恐怖の足音
「はい……昔から、本当に弟が怖くて。」
暗いマンションの一室で、女性がそう呟く。
向かいには顔を隠した男が座っていた。
「弟が9歳のことでした。兄弟同士でじゃれ合っていたら、急に弟が家の壁を壊したんです。
……幸い避けたから害はなかったけど……当たっていたら確実に大怪我していました。
その日初めて、可愛い弟が『恐怖の対象』になったんです。」
「それはお気の毒に……ご自身も相当葛藤されたでしょう。」
向かいに座る男はそう言って微笑む。
女性には男の口元しか見えていなかったが、その笑みに少し安心したようだった。
「……想像、できますか?おやつの取り合い、チャンネル争い、ちょっとした喧嘩……それら全てで命の危険を感じるなんて。
だから今まで、弟と意見が違ったら、すぐに譲りました。
ただ……怖かったから……」
女性は、悔しそうに唇を噛む。
向かいの男はそれを頷きながら聞いていた。
「友達が言うんです、『弟君を気持ち悪いなんて言ったら可哀想だよ』って……!でも皆は知らないんだっ!弟はね、やろうと思えば一軒家だって簡単に破壊できるの!
怒らせたら終わりの弟なんて、皆にはいないじゃない……!」
「それでも、あなたは歩み寄ろうとしてるじゃないか。」
男は女性の手に触れる。
袖口からは、金色の高級そうな時計が覗いていた。
「はい、そうなんです……これで、対等になれるんですよね?」
「断言はできないが、確実にお姉さんは強くなれるよ。
やっと……フユキ君と、兄弟になれるんだ。」
男はそう言うと、「怪人化チップ」を女性に差し出す。
女性はそれを、輝く目で見つめていた。
★ ★ ★ ★
「はあ!?雑用係に降格で済んだぁ!?」
研修室に、ゆかりの大きな声が響く。
焔は少し困ったようにそれをいなしていた。
「その代わり、リリアや花岡君みたいに研究生に戻れる権利は剥奪されてる。
辞めるか、ずっと雑用係のままでしかいられないんだ。」
焔は言いながら灰原さんを見る。
今日はミカゲさんが不在なこともあり、私は琉進とアンナの間に座り気まずい気持ちで灰原さんを眺めていた。
「馬鹿なことをしたものね。真面目にやってさえいれば認められるだけの実力があったというのに。
今回ばかりは擁護できないわ。」
ふいに緋山さんが研究生に入ってくると、灰原さんの前に座ってそう言い捨てる。
悪態を突かれた筈の灰原さんは、どこか安堵したような顔をしていた。
「面倒は誰が見るんすか?」
ゆかりが焔に尋ねる。
「凛太郎が引き続き担当するって。更生プログラムの実施もしてくれるらしいよ。」
「え……凛太郎が?不安しかねえっすけど……」
ゆかりが苦言を呈すると、焔は「まあ、ああ見えて真面目だから大丈夫だよ。」と、笑い飛ばした。
「……あのー……お話中の所恐縮なんですけど、今日の講師ってグリーンさんでしたよね?まだ見えてないみたいですけど……」
アンナが申し訳なさそうに言う。
言われてみれば、いつもなら研修が始まっている時間なのにロクタは一向に姿を見せない。
心配していると、生身のロクタが駆け足で研修室に入ってきた。
「すまない、内容を整理するのに夢中で時間を忘れてしまった。」
ロクタはそう言って頭を搔く。
「あはは、パワースーツも着てないなんて相当急いでたんだね!」
「前に言ったろ、出る時間にアラーム設定したら遅れないって。」
穏やかに笑う焔に対し、ゆかりは少し厳しい言葉を投げる。
ロクタはゆかりに頭を下げると、こちらに向き直った。
「研究生と雑用係諸君、今日は研修という名の研究結果発表会を始めたいと思う。
まだ未発表の内容だから外部には漏らさないでくれよ。」
そこまで言うと、ロクタはプロジェクターでプレゼン資料を映す。
「今日話すのは『怪人化チップ』についてだ。どんな物かはだいたい知っているね、言うなれば体に埋めると異星人の特徴を得られてしまうチップなんだが……最近怪人による被害報告が増えている。
理由がわかる人はいるかな?」
ロクタが尋ねると、琉進が手を上げる。
「確か、チップを一般人に売りさばく人間が台頭してから一気に出回るようになったのでは。」
「そう。意外に思われるかも知れないが、怪人化チップを1番購入しているのは一般人だと言われている。
ヒーローの力不足を嘆く声が激化した結果、需要が増えたのだと思う。」
何度聞いても恐ろしい話だ。
自分から好き好んで怪人になるだなんて……
「そしてここからが本題だ。怪人化チップは基本1度埋めたら元に戻らない上……深刻な後遺症を引き起こすことが今回の研究で判明した。」
その言葉に研修室はどよめく。
「長時間怪人でいると、地球人の脆い身体では耐え切れず寿命を縮めていく他、精神が不安定になっていき、発狂する怪人も報告されている。
身に余る力は身を滅ぼすというわけだ。」
ロクタの話が本当なら、一般人に需要があるという点が少しおかしく思える。
「……ねえ、もしかして……チップを売っている人たちって、それを教えもせず提供してるんじゃ……」
恐る恐る言うと、ロクタは明るい表情で
「理解が早いね!まさにその通り。この副作用に関しては最近判明したことであるからして、ヒーロー本部の人間や僕しか知りえないことだ。
売人共が知っているか否かは定かではないが、買う側に知識はないだろうね。」
と口にした。
それでは、まるで騙しているみたいではないか。
「あの……いいですか?」
どこか、顔色の悪い灰原さんが手を上げる。
「ああ、どうぞ。」
「上層部は……いつから、その情報を知っていたんでしょうか?」
「結果が出たのが先週の金曜日だから、上層に説明が行ったのはその日の夕方だけど。」
金曜日の夕方……丁度私が焔と遊んでいたくらいの時間だ。
灰原さんはその答えを聞いてさらに青ざめると、「ありがとうございます」と弱々しく言う。
――なんだか、様子が……
「大丈夫だとは思うが……君たちも誰に勧められようとチップを使ってはいけないよ。」
ロクタの話はそこで終わり、通常通りの研修が始まる。
「ごめん、琉進、アンナ、ちょっと席外す。」
小声で言うと、私は静かに席を立って灰原さんの元に向かう。
灰原さんの顔は血の気を感じさせない程青く、額には汗が滲んでいた。
「……灰原先輩?」
少し声をかけても、反応はない。
「……灰原先輩!」
少し大きな声で呼びかけると、やっと灰原さんはこちらに気付いた。
息も荒く、明らかに普通の状態ではない。
私の声に気付いた研究生や講師たちがこちらを見やる。
「うわっ!灰原君顔色やばいよ!医務室行ったら?」
焔が言うので、ふらつく灰原さんの体を支えながら「私が連れて行く」と言った。
「えー!マジで!?だめだよリリア、共有で見たけどそいつストーカーなんでしょ!?」
アンナが心配そうに声を上げる。
「大丈夫よ……私一人だと医務室に入れないから、講師の誰かついてきてくれないかしら。」
そう言い放つと、黙って聞いていたロクタが
「僕がご一緒しよう、もう用事は済んだからね。」
と声をかけながらこちらに歩いてくると灰原さんの体を支える。
「なん……で……」
灰原さんはこちらを見てそう呟くも、無気力に私のロクタに身を任せていた。
【⠀定期⠀】
最新の活動報告にて、この作品の挿絵についてアンケートを行っております。
もし興味があれば是非見て頂けたら幸いです。




