真夏と畑仕事とせせらぎとわざと
真夏のある日。
田舎の農家で生まれ育った娘は、自宅近の近くに在る小川の縁に設けられた洗い場で、茄子とキュウリを洗って居たのだが、その時に間違ってキュウリを3本流してしまう。
すると突然、そのキュウリを拾ってくれるモノが現れる。
それは、紛れもなくカッパ。
カッパそのモノであったのだが・・・。
その日の夕方。
川の洗い場で、思いがけずカッパと出会った娘は、残りのキュウリを流さないように気を付けて洗い終えると、洗った茄子とキュウリの入った竹籠を持って、そそくさと川を後にし、家に帰った。
その籠を見た母親は、キュウリが数本少なくなってる事に薄々気が付いたのだが、明日になればキュウリは又たくさん生ってて、それを収穫しなくては成らないので、特に気にしない事にしたのだった。
そんな訳で。
キッチンで夕食の支度をする母親のそんな様子を見てた娘は(母さんは、キュウリが少し少なくなってるぐらい、どうでも良いのかも知れない)と、思ったのだった。
そして、その日の夜に、家族揃って食卓を囲んでた時も、娘はカッパと出会った事は話さなかった。
それは、カッパと出会ったと言っても誰も信じてくれないだろうと思ったのと、幾つかの秘密が重なったからだった。
秘密とは、勝手にキュウリをカッパに上げてしまったのと、実はあそこでオシッコをした事がある[しかも、本当は今年の夏だけでも3回してた]のが、カッパを通じて村中に知れたらどうしよう!?・・・といった事だった。
それで娘は、いつもよりも静かに夕食を食べ終えると、夏休みの宿題を少しだけやり、いつもよりも早い時間にパジャマに着替え、8時過ぎには布団に入った。
しかし、それから娘は、なかなか眠れなかった・・・。
カッパと出会った事が、どうしても頭から離れないからだったが・・・(やっぱりアレは、何かの見間違いだったのではないだろうか?)とも思えたからだった。
(妖怪だなんて・・・・昔の人の見間違いとか・・漫画の中の話しなのに・・・。でも・・・やっぱり、アレはカッパ・・カッパだった・・・・それも男の!)
「そんなのに・・・オシッコするとを見られてた・・・!」
娘は、そう呟くと、タオルケットを引き上げて頭から被ったのだが、それと同時に足はタオルケットからはみ出し、敷き布団の上に現れてしまった。
娘の足を、網戸から入る生暖かい緩やかな夜風が撫でる・・・。
夏の夜なので、娘にはそんな風でも心地好く感じた。
遠くから聞こえる蛙の鳴き声を聞きながら、暫く悶々としていた娘だったが・・・・。
夜も9時半を回った頃には、静かな寝息を立てたのだった・・・。
翌日も娘は家の畑仕事を手伝っていた。
今日の服装は、いつもの麦わら帽子を被り、どこぞかのメーカーの紺色のジャージに、洗濯しても落ちない土の汚れが残った白い[筈の]Tシャツを着ていた。
上半身に下着は着けて無いので、娘が汗を掻くと白いTシャツが汗を吸って体に張り付く事もあった。
それによって、年頃の体の線が浮き出る事もあったが、それを気にするのは年頃の男子ぐらいだったのは、昭和の大らかな風潮だった[のだろう]。
朝の7時には畑に来て居た娘だったが、それでも早起きの両親よりは3時間ほど遅い時間だった。
午前中は主に、茄子とキュウリの箱詰め。
午後には父親がトラクターで畑の土を起こし、地中から地面へと掘り起こした馬鈴薯を拾っては、ざっと土を落として、プラス・チック製のカゴまで運んで入れるのが主な仕事だった。
それは、なかなかの重労働であったが、娘は自分が働く事によって他の家族が助かるのならと思って、日々頑張って居たのだった。
だから、きっと。もう10日もすれば、小麦色の娘の肌は褐色へと変わってる事だろう。
