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如月令嬢は『春宵の鼻端を笑わない』  作者: アリス・リゼル


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EP,Spring ~section5:『暗渠の底と、最後の拾得物』~

 翌日の放課後、月見坂市の空は不気味なほど澄み渡っていた。

 昨日、図書室であの石のレコードから聞き取った『声』の残響が、耳の奥にこびりついて離れない。街の完璧な舗装の下に隠された、三十年前の欺瞞。僕は如月さんに指定された通り、汚れの目立たないウィンドブレーカーを羽織り、彼女と共に第四区画――現在のスマートタウンの中枢である「月見坂データセンター」へと向かった。


 ここは無機質な強化コンクリートの壁に囲まれ、何千台ものサーバーが唸りを上げている。街の全データが集約・管理される、いわば月見坂の『心臓部』だ。


「如月さん。ここ、警備員こそいませんが、ゲートのセキュリティは最新のはずです。どうするつもりですか?」


 僕の問いに、如月さんは答えない。

 彼女は悠然とした足取りで、センターのメインゲートへと近づいていった。監視カメラのレンズが僕たちの動きを追って静かに旋回する。如月さんが無造作に顔を認証パネルへ近づけると、システムは一瞬の迷いもなく『K-01』の識別コードを表示し、重厚な強化ガラスの扉が左右に滑り出した。


「お主は相変わらず、わしの立場を忘れがちじゃのう。如月コンツェルンがこの街に提供しておるのはインフラだけではない。このシステムの『根源(ルート)』そのものじゃよ」


 如月さんはそう言って、驚く僕を置き去りにして中へと進んだ。

 だが、彼女が向かったのはサーバーラックが並ぶ清潔な部屋ではなく、メイン棟の裏手にある、資材搬入口の地下階だった。そこは、再開発の際に切り捨てられた古い施設と、最新の設備が交差する、この街の『継ぎ目』のような場所だ。


「ここじゃな。サクタロウ、あの点検口を開けよ」


 彼女が指し示したのは、最新の配管の陰に隠された、ひどく古びた鉄製のハッチだった。

 表面には『月見坂市・雨水』の文字が刻まれている。如月さんは、この場所がかつての『石の家』の直上に位置することを、古い測量図から導き出していた。


 僕は持参したバールを隙間に差し込み、全身の体重をかけて蓋をこじ開けた。

 ズズ、と石と鉄が擦れる不快な音が響き、中から吹き出してきたのは、昨日井戸で感じたものと同じ、死んだ空気の匂いだ。


「如月さん。鑑定のために、わざわざこんな地下まで降りる必要があるんですか?」


「モノの価値とは、それが置かれた背景によって決まる。……あの石のレコードに刻まれていた『空洞』の正体が、ただの地質の不具合か、あるいは人為的な悪意の隠れ蓑か。それをこの目で見極めねば、鑑定士として正確な評価を下せぬではないか」


 如月さんは懐中電灯を点灯させると、自ら梯子に足をかけた。僕は慌てて彼女を制し、先に下りて足場の安全を確認した。


 地下五メートル。そこは、直径二メートルほどの古いトンネルだった。

 新設された下水道網から外れ、排水バイパスとして放置された暗渠(あんきょ)。足元には数センチの泥水が溜まっており、壁には所々、不自然な亀裂が走り、地下水が絶え間なく滲み出している。


「如月さん。上を通る大型車両の振動が、ここまで直接響いてきます。壁のひび割れ、昨日より広がっていませんか?」


「そうじゃな。地盤が限界に達し、構造物そのものが歪み始めておる。……倉田とかいう男が三十年前に案じた通り、この街の心臓は、薄氷の上に建っておるな」


 如月さんは全く動じることなく、暗渠の中を第四区画の中枢部へと向かって進んだ。

 五分ほど歩いたところで、通路の右側に、周囲のコンクリートとは明らかに質感の異なる『石積みの壁』が現れた。


「如月さん、これ……」


「ここじゃな。再開発以前からあった、古い水抜きの坑道じゃ。……見てみるがよい、この石の積み方。接着剤を使わず、石の自重と噛み合わせだけで強度を保つ『空積み(からづみ)』。あの老いぼれの家――『石の家』の職人たちが手がけた、伝統的な技法じゃ」


 如月さんのライトが照らし出したのは、石壁に開いた、子供一人がようやく通れるほどの穴だった。周囲の石は無理やり抉り取られたような跡があり、三十年前の混乱を物語っている。


 僕たちはその穴を潜り、さらに奥へと進んだ。

 そこは、人工的な暗渠とは全く別の、異様な空間だった。

 天井は十メートル以上もあり、ライトの光が奥まで届かないほど広い。足元は砂利と粘土が混じり合い、至る所に巨大な鍾乳洞のような『空洞』が広がっていた。


「……なんて広さだ。これが、隠蔽された地盤欠陥……」


「これほどの規模の空洞があれば、上部に建つ数千トンの建築物を支えることなど到底できぬ。……あやつらは、この巨大な穴の上に薄いコンクリートの蓋をし、その上にこの街の心臓を建てたんじゃ」


