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死に支度は、着々と。

「セレナばあちゃん!!」


 芳醇な茶葉の香りが部屋に立ち込め、窓からは光が優しく降り注ぐ。まさに、理想的と言えるおやつどき。その空間をぶち壊すがごとく響く、大音量の叫び。セレナは傍から見てもまったく分からない程度に、つまりは極々僅かに眉をひそめ、この村の住人はどうしてこうも声量があるのか、とティーカップを片手に遠い目をする。


 数日前の騒動により切実に静けさを求めたセレナは、ひとり優雅に家で茶をしばいていた。はずだったのだが、近所に住む青年カイが、窓枠を乗り越え、セレナの家に勝手に上がり込んでいた。扉の意味とは一体。


「ほんとに死ぬのかよ」


「…まず、人様の家の窓枠を乗り越えるな…」

額に手をあて、小さな溜息をもらしながら注意するが、眼前の青年はまっすぐ刺すような目で、こちらを見やる。


「…たぶん?」


「いや、“たぶん”で死に装束の準備すんなよ。普通に怖いわ」


「訂正しよう、ほぼ確だ。」


 カイはセレナの返答にぐったりと頭を抱えたが、セレナは淡々と煮干しの内臓を取りはじめる。これまで生きてきた数千年で培った早業により、テーブルの上からはすでにティーカップの類は片付けられており、代わりに夕飯の準備が始められていた。余談だが、それほどの早業を披露しておきながら、セレナの表情筋は一切動かない。常に無である。


「昨日も言っただろう。幻が見えた。あっち側の者たちが“こっちおいで〜”と。」


「おいで〜、じゃねぇよ……。あんたが死ぬって聞いた時、俺……」


「どうした?」


 うつむき、何かを堪えるかのように拳を握り締めるカイに、セレナはことりと首を傾げる。


「………っ、」


 静かに顔を上げたカイの頬に、一筋の涙が伝った。

 セレナにとって、産まれた時を覗けば、この青年が、カイが、涙を零すところを見るのは初めてだった。その様子を見たセレナは、ピタリと動きを止める。


「……」


「……」


 静まり返った部屋に、ぽたりと涙が床に落ちる音がやけに響く。

 しばらくの静寂の後、セレナはパチパチと数度瞬きをし、言葉を零す。



「……びっくりした」


「じゃあ表情を変えろ!!!」


「今、非常にとても心の底から驚いている。超びっくり。」


「嘘をつけ! 0.1ミリも表情動いてないだろ!」


 まるでとぼけているかのようなセレナだが、残念ながらこれがセレナにとっての通常運転である。そのため、その後数度にわたる会話のキャッチボール、否、ドッチボールは完全にカイの一人芝居状態だったが、それでもカイはどこか必死な様子で、懸命に食い下がる。


「っ、もし……もし本当に寿命だってんならさ、せめて、残された俺たちのこともちゃんと考えてくれよ」


「考えた上での寿命だ」


「どういう思考回路だ!!?」


 騒がしい奴だなと思いながらも、セレナはそういえば、と何かを思い出したように顎に手をあてる。


「昨日、誰かが泣いていた。“死なないで”と。かなり本気で泣いていたように見受けられた。」


「……それ、俺だよ。泣いてたの」


「ああ~、なるほど。把握した」


 セレナの何かを納得したかのような、緩い反応に、カイは思わずガクリと脱力する。


「…いや“把握した”って何……もうちょっとなんか感じることとか、思うこととかあるだろ…」


「感じてる。『泣くやつもいるんだな』と」


 セレナのその発言を受け、ついにカイは顔を手で覆い、呻き声を漏らす。


「…感想が感情じゃねぇよ… 感じろよ…感じてくれ…せめてなにかを…」


「できるだけの努力はしている」


 煮干しの、最期の一匹の内臓を取り出したセレナは、煮干しを片手に、淡々とそう言い放つ。


「…いや、努力じゃなくてもっと自然に出るもんだから感情って…はぁ…そうだった、セレナばあちゃんっていっつもこうだった…」


 意気消沈と言った様子で地に伏し、ぐちぐちと何事かを呟くカイを片目に、セレナは残り少ない夕飯の献立を考え始める。考え事に没頭し始めたセレナの後ろで、静かに決意を固めたカイの姿。それに、セレナが気づくことはなかった。

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