死亡九日前
忘れていたわけではないが、田村さんの彼氏との記憶視聴が残っていた。
別に観なくてもいいか、と思ったが、駄女神が「いや観ておいてください」と強要するのでしょうがなく流し観感覚で観ることにした。
棚沢さんに転生してまで聞き取りは不要だろう、基本イケメンだし。
「あなたは変化していましたが、その記憶がないあなたは、文字通り残念な陰キャですね」
女神にそんな断言をされながら、記憶視聴を開始した。
・
「お前、田村と最近一緒にいるんだってな」
田村さんの彼氏に胸ぐらを掴まれている状況からだった。
しかも放課後四時過ぎ。教室に夕日が差し込んでいる。
校内に残っている生徒は楽しく部活中の騒音が聞こえている。帰宅部はとっくにいない。学校関係者が少なくなる時間帯だ。
そんな時間帯の誰もいない視聴覚室。
文科系の部活もない、人気がなくなる特殊教室棟。僕はイケメンに胸ぐらを掴まれて制服に皺を寄せている。イジメ以外の何ものでもない。通報案件やろ。
僕は顔を青白くしながら「べつに」などと極小に絞った声で答えている。案の定、
「はぁっ!! なに言いてんだよ? ハッキリ喋れや?!!」
と、恫喝されている。
コミュ障はどうあがいてもコミュ障。少し女子と会話する機会が増えたところで本質的な部分はなにも変わらない。
このままトイレの水でもぶっかけられることを想像したが、田村さんの彼氏はもごもごしている僕を睨みながら手を離し、手近な椅子を引くと、そこに座った。目の前の椅子を指さしている。
「座れよ」
僕は田村さんの彼氏から三つほど離れた席に座った。
田村さんの彼氏は露骨に渋い顔をしたあと、二つほど近くの席に座り直してきた。
「勘違いするなよ。別におまえを脅してびびらせてどうにかしようとしているわけではない」
胸ぐら掴んで大声で恫喝しておいて、びびらせるつもりはなかった、とのこと。
ほぼ同じ十六年という歳月を生きてきたはずだが、生きてきた世界線、いわゆる文化が違いすぎて失神しそうだ。
「ただ田村が最近楽しそうだからよ。それでなんでおまえがそんな楽しそうな田村の隣にいるのか訊いておこうと思ってな」
「べつに」
「べつにおまえが田村をおれから奪えるなんて一ミリも思ってねえから安心しろ。ただ田村がずいぶん楽しそうなのは事実だ。だから訊いてんだよ。どうしたら田村はあんな顔すんだよ」
担任教師の弱みを握っているんです、と答えてしまえば楽だったが、案の定僕はもごもごしながら「いや別にそんなことないっす」と、だけだった。
田村さんの彼氏は困った顔をしながら腕を組む。このままでは埒があかないということにようやく気づいたらしい。
「おまえさ、どうやったら普通に話せるわけ? とりあえずそれから始めようか」
田村さんの彼氏は丁寧に、小学生低学年の気弱な男子生徒と接する上級生のような立ち回りを始めた。
我のことながら少し残念な気持ちが芽生えてくる。
僕は変わることなく、いや無理ですごめんなさい、とだけ返しているだけだった。
こりゃだめだ、完全に意固地になってもうなにも話さないモードになっている。
こうなった陰キャオタクはだるい。とにかく殻にこもってしまった状態なので、出てくることが基本的にない。殴って引っ張り出すしかないが、イケメンくんはそういう手段はとらないようだ。
つまり手詰まり。
田村さんの彼氏は困った顔のまま、腕を枕にして机に突っ伏した。
「そんなにキライかよ。おまえらみたいな奴らと関わってはいないが、いじめているわけではないと思うんだがな」
それは確かにそうだ。
記憶のある限りに置いても、この田村さんの彼氏から暴行や過度な無視を受けた記憶はない。
ただあんたみたいなヤクザ顔の陽キャは存在するだけで恐怖なんだよ、というべきだろうか。そういう風な言い回しにしてしまうと、僕らみたいな弱り顔の陰キャなんて存在するだけでうざいんだよ、と返されてしまうのだろうか。
肉食獣と草食獣を同じ檻の中で長期間生活させたら、どちらにしろストレスはたまるということだ。
「まあいいや。これ連絡先。言いたいこととか、おれ以外の誰かに恐喝されたら呼べ。助けてやるよ」
「え」
「とりあえず信頼構築から始めようか。有り体に言うと、友達になってやるよ。おまえはおれの彼女を楽しませている娯楽みたいだからな」
田村さんの彼氏はそういうと席を立った。
「連絡しなかったら明日朝、訊きに行くからな。きちんと連絡しろ」
そして当時の僕にとって過酷な数日間がスタートしたようだった。
そして記憶視聴を開始して初めての日付またぎになった。田村さんの彼氏の話なのに。
完全に駄女神の嫌がらせだった。