こうして早朝から忙しく働く家族と娘にも、午前に二回の休憩があり、その後に昼食の為の昼休み、更に午後に二回の休憩があった。
それは、この労働の中での唯一の楽しみと言える事であった・・・。
そうして、この日も家族の仕事を手伝ってた娘は、長かった労働から、やっと解放されようとしていた。
やっと、夕方となったのだ・・・。
日は、まだ少し高いが、もう30分もすれば黄昏時となるだろう。
西の空の少し低いところは雲があるので、今日は綺麗な夕焼け雲が見られそうだった。
そして今日も娘は母親に、夏野菜の一分を川で洗ってくるように頼まれた。
娘が、いつもの竹籠を見ると、そこには売り物にならない、茄子とキュウリとトマトが盛られていて、それは昨日よりも明らかに重そうだった。
それでも娘は母親に「わかった」と返事をすると、その竹籠を両手で重そうに持ち上げた。
それから、ややがに股になって、のしのしと歩き出すと、家の近くの川に在る、いつもの洗い場へと向かって下りて行ったのだった。
洗い場に着き、竹籠を洗い場の台座の上に置いた娘は、そこに立ったまま川を見渡すと、その川面をじっくりと見た。
その澄んだ目は、同じぐらい澄んだ川の清流を移してたのだが、探してるモノは映らなかった・・・。
それは昨日、ここで出会ったカッパ♂である・・・。
「あのカッパ・・・今も私を見てるんだろうか?」
しかし、川であり清流である。
カッパが近くに居て、こちらを見てるとしたなら、娘は(それなら、私からも見えてるよね?)と、思った。
しかし、カッパの姿はどこにも見当たらなかった。
もし今、カッパが川面に顔を出してたのなら、川の流れによって水を切る小波ができるとも思ったが、それも見当たらなかった。
夕暮れ近くの川は、どこまでも静かなせせらぎに満ちていた。
娘が動いたり、魚が跳ねたりでもしない限り、いつまでもどこまでも同じせせらぎを繰り返してるのだろうと思える程だった・・・。
(やっぱり・・・カッパに会ったなんて・・・そんなことは本当は無かったんじゃ・・・)
娘は、少しの残念な気持ちになった。
しかし娘は、カッパは妖怪であり、不気味な昔話なども見聞きした事があったので、反面ホッとした部分もあった。
娘は(カッパはちょっと面白かったけど・・・妖怪は怖いかなぁ)と思った。
それから気を取り直した娘は「居ないものはしょうがないから、野菜を洗お!」と、独り言ってコンクリートの台座の上に屈むと、竹籠に入ってた野菜を取り出し自分の横に並べた。
それからは昨日と同じような手順で野菜を洗い始めた。
そして昨日と同じく、今日もキュウリを洗うのを最後にした。
それは娘はまだ、実はカッパの事を諦めて無かったので、もう一度、昨日と同じ事をして、確めたかったからだった。
数本のキュウリをざっと洗った後だった。娘は手元が狂ったフリをして、わざとキュウリを流した。
しかし、あまり『悪さ』をした事が無い娘は、緊張のあまり昨日よりも多い5本のキュウリを流してしまったのは誤算だった・・・。
「ありゃりゃ~・・・5本も!?・・やってしまったぁ~・・・」
これでカッパが現れて拾ってくれなければ、娘としては、キュウリを崩して流してで、2連鎖の誤算となると思った。
少し涙目になった娘は祈るような気持ちで立ち上がると、どうせ誰かに見られてる事も無いと思って、恥ずかしい事を叫んだ。
「カッパさーん!見てるなら、私が流したキュウリを拾ってちょうだい!!」
そう言った直後の娘の顔は、まだ夕焼けが始まって無いというのに真っ赤に染まってしまっていた。
(一人でバカな事を叫んでしまったぁ~!)っと思った娘は、今の声が家族か誰かに聞かれて無かったと思って辺りをキョロキョロと見回した・・・。
突如だった!
