1日目
僕はどうやら、死んでしまったようだ。
肌感覚として理解できる。確信してしまう。
目が覚めると怖い夢をみていた、と一瞬で理解できてしまうように、自分が死んでしまった、と一瞬で理解できた。
死んでしまったことは理解できる。
理解できない、あやふやなことがある。
記憶だ。
自分自身に関しての記憶はある。十五年ほどの人生で、陰キャ系微オタク童貞冴えない高校生などなどのイメージが一瞬で頭によぎる。
自分自身の個人情報については、十二分に理解できている。
ただ、死んでしまった経緯が、わからない。
死因が。
理由が、わからない。
事故なのか病気なのか自殺なのか、世界に隕石が落下したのか。
死んでしまった前後の記憶が、完全に消失していた。
覚えている記憶を整理しよう。
下の名前は一生。一生と書いていっせいと読む。
札幌市立平岸高校二年生。
今は三月の上旬のはず。卒業シーズンを控え、どこか寂しさと切なさが彩る季節。
北海道札幌市という寒冷地帯ゆえ、いまだ桜が咲く季節ではない。桜は5月だろう。常識的に考えて。
肌寒く、路肩にはまだ圧雪が残っている。雨ではなく湿った雪が降る季節。溶け始めた雪道を踏みつけて、靴はおろか、靴下まで一瞬で湿ってしまう不愉快な季節。気まぐれのように雪が降り積もり、一晩で景色が変わる季節。
そんな季節に、僕は空にぷかぷか浮かんでいた。幼子から手放された風船状態だ。
見慣れた景色が、見慣れない光景で広がっていた。気球か、大型ドローンに吊るされていない限り、お目にかかれない風景だ。地上10階建てぐらいのはずの平岸団地の屋上にある給水塔を見下ろしていた。
札幌市平岸。札幌市内へ続く平岸街道。豊平区方面から札幌市内中心街へ続く通りなので、日中から夜半まで一般車両からタクシー、大型トラックまで交通量は相当なものだ。
見慣れた光景でも視界が変わると絶景だった。死んでしまっているはずなのに、そんなことが頭をよぎる。意外と絶望はしていないんだな、と思った。そういうマインドセットで生きてきたんだから、しょうがない。
ぷかぷか風任せに流されてしまった風船のように宙を漂いながら、状況を改めて、考えることにした。
やはり俗にいう幽霊と呼ぶべき状態なのだろうか。
それにしては多少の違和感がある。
まず、僕以外の幽霊がどこにもいない。
地上を歩ている人間と幽霊の差分は、わからないが、空を漂っている幽霊らしき存在は僕以外にいなかった。犬や虫のような幽霊もいやしない。
如何にもな、路地裏の隙間になっている通りや、人気のない裏通りもさまよってみたが、やはり幽霊らしき存在は発見できなかった。
そして幽霊としてこの世界に残されてしまったにしては、記憶が曖昧すぎる。
どうして死んでしまったのか、だ。
記憶がないことが違和感だ。
死んでしまったのに、この世に存在してしまっているということは、この世になにかしらの強い想い、執着が残っているから、ではないのだろうか。
だから死してなお、この世にとどまるのではないだろうか。正確な定義は、いや定義済けするほど正確な情報ではないとしても、だ。
理由もなく、死んでしまった存在が、留まるものだろうか。
さらにいうなら、正直、僕は長生きしたいような性分ではない。
陰キャとして高校生まで生きてきた。
小学生低学年時代はともかく直近は友達、親友はゼロ。彼女なにそれフィクションが生み出した幻影だろ? という立ち位置。人生50年は長い。平均寿命70後半? ほんと普通に生き地獄。割と油ものやお菓子類などの不健康な生活を送っているが、それは積極的な生を謳歌するというよりは、怠惰な自殺行為をおこなっているメンタリティが正直近い。
かといっていきなり自殺してしまうような勇気だってありはしないと思っている。ゆるやかな受動的なそれだから納得できる。自己意思で積極的にするまで、絶望はできていない。
それにしても、だ。
幽霊は僕しかいないのだろうか。
