第43話:銀の疾風、金の翼
朝の静寂を切り裂くように、二つの巨大な影が大地と空へ放たれた。
「――行くわよ、モップ! 本気を出して!」
私の呼びかけに応じ、モップは、瞬く間に「終焉の獣」としての真の姿を現す。
白銀の毛並みが陽光を反射し、一本一本がダイヤモンドの糸のように瞬く。その背丈は並の馬を優に超え、踏みしめる大地がその重圧に震えていた。
同時に、グレン様の相棒であるグリフォンのグリーも、大きく翼を広げた。
黄金の羽毛が風を孕み、空気がパチパチと黄金色の魔力の火花を散らす。
ズゥゥゥン!!
モップが大地を蹴った。
爆発的な加速。風景が瞬時に線となって後ろへ流れていく。
普通の馬やユニコリザードでの移動なら、険しい山道を越えて四日はかかる道のり。けれど、この幻獣たちにとって、距離という概念はもはや意味をなさない。
風が耳元を激しく叩き、肺の奥まで冷涼な空気が入り込む。
モップの背中は驚くほど安定していて、私の体を優しく、強固に守る魔力の膜が、風の抵抗を凪へと変えていた。
「……すごい」
視界の下方、街道沿いの木々が緑の絨毯のように流れていく。
上空を滑空するグリーは、一振りの羽ばたきで雲を裂き、空に金の尾を引いていた。
白銀の狼と、黄金の鷲獅子。
二頭の神獣が並んで世界を駆ける光景は、まるでお伽噺の一節を具現化したかのような、言葉を失うほどの威容だった。
山脈を越え、深い谷を飛び越え、私たちは光を切り裂く波となって突き進む。
グレン様の銀の鎧が、私の隣で眩いまたたきを放っていた。
昼を少し過ぎた頃。
かつて私が見慣れていた、あの懐かしい山々の稜線が視界に飛び込んできた。
わずか数刻。伝説の脚力は、人間の常識を嘲笑うかのような速さで、私を原点へと連れ戻したのだ。
村の境界を流れる小川。そのせせらぎの音を聞いた瞬間、私の心臓がキュッと締め付けられた。
村の外れにひっそりと佇む、石造りの小さな小屋。
そこは、かつてジョゼクさんと私が一緒に暮らし、ユニコリザードの幼獣たちを磨き上げた、私の全ての始まりの場所。
「……着きました。ここです」
モップから降りた私の足は、吸い寄せられるように小屋のドアへと向かった。
数年ぶりの帰還。けれど、ドアノブに手を触れた瞬間、私は顔をしかめた。
(……こんなに、時間が経っていたのね)
指先に触れる、分厚い埃の層。
ドアを開けると、中には長らく人の出入りがなかったことを物語る、ひんやりと澱んだ空気が満ちていた。
窓から差し込む一筋の光の中に、無数の埃が躍っている。
棚に並んだジョゼクさん道具たち、私が使っていた小さな椅子。
それら全てが灰色の埃に覆われ、かつての輝きを失っていた。
今すぐバケツに水を汲み、雑巾を絞り上げ、、あらゆる隙間を磨き上げたい――そんな猛烈な衝動が全身を駆け巡る。
「……お掃除したい。今すぐ、隅から隅までピカピカに戻してあげたい」
私の呟きに、後ろにいたグレン様が苦笑を漏らした。
「ミヤコ殿。気持ちはわかるが、今は優先すべきことがある」
「……ええ、そうですわね」
私はエプロンの紐を強く結び直した。
小屋の周囲には、村人を驚かせないようにモップとグリーを待機させることにした。
「モップ、グリーちゃん。ここでいい子で待っていてね。貴方たちがいると、村の皆がびっくりしてしまうから」
「わふん」
「クルルッ」
二頭は心得たようにその場に座り込んだ。
私はグレン様を伴い、重い足取りで村の中心にある合同飼育場へと向かった。
村を歩くにつれ、私の違和感は確信へと変わっていった。
かつては各家庭で慈しまれていたユニコリザードの姿が見えない。代わりに村の中央に築かれていたのは、無機質な石壁に囲まれた巨大な「合同飼育場」だった。
風に乗って流れてくる匂いが、私の鼻腔を不快に突く。
それは、適切な掃除を怠った時に放たれる、獣の脂と排泄物が混ざり合った、ひどく澱んだ匂い。
「……不潔だわ。こんな空気の中で、あの子たちの心が安らぐはずがない」
飼育場の入り口を通り抜け、私たちは世代ごとに分けられた区画を進んだ。
柵の中から聞こえてくるのは、本来のユニコリザードが奏でる美しい歌声ではなく、苛立ちと不安に満ちた、落ち着かない足踏みの音。
私は、視察の目的である「三歳個体」のエリアへと辿り着いた。
どの子も鱗が荒れ、瞳の焦点が合っていない。
一頭の個体に近づき、その角を確認しようとした、その時だった。
「――誰だ貴様ら! この村の者ではないな」
背後から、低く、鋭い声が響いた。
チャキッ、という、鞘から剣が引き抜かれる冷ややかな金属音が、飼育場の重苦しい空気を切り裂く。
「この神聖な飼育場へ、卵を盗みに来たか! 泥棒め!」
グレン様が瞬時に私の前に躍り出た。
彼の腰の剣がわずかに鳴る。けれど、相手が鎧を纏っていない村の自警団のような格好であることに気づき、彼はその動きを止めた。
ゆっくりと振り返った私の視界に入ったのは、一人の青年だった。
かつての面影はある。鼻の頭に散ったそばかす、頑固そうに結ばれた唇。
けれど、その瞳に宿っているのは、かつて一緒に泥落とし遊びをしていた頃の無邪気さではない。
村の富……、この「不潔な産業」を守ろうとする防衛本能。
「動くな! ここで不届きな真似をするなら、容赦はしないぞ。……特に、そのキラキラした鎧の男。武人か何かか? 嗅ぎ回る奴らは、俺がこの手で始末する!」
青年の構える剣の先が、不自然なほどに震えていた。
「……レオ? レオでしょ?」
私の問いかけに、青年の表情が一瞬だけ、音を立てて崩れた。
驚愕。困惑。そして、すぐにそれらを上書きするような激しい怒り。
「ミ……ヤコ……? ミヤコなのか? なぜ……なぜ今さら戻ってきた!」
かつての幼馴染、レオ。
彼が握る剣の重み。そして、その後ろで聞こえる、ユニコリザードたちの悲痛な鳴き声。
再会の喜びなど、微塵もなかった。
夕闇が迫るロシロ村。
私は、不穏な影に包まれた故郷で、この数年間何が行われてきたかを知ることになる。




