昭和とカッパとキュウリと娘
注意:この時代の感覚は、現代の人の感覚からすれば、無責任と思えるのかも知れない。
しかし、昭和も後期となっていても尚、良くも悪くも、そんな大らかな・・・或いは大ざっぱな事が割りと当たり前だったのだ。(らしい)
注意:この娘は、昭和の後期に特別な就労訓練を受けた子供です。良い親は絶対に真似しないで下さい!
昭和55年。
とある片田舎の農家の娘が、夏休み中に家の畑仕事を手伝ってた時の話。
夏の間。家族総出で行ってた農家の仕事も終わり頃になると、この家では余った野菜の一分を、近くの川で洗ってから、家の賄いとしていた。
そんなある日。
この家の母親は小学4年生の娘に「そのカゴのキュウリと茄子を川で、ざっと洗って来て」と言った。
何処のブランド物とも分からない赤いジャージのズボンと、土で汚れた白いTシャツの裾をジャージのズボンの中に入れてる娘は、夏の暑さに備えて首から掛けた白いタオルをTシャツの胸元に入れて汗ふきとし、麦わら帽子を被って居た。肌が露出しる顔や首の周辺と両腕は、夏の太陽に焼かれて小麦色の肌をしていた。
娘は、やや細身で目鼻立ちのくっきりとした容姿で、この辺りでは可愛らしい娘として知られていた。
それは、ここが片田舎なので比較できる子供の数が少なかったから美少女に見えたのでは無く、実際は都会に行ったとしても、目立つだろうと思える美少女であった。
母親にキュウリと茄子を洗うのを頼まれた娘は「うん。わかった」と言うと、それらが中で分けられて入れられた、竹で編まれた手籠を両手で持った。
その中には20本程のキュウリと10本程の茄子が入っていた。
娘にとってこの仕事は、夏休みの間の日課であった。
少し重そうに竹籠を持って歩く娘は、家の近くにある、何時もの川へと向かった。
川は清流であった。
深さは1.5メートル程で、川幅は2.5メートル程。流れはゆっくりであった。
それでも、夕方に子供一人で来させるのには、本来は危険な川であったのだが、川渕には、この家の為の洗い場が石とコンクリートによって作られてあったので、母親は娘一人でも大丈夫だろうと思い、こんな仕事を頼んでるのだった。
その洗い場とは、川の本流に数本の丸木の杭を打ち込み、そこに木の板を固定して作った壁に川水を当て、岸の少し奥に引き込み、そこに小石とコンクリートで作られたの台座を作って洗い場とした物だった。
台座の上部は、足場であり椅子にもなった。そこで屈んで物を洗う事も出来たし、座れば足を緩やかな川水に浸して作業したり、今の様な真夏なら涼むのにも使えた。
川には食用になる小魚が居たので、この家の子供らは、暑い時期には足を川水に浸して涼みながら、釣りをする事もあった。
それには、娘の学校の友達も一緒に混ざる事もあった。
そんなしっかりとした作りのコンクリート製の台座であったから、雨などで増水さえして無ければ、人は勿論、子供が流される心配は無いのだった。
そんな訳で。
畑の方から小路を下った娘は、その台座の様な洗い場に着いた。
すると、そのキレイな水[水道水とか、濾過天然水等とは違った意味で]を使ってキュウリと茄子を洗うのにも、籠が一つしか無いので、取り敢えず籠からキュウリと茄子を手で取り出すと、コンクリートの台座の上にざっと並べた。
台座の上に立った娘は、右手から左手へと流れる川を眺めた・・・。
娘の目の前には、綺麗な水がゆっくりと流れていた。
それから娘は、竹籠をさっと水に浸してザザッと濯ぐと、今度は腰を屈め、自分の左手側に積んだ茄子とキュウリの山から茄子を選び、1本づつ洗い始めたのだった。
それから娘が4本めの茄子を洗ってた時だった。
「痛っ!」と、突然に声を上げた娘は顔をしかめ、左手の人差し指を見ると、更に、その手の向きを変えて、まじまじと人差し指に見入った。
それから娘は、右手に持った茄子のヘタの方を恨めしそうに見つめて「茄子はトゲがあるからなぁ・・・もう!」と、新鮮な茄子に文句を言った。
そして不満気な表情のまま、娘は洗った茄子を持って来た竹籠の中に入れた。
そこから後は、娘は気を付けて茄子を洗ったので、この日はもう、トゲを指に刺す事は無かった。
全ての茄子を洗い終えた娘は、今度はキュウリを洗い始めた。
キュウリは茄子の様なトゲは無いが、それでも新鮮なキュウリの表面には、硬いイボの様なものがあるので、娘が素手の手の平で強く擦るには痛かった。
それで娘は(爺ちゃんと婆ちゃんなら、手の平でゴシゴシ洗うけど、あれって痛くないのかなぁ)と、思った。
それは、娘の祖父母なら、この程度の本数のキュウリなら平気で素手で洗ってるのをよく見てたからだった。
そんな真似はできないと思った娘は、キュウリを右手に持つと、川水の中で振って洗う事にした。
これなら手を痛める事も無かったのだが・・・大して洗えるでも無かった。
しかし、娘は痛いのは嫌だったからこうした。
娘は右手に掴んだキュウリを水の中で振りながら「婆ちゃんも、爺ちゃんも、どんだけ手の皮が厚いんだろか・・・」と、呟いた。
娘が、しっかりとキュウリを洗わないのには、もう一つ理由があった。
それは、キュウリや茄子に限らず、娘が洗って持ち帰った野菜は、結局、母親が炊事場で洗い直してから使うからだった。