札幌市周辺でここ数日のうちに死亡したのが僕だけなのだろうか。
いやいやそれは無理筋だろう。
正確な数字は知らないが、事故にしろ病死にしろ寿命にしろ、そんなわけはないだろう。両親が無理やり新聞拡張員にとらされた新聞をちらちら読んでいるが、毎朝お悔やみ欄には十数人の高齢者が残っている。
この世界では、僕だけが、特別に幽霊となってしまったのだろうか。
それともこれから、天国か地獄へ行くことになるのだろうか。
閻魔大王様が連日連夜ハンコを押しまくってお仕事してそうな役場や連れていってくれる案内人はやってこない。
風に流され続ける風船ごっこをやりながら、放置されている状態だった。
宇宙まで飛んでいきそうな風船なら浪漫もあるけど、団地の屋上を見下ろせる辺りで上昇は終わってしまい、あとはぷかぷか放流状態が継続。
正直困っていた。こんな状態になったことへの担当者がいるなら、そいつはきっと仕事の出来ない駄目野郎だ。
試しに喉を潰すつもりでガチの大声で助けを呼んでみたが、大声は空に吸い込まれていき、絶望感が増すだけだった。
なのでできることをやってみることにした。
自分の生きていた頃の痕跡を探すことにしたのだ。
死亡現場は、まったく思い出せない。
死んでしまったということはやはり強く理解できるが、死亡前後に関してはなにも思い出せない。
僕自身の個人情報はいくらでも覚えていた。
まずは通っていた平岸高校へ向かうことにした。
友達はほとんどいないはずだし、思い出も思い入れも全くないのだが、向かうことにした。悲しいことがあったという記憶すら無いと確信してしまう、悲しい思い出しかないはずだが、平岸高校へ向かう理由がないわけではない。
僕は全裸の幽霊ではなく、平岸高校の制服を着ているのだ。
着ているブレザーが「平岸高校の制服」である、ときちんと僕は確信し、認識している。登校中か下校中に死んでしまったと考えるのがスジだと思った。
二年近く通った見慣れた高校の全景を見下ろす。思い入れは皆無だが、毎日通っていたせいで一定の郷愁感がないわけでもない。
卒業したあとはこんな感情になっていたのだろうか、と一瞬考える。それからすぐに笑ってしまった。卒業したあとの小学校や中学校に、一度でも訪問したことがあったのだろうか。卒業生として学校にフラっと顔を出したことは、出そうとしたことはあっただろうか。ない。そういうことだ。僕はそういう側だ。
死んでしまったという事実に、少しだけ感傷的になっているんだと、ようやく自覚した。
壁なども通り抜けようと思えば通り抜けれるようだ。
でもなんとなく律儀に開けっ放しになっている正面玄関から校内へ侵入。授業中らしく、教室からは勉学に勤しむ物音と教師の声がする。
時間感覚はなくなっていたが、太陽はまだあがりきっておらず、校舎の壁にかかっていた時計の太針も九時台を指していた。
二年の二組を覗く。
毎日すれ違ったり、トイレでたまに一緒になったり、たまに体育の授業で一緒のメンバーになったりする、寄せ集めになるいつもの奴らがいる。会話したりご飯食べたり、と出てこないあたりがミソだ。
僕の机の上に、花瓶があった。名前は知らないがよくドラマとか映画で置かれているような花っぽい。一輪飾られていた。
いじめに遭っていた思い出がない以上、僕は紛れもなく死んでしまったようだ。
「ちょっとよろしいでしょうか」
そうしてそのときそんな声をかけられた。
不意をつかれた。変な悲鳴をあげてしまった。ギャア的な悲鳴だ。無論、授業中の教室からは、誰からも視線が飛んでこない。
ただ声をかけられるとは全く想像していなかった。
そいつは。
教室の人間ではなかった。人間ですらなかった。
どこか清楚な格好をした、超然とした宗教めいた格好でもある。
「私、この地球圏で女神的な仕事を担当している女神でして。一生さんの現在の状況について説明に参りました」
