。



——



「途中から寝ちゃったよ。

 最新の馬車ってすごいんだね。ベッドかと思った」


 ……あなたはどこでも寝れる人です。

 そんな言葉を飲み込む。

 

 振り向くと、海原が辺り一面に広がっている。


 ついに来た。

 不思議と足が軽くなる。

 

 煌めく背景を背に、

 セレナは周りをきょろきょろ見渡している。


「こんなに早く着くんですね」

「ちょっと特別な馬車だから早いらしいよ、すごいよね」


 潮騒には似つかわしくない会話が、

 妙に面白く感じる。


「海、行っちゃいますか」


 ライルが手を叩き、ニヤリと笑う。

 私の計画では……。


「行きます!」


 満面の笑みのセレナを見て、言葉に詰まる。

 

 ——計画では、まず荷物を宿に置いて、

 それから昼食を取って、それから——


 頭の中に並べていた段取りが、

 波打ち際に書いた文字みたいに崩れていく。

 

「……行きましょう」


 懐中時計に指をかけようとして、止めた。


 荷物を放り出して走り出そうとするのを阻止して、

 私は砂浜に荷物を置かせる。

 その隙に、二人はもう駆け出していた。


「貝殻って、こんなに白いんですね」


 セレナがしゃがみ込み、

 波打ち際から貝殻を拾い上げる。

 手のひらの上でそれを光にかざしている。


「ほんとだ。美味しそう」

「食べるのはやめなさい」


 即座に叩き落とすように返す。


 ライルは笑いながら、

 ズボンの裾をまくって海に足を入れていた。


 ——全く子どもなんだから。


 気づくと、

 砂浜の熱が靴越しではなく直接伝わっていた。

 

 その瞬間だった。

 ヒヤリとした空気が首筋に漂う。


 ぽつり。


 頬に落ちた冷たさに、反射的に空を見上げる。

 

「……え?」


 ぽつ、ぽつ、ぽつ。

 潮の匂いが薄くなる。


「ちょっと……」


 セレナが空を見上げたまま固まっている。

 雲はある、だけど雨雲には見えない。


「雨?」


 ライルが呑気に言った直後。


 ざあああああ——


 世界が、ひっくり返るみたいに降ってきた。


「……ちょっと、待って」

「狐の嫁入りかな?」


 これは……そんな規模には見えない。

 遠くに目をやると、

 黒々とした雲が近寄って来ているのに気付く。


「きゃあああ」

「あはは」


 なぜか二人が笑っている。

 なぜ笑っているのか、理解できなかった。


「ちょっと、走るわよ!」


 私の声は、

 雨音にあっさりとかき消される。


 セレナは慌てて立ち上がり、

 拾いかけていた貝殻を落とした。


「あ……!」


 波にさらわれて、白い欠片が見えなくなる。


 ——ほら、だから。


 言いかけた言葉は、

 口の中で止まった。


 ライルが、

 躊躇いながら伸ばされたセレナの手を掴んでいた。


「後でまた行こう!」

「……はい!」


 雨に濡れながら、二人は走り出していた。


「ちょっと! 宿は反対——」


 叫ぶ私を振り返って、

 ライルは笑った。


「濡れたまま考えよう!」


 意味が分からない。

 本当に、分からない。


 それなのに。


 履き直した靴の中に水が入り、

 裾が肌に張り付く感触が、

 なぜか嫌じゃなかった。


 懐中時計を取り出そうとして、

 また、やめる。


 今、何時かなんて、

 どうでもいい気がした。


 雨は容赦なく降り続けている。

 計画も、予定も、

 きれいに洗い流すみたいに。


「アリスさん!」


 セレナが振り返って、

 濡れた髪が頬に張り付いたままで、笑顔を向ける。


「楽しい、ですね」


 ……本当に。


 私は小さく息を吐いて、

 覚悟を決めた。


「風邪引いたら、二人とも覚悟しなさい」

「えー」

「はい!」


 文句と返事を正面から浴び、

 私は勢いよく走り出す。


 濡れた砂浜は滑りやすくて、

 思ったよりも、ずっと不安定だ。


 それでも。


 一泊二日、三人の夏休みは、

 どうやら、予定通りには終わらないらしい。


 ——悪くない。


 そう思ってしまった時点で、

 もう、私は負けていた。

読んでいただき、ありがとうございました。

自分のキャラクターを使った短編です。


これは、普通の冒険譚だと思っていたけど──たぶん僕だけがそう思っている

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