要は、娘がしてるのは仮洗いみたいな事だった。
娘がキュウリを10本ほど洗い終わり、次に洗うキュウリを取ろうと、コンクリートの上のキュウリの山に左手を伸ばした時だった。
その手先が狂って、娘はキュウリの山を崩してしまった。
「あ!」っと娘が声を上げた時には、3本のキュウリがコンクリートの台座の上の端までコロコロと転がって、ポチャンと川の本流に落ちてしまったのだった。
「あ!・・・ああぁ・・・」と、娘は声を上げて立ち上がった。
しかし、それ以上の事は何もしない。
娘は只々、流れ去るキュウリを見送って居た。
それには理由があった。
祖父母と両親に「絶対に川に入ってはいけないよ!」と、キツく言われてたからだった。
(もう、流れて行っちゃった物はしょうがないし・・・)と、娘は思ったが「もう!誰かが拾ってくれたら良いのになぁ!」と、声を上げた。
するとだった・・・。
突然、川面に緑色の二本の手が現れたのは。
「わあ!!」っと娘は驚きの声を上げた。
するとその手は、川下へと流れ去ろうとしていた3本のキュウリを次々と掴んだのだった。
そして、片手に3本のキュウリをまとめて握り直すと、その手は水面の上にキュウリを掲げたまま、娘の方へと近付いて来たのだった。
娘は驚いたが、不思議と恐ろしくは無いと思った。
だから、その不思議な光景を黙って見ていた。
すると、ザアッという音といっしょに、緑色の生き物が水面に顔を出した。
緑色の体に黒いまだら模様。
黄色いクチバシと、頭の皿・・・・。
「カッパ・・・・!?」
娘は目を真ん丸くして呟いた。
「カッパを見るのは初めてか?」と、カッパは娘に聞くので、娘は黙ってウンウンとうなずいた。
「俺らは川下に住んでるんだが、このところずっと、いつも夕方になると美味しそうなキュウリの匂いがするもんだから、どうせなら何本か流れてこねぇかなって思ってたんだ。それで、この何日か前から、お前さんの様子を見てたんだ。そしたら、本当にキュウリが流れて来たもんだから、驚いたのよ」と、カッパは言った。
娘は、何日も前からカッパに見られてた事に驚き焦った。
なぜなら、娘は三日前。
今日と同じく野菜を洗いに来た時、急にオシッコがしたくなってしまったのだ。
それで、辺りを見回して誰も見てないと思った娘は、この場所でズボンを脱いで、オシッコをしてしまったのだった・・・。
そんな事は他人には勿論、家族にも内緒の事だった・・・・。
「なのに・・・・っ」(このカッパに見られてた!?)
娘は、妖怪が相手だったとはいえ、顔から火が出そうな程に恥ずかしかった。
しかしカッパは、そんな娘の思いなど関係無しに「しかし、だ」と、言った後に「このキュウリはお前さんのモンだからな・・・お前さんもちゃんと持ち帰らないと困るだろうし。惜しいけど、返すよ」と、カッパは付け加えると、川面から胸の辺りまで体を出し、黙って娘の前にキュウリを差し出した。
カッパを正面から見てる娘にはハッキリと見えないが、昔からの話の通り、カッパの背中には甲羅があるように見えた。
「え?・・・・え?」
娘は、オシッコを見られたのでは!?という恥ずかしさで混乱し、内心それどころでは無かったが、キュウリを握ったカッパの手が目の前に差し出されて、カッパは自分の顔をジッと見てるので、このまま待たせては、カッパに悪い気がしてきたのだった。
「そ・・・それ。あげる!」と、娘はとっさに言った。
「ん?なんで?くれるって?俺らに?」
娘は、恥ずかしがりながら「なぃ・・・見たのを内緒にしてくれるなら、それ二本あげる!」と、言った。
カッパは喜んで「内緒?それは、お安いご用だが、そんなんで良いのか?」と聞いた。
実はカッパは娘がオシッコをしてた時も見てたのだが、そんな事は全く気にして無かった。
気になってたのは、洗い場の台座の上に積まれたキュウリだけだったからだ。
そんな訳だったので、娘が「見たのを内緒にして欲しい!」と言ったのは、間違ってキュウリを流してしまった事なのかとカッパは思った。
娘は、早くカッパと別れて家に帰りたいと思い「だって・・!もう、流れて行っちゃったって思ったものだから!それ持って帰って!」と両手で顔を隠しながら言った。
すると、思わぬ収穫にカッパは「そうか・・・それは有り難い!俺らキュウリが大好物なんだ!本当は、さっきから食べたくて食べたくて、手に持ってるのが辛かったほどなんだ!!」と、大喜びして言った!
娘は「それなら、良かったよ!だから、もう帰って!」と言った。
カッパは「ああ!ありがとよ!」と言って、娘に返す分のキュウリを一本、台座の上に置き、娘に背を向けた。
この時、初めて、娘にはカッパの背中にある亀の様な甲羅が良く見えた。
それからカッパは、去り際に振り返り「たまたな!!娘っこ!!」と言って、川の中に体を沈めた。
妖怪であるカッパに出合うという余りの出来事と、自分の恥ずかしい姿を見られてた・・・と、いう思いから、娘は呆然と立ち尽くして居た・・・。
洗い場の台座の上に立つ娘からは、川の中に潜りスイスイと川下へと泳ぎながら流れて行くカッパの姿が少しの間、見えていたのだが・・・その姿は、急に始まった夕焼けに染められた、紅の川面の反射で見えなくなったのであった・・・。
つ づ く