1話 ティルス神殿地下1階
気が付けば、古代西洋を彷彿させる建築物の中にいた。
純白の大理石で作られた巨大な柱が周囲を取り囲み、それに蓋するように大岩から削り出された長方形の板石が1枚。
雰囲気は有名なギリシャ神殿と言った所か。
周囲には数え切れない程の人々がごった返しており、ここは一体何処なのかと言った類いの問う声が辺りで繰り返される。
その中には勿論俺も居た。
「何処だ、、ここ」
目に入る人々の服装に違和感を覚え、よく見てみると何やら古臭いと言ったら悪いが現代的ではない服を着ている。
俺はTシャツに短パンだ。
この状況に至った経緯を振り返る為に、最後の記憶を探る。
「うっ」
脳裏に浮かんだ光景に僅かながら頭痛を覚えた。
その光景とは足の不自由な母が炎に呑まれるものであった。
「確か、、」
俺の背筋に嫌な冷たい汗が流れ、全身を包むような罪悪感に晒される。
「見捨てたんだ」
夜10時頃だろうか、実家で火事が起こった。
その際は本を自室で読み耽りながら寝っ転がっていたことを覚えている。
その本はよくあるファンタジー小説、主人公が人々と共に魔王を倒す物語であった。
ただその背景や世界観は独特であったが。
「ん、なんか焦げ臭いな」
俺はその不快な匂いに鼻をひくつかせたが、無視して本を読み続けた。
それから少しして、気温の上昇を感じる。
真夏の夜であるから暑いのは当たり前であるのだが、俺は嫌な予感がして確認する為に自室の扉を開けた。
「えっ」
ムワッと顔に吹き付けた熱に驚きの声が漏れ、目に入ったのは階段下から上がる炎であった。
「……」
その非現実的な光景に息するのも忘れて数秒が経過する。
「マジかよ、火事かよ」
やっと、どうするべきなのかと言う思考に行き着いてから思い出す。
「母さんは、、?」
その呟きの直後に1階から母の声が聞こえた。
「よしお、よしおっ!!」
俺と同様に今やっと、この状況に気が付いた様だ。
「母さん!!」
「よしお、火が火が!!」
俺は炎が上がる階段下を見つめ、母のいる寝室まで辿り着けるのか考えたが、、。
「行くしかない!!」
瞬時に覚悟を決めて駆ける。
階段を駆け下り、絨毯から炎上している炎を踏み締める。
それは足を焼くような、いや実際に焼いているのだろう痛みを与えてきた。
一階に降りてみて分かったが、辺りは煙が充満しており一切見渡せない。
ただ俺は記憶を確かに通路を走る。
そうして壁にぶつかりながら、やっと辿り着いた母の寝室。
既に声は聞こえず心配が募る中、祈りと共に扉を開けて中を確認した。
「母さんっ!!」
布団の上でうつ伏せになっている母は息苦しそうにしながら、小声で息子の名を呼ぶ。
「よしお、よしお、にげて、にげて」
既に母の部屋には炎が侵入し、カーテンや布団を燃やしていた。
足の不自由な母は逃げようとしたのだろうが、介護なしでは1人で移動できない。
肝心の車椅子も遠くに置かれていた状況であった。
母の部屋を包む炎の激しさに気押され、俺はそれをただ見るしかなかった。
天井の木材が母へと降り注ぎ、母が火に包まれるまで。
溢れ出る涙が瞬く間に蒸発して行く中、無力感と迫り来る罪悪感に俺は振り返って逃げるように出口を目指す。
足は焼きただれ、歩みは遅く。
いつしか息苦しさに視界が真っ暗になって、倒れ伏した。
思い出した嫌な記憶。
勇気が出なかった無力な俺は母を見捨てた。
よく通る声が神殿内を駆け抜ける。
「主神ゼウスに堕とされた罪深き者達よ」
人々は声の主である祭服で身を包んだ壮年な男を目に捉え、その声に耳を傾ける。
「ここは冥界、罪深い者達が堕とされる悪魔達の住処。悪魔達は人の魂に飢え、喰らい、永遠の苦しみに閉じ込める」
「しかし!!我らには天の火、我らが神、メルカルト様が居られる。ここ冥界にある唯一の楽園、ティルスを守護される御方」
周囲にある巨大な柱が突如燃え上がる。
「うわっ」
「あつっ、熱くない??」
「きゃっ」
「温かい」
人々はその炎に驚き、そして慌てる。
「我らは天の火によって守られ、そして悪魔と戦えるのだ!!これは我らに与えられたメルカルト様からの慈悲である」
「メルカルト様は仰った。魔王サタンを倒す事で、我らは主神ゼウスより許されるのだと。この地獄の如き冥界から天へ帰りたければ戦うしか他ないのだ!!」
鐘の音が響き渡る。
「ゴーンッゴーン、ゴーンッゴーン」
「さぁ、聞こえるかこの鐘の音が。試練の時間がやってきた。悪魔を打ち倒し自身の価値を示せ。生き残った者にはメルカルト様の加護が与えられるだろう」
柱より上がっていた炎が瞬く間に天井へと移り、神殿全体を包んだ。
★
