1.三人の名前
僕には十年片思いしてきた女の子がいる。
その子と先日付き合うこととなった僕は相当浮かれていたらしい。それも無理ない話だろう。だから彼女が死んだとホームルームで言われたとき、こいつは一体何を言っているんだと教師の脳みそを疑いすらした。
春日井三言は本当にその日から幽霊になってしまったのである。
僕は教師が三言の報告をしているのを聞きながら、その横に立っているいつもと変わらない無表情の、でも時々オーロラに煌めく彼女を見つめていた。半透明に輝く彼女は一層綺麗だった。誰も何も言わないのだろうか。見えていないのだろうか。教室を見渡してもただ静かなばかりだ。三言は人望がなかった。表情も変わらない。喋らない。友達もいない。代わりに美しい少女だった。凛とした佇まいに僕は惚れたのだ。その姿だけで魔女と呼ばれていたのだけど。
その彼女が何を言うでもなく、自分の教室に現れるでもなく、わざわざ僕の教室に現れて立っている。僕は小声で声をかけた。
「三言……」
下を見ていた彼女と視線が絡む。明確に視線が合った。生前から喋らない彼女は、帰り際に「また。三枝くん」と僕の名前を呼ぶでもなく、ただ僕を指さしてそのまま手を下ろした。意味不明である。彼女なりに伝えたいことがあったのだろうか。生前のように名前を呼ばれたかった。たった三日のその時間が幸福だった。
僕はホームルームが終わってから、教壇へと向かう。隣の辰己が怪訝な顔をしたが、今は知ったことではない。
「三言」
そこで僕は死者に賭ける言葉がないことに気が付く。一番聞きたかった獰猛な言葉、どうして死んだんだなんてそんな言葉かけていいはずがない。何でここに? さっき指さしたのは何? そういうことを聞けばいいのだろうか。
僕が悩んでいると、代わりに三言が口を開いた。
「私の財は君のものだ」
「は?」
そこで心配になったのであろう辰己が声をかけてくる。辰己は骨格がいいせいで威圧的に見られがちだが、端的に言えばいいやつなのだ。
「おいおい、ショックなのはわかるけど、誰もいない場所に向かって話すなよ」
その言葉でやはりクラスメイトには三言の姿が見えていないことが分かった。不安より何より優越感が勝った。あの美しい三言の姿も声も僕にしか届いていないのだ。
さらに佑美が加わってきて、僕の邪魔をする。
「そうだよ。確かに三言ちゃんの話はびっくりしたかもしれないけど、とりあえず席に戻ろうよ」
「うん、そうだな。言われた通りショックが大きかったみたいだ。ありがとう」
口先だけのお礼を言って、逢瀬を終える。もう少し話していたかったのだが、友達が二人も加わっては秘密の会話も続かないだろう。僕が三言から背を向けると、その背中に声がかかる。
「君にだけ遺しておいた」
そんな、特別みたいなこと簡単に言わないでくれ。口角が上がって、彼女が死んだというのに悲しまなくてはバレてしまう。昨日最後に見た制服姿のままの三言は、煌めく以外は整然と変わらない。美しいその姿に僕は喪失感を感じることもできず、一元の授業のために二人と席へ戻ったのだった。
「春日井の幻覚と話すなよ。俺が話し相手になってやるからさ」
「あたしだってなるし。悲しみぐらい一緒に背負うよ」
好き勝手に言う友達の手前、苦しみを隠した笑顔のペルソナを被り、誤魔化すため喋る。
「三言が亡くなったなんて嘘みたいだよ」
これは本当。
「三言のクラスに行ったらいるんじゃないかって思う。ちょっと行ってくるよ」
これは半分嘘。三言はここにいるからだ。
まあそれもいいかもな、一緒に行ってあげようか、そんな言葉を受けながら三言のクラスに向かう。そこでは彼女の関に、綺麗な花が飾ってあって、がつんと殴られたような衝撃を受けた。
三言は死んだのだ。
友達のいない三言はここでも誰かに泣かれることも悲しまれることもなく、魔女が死んだと噂されるだけで、だがその存在がいないことだけが明確だった。白い生花はきっとすぐに片付けられてしまって、彼女のいた痕跡は消えてしまって、名簿からも消えてしまって、でも僕の十年の記憶には強く残っている。彼女の横顔も、すらっとした手足も、なびいた長い黒髪も、どうして彼女は消えてしまったのだろうか。このクラスでは教壇に三言は立っていなくて、喪失だけが静かに立っていた。
そこで僕は初めて現実を直視して泣いたのだ。
三言がいない。自分のクラスへと走って、教壇に相変わらず立つ三言と視線を合わせ、ほっとする間もなく、その幽霊の姿にぼろりと泣いた。惚れ切った無表情が今は生気を感じさせなくて、彼女がこの世から消えてしまったことを分かってしまったのだ。
「三言、何で死んじゃったんだ……」
その一言と共に崩れ落ちた僕に優しい友達は駆け寄り慰める。この二人にだけだった。三言と付き合えたことを言ったのは。だからこんなにも気遣ってくれる。
「私の財を探すといい」
泣き崩れる僕に三言は感情の乗らない声でさっきと同じようなことを言った。何を言っているのか相変わらず分からないが、三言の何かがそこにあるのなら、それを手にするのは僕だという独占欲がわく。
「どこにあるんだ?」
驚いた友達をまた蔑ろにして、真っ直ぐ三言と話すと、彼女は開いた窓から吹く風を受けて髪の毛をなびかせながら「相馬トイ、泣頭マアヤ、三角錐ミズキ」と三人の名前を挙げた。聞き覚えのない名前に瞬きをする僕とは対照に、三言はまた黙ってしまった。僕はこの三人を探して、一体何を手に入れるのだろう。