公爵令嬢を拾った魔王
やはり人間でも魔王でも、朝の一杯といえばコーヒーである。微糖すら許さない、ブラック一択の。
「人間の世の中とは物騒なことばかりだな」
今日も今日とて魔王ルカードは、書斎の窓辺で王国日報を広げていた。
紙面を賑わせるのは、『ゴブリン大量発生』、『ダンジョン三十一階層にてAランクパーティー二部隊行方不明』、『王都市場にて盗難事件』など、人間社会の騒がしい話題ばかり。
俺自身には関係のない話とはいえ、人間どもの動向を知っておくに越したことはない。
王国日報を閉じ、コーヒーを一口。
静かな朝だ。
鳥のさえずりが聞こえ、森を吹き抜ける風が木々を揺らす。
そんな穏やかな時間を切り裂くように、不意に空気が揺らいだ。
「……結界か」
ルカードはゆっくりとカップを置く。
屋敷全体を覆う認識阻害の結界。
普段は誰にも見つからず、誰も近寄ることはない。
だが、誰かが結界に触れれば、術者であるルカードだけにはその反応が伝わる。
「こんな朝早くに物好きな」
椅子から立ち上がり、書斎を後にする。
玄関を抜け、森の小道を歩くこと数十歩。
結界の境界まで来ると、一人の少女が必死の形相でこちらへ走ってくるのが見えた。
豪華だったはずのドレスは泥と血にまみれ、肩で息をしながら何度も後ろを振り返っている。
その視線の先には、武器を手にした数人の男たち。
「逃がすな!」
「そいつを殺せ!」
少女は追われていた。
そして、結界へ飛び込むように足を踏み入れた瞬間、その身体から力が抜けて倒れる。
状況を素早く判断したルカードは一歩踏み出し、地面へぶつかる寸前で少女を抱き留めた。
「……軽いな」
眠るように目を閉じた少女の顔には、恐怖の色がまだ残っている。
その時だった。
「魔王だ!」
「な、なんでこんな所に……!」
追手たちがルカードの姿を認め、顔色を失う。
ルカードは少女を抱えたまま、静かに男たちへ視線を向けた。
「ここは俺の住処だ、『認識改変』」
静かに唱えると、男たちは互いの顔を見合わせ、魔王に背を向ける。
次の瞬間には綺麗さっぱり彼らは転移していた。
このアブセンティアという魔術詠唱、通称『魔唱』は、詠唱者を伴う側近の記憶をなくすとともに、元の所在地に強制送還させるもの。
「……騒がしい朝になったものだ」
小さく息を吐き、ルカードは腕の中の少女を見る。
年は二十にも満たないだろう。
首元には、公爵家の紋章をあしらったペンダントが揺れていた。
「事情は、目を覚ましてから聞くとするか」
そう呟き、ルカードは少女――ナーシャを抱えたまま、静かな屋敷へと戻っていった。
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