《ティルス神殿 地下1階》
「死後の世界がこんなだとは思いませんでしたよ」
杖を持った中年の痩せて頬をコケさせた男が言う。
「タリースさん、僕怖い、帰りたい」
大きな盾のみを持つ、太った25歳程の低身長な男が恐怖に顔を歪めながら言った。
その男、マルダは手足の震えを止められないようだ。
「何を言ってるんですか、人生諦めが肝心ですよ」
タリースはしょうがないなと言った表情で、マルダを論す。
「マルダさん、いざとなったら盾で防げば大丈夫だよ」
「でも怖いものは怖いんだよ」
マルダはヨシを泣きそうな顔で見る。
俺はその悲壮な表情を見て、先行きが心配になった。
今、俺は彼らとパーティーを組んで活動している。
★
炎が神殿を包み、人々を閉じ込めた。
いつの間にか祭服を着た壮年な男も消えている。
その代わりとばかりに、地下へと続く階段が口を開けていたのだ。
「これは、、」
俺はここまでの展開と口を開くように現れた地下への階段を見て、ようやっと確信する。
「俺が直前まで読んでいた本の世界だ」
その本はファンタジー小説、仲間と共に魔王サタンを倒すという王道もの。
そして、ここからの展開はもう既に読んでいた。
俺は一足先に駆け出し、中へと躊躇なしに潜った。
そして、人々は後を追うように少しずつ地下へと足を踏み入れる。
上にいても何もやれることがなかったのだ。
あの神殿を包む炎は見えない壁のような役目も果たす為、どちらにしても地下に向かうしかない。
階段を降りた先は上下左右を石の壁で作られた1本の幅広い通路。
それを走ること少し、そこにあるのは旧時代的な武器であった。
剣や槍やと言った刃物類に、ハンマーや棒などの鈍器類。
俺は素早くショートソード、その他防具一式を拾い上げたら、その場から逃げるように走り去った。
その後の出来事である。
男が手にした剣の刃を見つめ、突如隣にいた者を斬り付けた。
まるで斬れ味を試すかのように。
そこから斬り合いが始まり、辺りは混乱に陥る。
ここは地下迷宮、道は枝分かれして方向感覚を無くす。
俺は適当に選んだ道を走り抜け、途中で拾った防具などを身に付ける。
「これは、こう着ければ良いのか?」
初めてのことなので手間取りつつも、ようやく装備し終える。
そこで誰かが近付いてくるような足音を耳にする。
「っ」
気が付いた時には、彼らはもう俺の姿を捉えていた。
と言うわけで、この2人である。
「怖かったよぉ」
「そうですね」
「……」
俺はこの2人を信用出来ず、腰に下げたショートソードの柄を確かめるように触っていた。
「私はタリースと申します、貴方は?」
「俺はヨシです」
「ぼ、僕はマルダ」
タリースは細身の中年、マルダは太った若い男であった。
特に特徴的なのはマルダの方で、彼は大きな木の盾を持っていた。
俺の警戒した様子を見て、タリースは苦笑いをしながら言う。
「こんな状況な訳ですから、お互いに助け合えませんか?」
その落ち着き払った話し方に、この状況で何となく安心感すら覚える。
(警戒してるだけじゃダメだよな)
「そうですね、、ここは危険ですから」
「突然斬り合いが始まりましたからね」
「そ、そうなんだよ!!何なんだあれは!?」
「さぁ、私には狂人のことは理解しかねます」
ここには主神ゼウスにより罪を犯したと認定された者が堕とされる。
当然、その中には人殺しなんかも紛れている事だろう。
「いや、それよりも悪魔ですよ」
人よりも悪魔の方が危険なのだ。
「悪魔って、あの悪魔だよね、、?」
「はい、悪魔と戦いになります」
俺は本の知識を元に、これから起こる展開を予測できる。
この試練では最下級とは言え悪魔と殺し合いになるのだ。
それを乗り越える為には仲間は必須である。
「少し疑問なのですが、何故そこまであの司祭のような男の話を信用できるのですか?」
タリースは不思議そうな顔で言う。
「!?」
(不味い、側から見たらそう見えるのか)
いきなり悪魔云々言われて信じているのは不自然だったかもしれない。
俺が本で知識を得ていることを知られるのは、あまり宜しくない気がする。
「いや、何となく嘘はないんじゃないかと思って」
「そうですか、まぁ、確かにここが死後の世界なのは本当かも知れませんね」
「そうだね」
マルダが同意した。
彼らにも死んだ時の記憶があるのだろうか。
「彼は試練と言ってましたが、何をするのだと思いますか?」
「さぁ僕には分からないな」
「……俺にも分かりません」
本当は知っている。
この試練では10階層まで悪魔と戦いながら到達し、そこのエリアボスを打ち倒す必要があるのだ。
そして、それを倒した先に冥界の楽園ティルスが存在する。