どうやらようやく天国か地獄への案内人がやってきたようだ。僕が花瓶を確認することで死を認識したのでやってきたのだろう。
「いえ、別にそれは関係ないです。あなたは天国か地獄的なところではなく、異世界に転生してもらいたいんです」
なんだか地の文を、心を読まれてしまったような気がする。
女神がにっこりと笑う。「これでも女神ですからっ」
正直にいおう。
愛らしさがないわけではない。ただなぜかウザさが勝っていた。
地球圏を区域内と自称する女神の話を統合すると、どうやらこの女神はかなりの駄女神様のようだ。今後は駄女神とこっそり呼んでおこう。
「あなたは異世界を支配しうる特殊能力、スキルを多数お持ちなんですよ。地球圏で生きているうちは顕現しない無用の長物ですが」
これはまだいい。
わざわざ地球に生きている人類を、異世界転生させるぐらいなのだから、そこらにゴミのようにたかっているガチ一般人を召還してもしょうがない。
地球という日本という国で生きている限りは、一生使い道がない、価値のない才能がある、だからその能力を十全に使える世界に転生させる。
まあ納得できなくはない。それはいい。
だというのなら、さっさと今すぐ転生させてくれ、というのが僕の心情だ。
いつまでも思い入れも想い出もない世界で幽霊ごっこなんてしたくない。
そんな僕に、駄女神様は衝撃的な駄女神発言をしてくれた。
駄女神はもじもじしながらも、こちらに媚びいるように上目遣いでもじもじと告白してくる。こちらの性癖を理解してそういうことをしていることが明白なので、特に何も感じない。
「じつは、転生の順番待ちが発生しておりまして」
「おい、駄目神」
「はい……はいっ?!」
「今さっきおれの能力がキテレツにすごいから召還させて活躍してもらうとかいっておいて、順番待ちですって? どんだけ残酷なことしているか自覚はあるんかゴラ」
こちとらそのために死んでいるんだぞ。いやそのためかどうかは知らんがっ!!
「あ、あなたが死んだのは決まった運命みたいなもんなので、実質寿命でして、転生するしないはさほど関係ないです」
無いですかすみませんキモチは土下座。
「なので、あの私の区域内で、あなたが死ぬことが分かったので、その魂、精神を定着させてもらったということです。確かに現状異世界転生者は順番待ち状態が発生するぐらい盛況でして。まあ才能あるっていっても、特別必要ないっちゃないんですが」
それはそれで心にグサってくるね!
「でもあなたほどの潜在能力を保有している転生者も稀です。仮名ですが、あなたの前に転生したA村B太君と比較しますと、あなたが鬼なら、A村B太君はウジ虫ですね」
とりあえず全世界のA村B太君っぽい子に謝れ。
「あなたが今すぐに転生できないのに、幽霊のような状態で保有させていただいた理由はご理解いただけましたか?」
「僕に起こった現象に対して、おまえが全力で駄女神ではないことは、把握した」
「と、いうことなので、ご不便を多分におかけしますが、転生するそのときまで今しばらく幽霊状態でお待ちいただけますね?」
ちなみに転生を拒否して、それこそ地獄か天国のようなところ、へ行くことも可能だという。
「ただ、そっちは管轄外なので、どういう状態になるのか、具体的には説明できません。権限も知識もありません」
駄女神の担当は、地球という世界から、異世界へ有能な勇者や戦士や悪魔になりえる人材を送り込み、世界の均衡を整えることらしい。
要はスカウト担当ということのようだ。
世界には悪が強すぎて虐げられる世界や、勇者が強すぎて政治が跋扈する世界がいくつもあるそうだ。転生者はそういったいびつなバランスへの緩衝材として作用することを期待されるそうだ。
なので僕は苦虫を噛み潰しまくった表情を作ってやる。
「一ヶ月待てば、間違いなく、転生できるんだな」
駄女神は恭しく頭を下げる。
「必ず、お約束いたします」
そうして僕の、異世界転生するまでの三十日間が、始まった。