 如月さんはライトを足元に向け、何かの痕跡を探すようにゆっくりと歩き出した。

 彼女の鑑定士としての目が、闇の中に沈む『真実』を捉える。


「サクタロウ。……あそこを見よ」


 如月さんが照らした先、空洞の最奥、最も地盤が沈み込んでいる場所に、一つの『塊』があった。

 それは、泥と埃にまみれた、小さな古い布カバンだった。


 僕はぬかるむ足元を慎重に進み、そのカバンを拾い上げた。

 カバンの中には、色褪せた初等部の教科書と、一冊のスケッチブック。そして、一つの小さな、しかし精巧に彫り込まれた『石の印鑑』が入っていた。


 印鑑の底面には、力強い文字で『遠野』と刻まれている。

 スケッチブックの最後のページには、鉛筆の震える文字で、こう書き残されていた。


『お父さんのハンコ、見つけたよ。これでまた、お店ができるね』


「……如月さん。菜々美さんは、ここまで逃げてきたんですね。父親の仕事道具を取り戻し、そして男たちの密談を聞いてしまった後……」


 僕は、そのスケッチブックの隅に付着した、黒いシミを見つめた。それが雨水によるものか、あるいは彼女の涙だったのか、今となっては確かめる術はない。


「彼女はここで、この街の欺瞞と、父親の無実を証明するための『最後のモノ』を守り抜いた。……だが、その願いが届く前に、この空洞の闇に呑み込まれ、病に伏した。……鑑定終了じゃ。サクタロウ。お主の手にあるそのカバンこそが、三十年間この街が拒絶し続けた、本物の価値を持つ拾得物じゃよ」


 如月さんの声には、いつになく静かな熱がこもっていた。

 彼女はカバンの中身を検分すると、満足そうに頷いた。


「如月さん。これを……どうするつもりですか。このままでは……」


「わしはこの鑑定結果を、適切に公表するだけじゃ。……お主、明日、この街の主要ニュースに注目しておくが良い」


**


 翌日。月見坂市に激震が走った。

『月見坂データセンター地下に致命的な地盤欠陥を確認。三十年前の隠蔽工作を示す決定的証拠が匿名で提供される』という見出しが、街中のサイネージを埋め尽くした。


 提供された証拠には、三十年前の現場責任者たちの肉声データ、そして地盤の崩落を予見しながら工事を強行したことを示す当時の内部資料が含まれていた。

 市役所は即座に緊急会見を開き、データセンターの稼働停止と、周辺住民の避難を発表した。


 僕たちが持ち帰った石のレコードやスケッチブックが、どのような経路で公になったのか。如月さんは何も語らなかった。

 ただ、放課後の図書室で、彼女はいつも通り優雅に紅茶を飲みながら、一通の報告書を眺めていた。


「如月さん。……あのおじいさん、どうなったか知っていますか?」


「……市から正式な謝罪と、不当な立ち退きに対する多額の賠償金が支払われることが決定したようじゃな。……まあ、あの老いぼれにとっては、金などよりも、娘が命を懸けて守った『真実』が証明されたことの方が救いになったじゃろうがの」


 如月さんは窓の外を見た。

 第四区画の方は、重機や調査車両が集まり、物々しい警戒態勢が敷かれている。


「如月さん。……あのおじいさんを助けたかったんですか?」


「助けた、などと心外なことを言うな。わしはただ、モノがあるべき場所へ戻り、不純物が取り除かれるのを好む鑑定士じゃ。……あの石のレコードも、菜々美という少女のカバンも、暗い地下に埋まっておるべきではない。……それが表舞台に出た結果として、街の秩序が一度崩壊し、老人が救われた。……それは、わしの鑑定作業の副産物に過ぎぬよ」


 彼女はそう言うと、立ち上がって本棚の奥へと向かった。


「サクタロウ。今日の仕事は終わりじゃ。……あ、そうじゃ。この本を元の位置へ戻しておけ。……紛失ではなく、再発見(リターン)としてな」


 彼女が僕に手渡したのは、あのタイトルを削られた郷土史の本だった。

 驚いたことに、その背表紙には、如月さんの筆致で、美しく新たなタイトルが書き入れられていた。


『月見坂・失われた記憶の欠片』


 僕はその本の重みを感じながら、深く頷いた。


「……はい。如月さん。すぐに戻しておきます」


 新校舎から聞こえてくる放課後のチャイムが、どこか遠くの出来事のように感じられる。


 完璧なスマートタウンの仮面を剥ぎ取り、モノが秘めた情念を鑑定する。

 それが如月瑠璃という人の『日常』であり、僕に与えられた『助手』としての時間。

 この旧校舎の図書室には、今日も僕たち二人以外の足音は聞こえてこない。


 窓の外では、季節外れの強い風が吹き抜け、散り残った桜の花びらを巻き上げていた。

 一人の少女が三十年前に止めた時間が、今、ようやく動き出したのを感じながら。


「サクタロウ。ぼんやりしておる暇はないぞ。帰る準備をせよ」


 如月さんの凛とした声が、夕暮れの図書室に響く。

 僕は、彼女の後ろ姿を追って、静かな廊下へと一歩を踏み出した。



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