おやすみなさい、良い夢を。
宴の名残がようやく静まり返った夜。
村の空に、ほんの少し肌寒い風が吹き始めていた。
セレナは居間の焚き火の傍に腰掛けて、ゆっくりと湯を沸かしていた。
その隣には、いつものようにカイが無断で座っている。
宴はなかなか終わらず、今日が最後だということで、別れを惜しむ村人たちの引き留めはとてもしつこかった。最終的には、なおもしつこい村人たちにセレナがしびれを切らし、悪いがお休みの時間だ、と言い放ち、強制的にお別れの言葉を切り上げたことで、村人たちは各々の家へと帰り、ようやくセレナは落ち着くことが出来たという訳だ。
セレナの部屋、特に寝室には、花がいくつも飾られていた。ちなみに、そのほとんどが無断で家に置かれた、村の人たちからの贈り物であった。
見舞いの品の果物、手紙、村人の寄せ書きが、あちこちに山積みになっている。
「……ねえ、セレナ」
カイが部屋の隅でぽつりと尋ねた。
「ほんとに、行っちゃうのか」
「ああ」
セレナは頷いた。やっぱり、顔に表情はなかった。けれども、その瞳には、思案の色があった。セレナは火を見つめたまま、そっと口を開く。
「なあ、カイ……私は、ちゃんと考えたんだ。…最後まで、考えた」
「…なにを?」
「…誰かを置いていくってこと。
自分が、死ぬってこと。
それがどういうことなのか、やっと分かった気がするんだ」
「…………」
沈黙。
蝋燭の炎が、ぱちんと小さく弾けた。
セレナは少しだけ目を閉じた。
「私は、これまでずっと、置いて行かれる側だった。
何百年も、何千年も、友や仲間や、その子や孫や……大切な者たちを見送ってきた。
そのたびに“また、ひとりになった”って思って……けど、それでも私は生きていた」
その声は変わらず静かで、表情もいつも通りの“無”だった。
けれど、その言葉の一つひとつが、ゆっくりと火鉢の炭のように熱を帯びていく。
「いつもいつも、置いて行かれるたびに、私もはやく”そっち”へ行きたいと、そう願っていた。
だから、自分の死期を悟った時は、ようやく、みんなに“追いつける”んだと、心からほっとした。
『今度は私が、あちら側に行ける』と。…本当に、本当に嬉しかったんだ。」
「けれども、私の死に騒ぐお前たちを見ていたら、ふと思った。
今度は、私は“置いていく側”になったんだと。
おまえたちを……今、生きてる人たちを、残していくことになるんだと」
「置いていかれる側の気持ちを、私は嫌というほど知ってる。
…初めは、皆に“追いつく”ために死ぬんだと思っていた。けれど、今ではお前たちが心配でたまらない。私がいなくなっても問題はないだろうが、お前も、村の連中も、感情が大きすぎるきらいがあるからな。
私のせいで、お前たちが悲しんだりするのはごめんだ。」
「…………」
「カイ」
セレナの呼びかけに、カイは泣きそうな顔をする。セレナはそれに一切気づかなかった。もしくは気づいていたけど、何も言わなかったのかもしれない。
──そうして彼女は、優しく俺の頭を撫でて、ただいつものように、静かに言った。これは私の遺言だと、そう言って。
「さっさと私のことは忘れろ。」
「さよなら、カイ」
いつもの声。
いつもの無表情。
なんてひどいことを言う人だと、胸が締め付けられて、苦しかった。そんな俺に向かって、彼女は飽きれたみたいに溜息をついて、そうして、
その口元に、ほんの、ほんの少しだけ。
かすかな笑みを、浮かべた。
それはきっと、俺がこれまで見てきた中で、一番綺麗な光景で、
俺はいつまでも、それこそ死ぬときまで、この光景をずっと覚えているのだろうなと、そう思った。