サラサラとした川のせせらぎを掻き消し『ザァアア!!』っという音がしたのは!
川面に現れた人の姿に似たモノ!
それは紛れもなくカッパだった!!
「いた!・・・・やっぱり・・ホントにいた!!」
何が『やっぱり』だったか分からない『後付けのやっぱり』を叫んだ娘は、突然に現れたカッパに釘付けとなった。
そんな驚く娘を気にするでも無く、カッパは目の前まで流れて来たキュウリを、次々と捕まえた。
それからザッと音を立て川面から姿を消したかと思うと、川水の流れをものともせず、スイスイと遡って来るのが、立ってる娘から良く見えた。
その姿は、人でいえば『水中でする平泳ぎ』だった。
洗い場の近くまで来たカッパは、今度は静かな音で浮き上がると、右手に纏めて持って来たキュウリを、娘の前に差し出した。
「お前さんは、昨日した失敗を今日もしたのか?」
そう言ったカッパの顔は少し嬉しそうにも見えたのだが・・・カッパが人の様な表情を作れるのか分からないので、娘は(それは自分の気のせいなのかも・・・)と、思った。
そして「そ・・・そう。昨日と同じ失敗しちゃった・・・」と、そう言った娘だったが、そんな事よりもカッパが実在して目の前に居る事に改めて驚いて居た・・・。
(昨日のは・・・夢でも・・見間違いでも・・・何でも無かった!)
「ほらよ!受け取れよ!」カッパはそう言うと、更に娘に近付き、そしてキュウリを持ってる右手をグッと差し出した。
「きょ・・・今日は、3本・・・3本あげる。お礼・・お礼に3本」
「ん?3本!?俺らに、そんなにくれんのか?いいのか?」
「い・・・良いよ!」
「そっか。じゃあ2本だけ返すよ。で・・・・後で、やっぱり返して欲しいとか言うなよ?」
「そんな事、もちろん言わないよ!」
「そんなら良いんだ。・・・じゃあ、2本だけ返すぞ」
カッパはそう言うと、3本のキュウリを左手に持った。そして右手に残った2本を娘に差し出した。
娘は『少しだけ恐る恐る』と、いった感じで手を出した。
娘がカッパが差し出すキュウリを受け取る時、昨日は良く見てなかった緑色のカッパの手をまじまじと見た。
カッパの手には、昔話や漫画や何かの絵の通りに水掻きがあり、そして爪は長くて尖っていた・・・。
カッパは2本のキュウリを娘に手渡すと、静かに下がった。
それから「俺らがお前さんを助けた駄賃だとは言え、今日もキュウリを頂けるなんてな!」と、カッパはそう言うと、甲羅の背中を見せる様にして後ろを向いた。そして「じゃあな!」と言って川に潜り、これまたスイスイと川下へと下って行ったのだった・・・。
それから少しの間、娘は川下を見ていたのだが・・・それから、ふっと西の方の空を見た。
気付けば今日も昨日と同じ様な時刻となっていたらしく、空には茜色の雲が浮き。川の周辺の草むらも、本来の色が分からなくなっていた。
辺りは夕焼け色に染められていたのだ・・・。
「カッパが・・・本当に居るなんて・・・知らなかったなぁ・・・」
カッパから受け取った2本のキュウリを握りしめたまま、娘は暫く立ち尽くし、その目は、川の川下へと向けられていた。
そうして夕焼けの川面のキラキラに溶け込みそうなカッパをもう一度探して見たが、・・・。
最早カッパの姿はどこにも無かったのだった。
娘は麦わら帽子のつばを庇にして、沈み行く夕日を見詰めて居た。
娘の黒い二つの瞳は夕日を映し反射して、ウサギの様に赤くなって見えた。
その姿は、素朴でありながら美しかったのだが、カッパの去った今となっては、誰も見る者は居なかった・・・。
つ づ く