「ヨシさんも?」
「……はい、ただ先に進むしかないと思います」
俺は僅かに罪悪感を覚えながら答える。
「分かりました、申し訳ないのですが共に向かっても良いですか?ヨシさんは武器を持ってますよね、恥ずかしながら、あの混乱の中で木の棒の一本しか拾えなかったのです」
タリースは腰ベルトに刺していた木の棒を取り出す。
「あぁ、魔法の杖ですね」
「魔法、、の杖??」
それは日本では映画などでよく知られた魔法の杖そっくりであった。
また魔法のことについても本で読んだ。
タリースは魔法魔法と呟きながら、その木製の杖を眺める。
彼はその使い方を知らないようだ。
(伝えた方が良いのか?いや、ただ何故知ってると聞かれたら困るしな)
俺は段々と疑心暗鬼になる。
しかし、魔法使いが居れば悪魔への有効打になり得る。
即ち、試練を乗り越えて生き残れる可能性が上がると言うことに他ならない。
俺は決心して伝えることにした。
本の内容を思い出しながら、魔法の杖の使い方を説明する。
「その魔法の杖を軽く振ってみてください」
「こうですか?」
タリースは言われた通りに魔法の杖を振ると、杖先を辿るように空中に光の線が走る。
「ほぉ、、?今のは?」
「それが魔力の軌跡らしいです」
「魔法、魔力、、なんか絵本の中みたい」
マルダがその様子を見て呟く。
(本の中だから、あながち間違いではない)
その呟きに内心で同意する。
「次に『水よ此処に』と空中に書いてみてください。あ、ちゃんと水のイメージを明確に持って」
「、、わかりました」
タリースは未だ魔法や魔力の話が信じられないような様子で、言われた通りに行う。
魔法の杖が空中を踊り、文字が描かれた。
『水よ此処に』
それは光を帯びて集約し、水が何もない所から溢れ出て地面に落ちる。
「す、すごい」
マルダが目をキラキラさせて、その水を見る。
「これが魔法ですか、、」
タリースも我ながら信じられないと言ったような顔。
「規模を大きくしたり、複雑なことをしようとすると消費する魔力が大きくなります。もし体内にある魔力を全て使い切ったら、気絶するみたいです」
「なるほど、理解しました。魔法を使う際にはイメージと共に行いたいことを文字に起こす必要があるんですね」
「そうです。例えば火の矢をイメージして、『火の矢よ突け』と描けば、火の矢が飛んでいきます」
「これは発想と状況判断が必要になりそうですね、ただ使い方を次第で非常に強力な武器になる」
タリースは関心げに木の棒を見ながら言った。
「これがあれば、何かあった際に助力できますよ」
確かに、魔法使いがいればかなり有利に戦闘を進められる。
「わかりました、よろしくお願いします」
俺は彼らと共に進むことを決めた。
★
「でも怖いものは怖いんだよ」
マルダはヨシを泣きそうな顔で見る。
俺はその悲壮な表情を見て、先行きが心配になった。
「ギギャ!!」
「ゴブリン2体!!」
俺は素早くショートソードを構えながら声を張り上げた。
「マルダさん、またお願いします」
タリースはマルダの後ろへと周り、つまり大盾の影に隠れるように移動する。
「うう、頑張るよ」
マルダの役割は魔法使いであるタリースを守る事と自然になったのだ。
そして、俺は、、。
「行きます!!」
単身で向かってくるゴブリンに走り向かう。
「ガンッ!!」
ゴブリンが振り抜いた棍棒を左手の小盾で防ぎながら、ショートソードを斜め下から袈裟斬りのように脇腹を斬りつける。
「ギャ!?」
斬りつけられたゴブリンは大きく体勢を崩しながら後ずさった。
先ほど棍棒を防いだ時に生じた左腕の痺れを無視して、ショートソードの柄を力強く握り締める。
そして追撃を加えようとした所に、横からもう1体のゴブリンが奇襲のような形で飛びかかってきた。
「まずっ」
それを見て、十分に予測できた展開にも関わらずに考えなしに追撃しようとした自身の行動に後悔する。
『土の塊よ飛べ』
土の塊が奇襲を仕掛けたゴブリンの顔にぶつかり、その目を閉じさせた。
ゴブリンは振り抜く棍棒の軌道を誤り、ヨシに当たらずに空振る。
「はぁあ!!」
俺は気合いの声と共にゴブリンにショートソードを振り、それは首を飛ばした。
そして、流れるように傷を負ったもう一体のゴブリンの距離を詰め、その心臓部に刃先を突き入れた。
「ギ、、」
「はぁはぁ」
2体のゴブリンは緑色の血を流しながら、力なく地面に倒れ伏す。
「ヨシさん、今回も危険な役回りをありがとうございます」
タリースはマルダの後ろから出て、ヨシに礼を言う。
「前衛として当たり前です。タリースさんの援護助かりました」
「いえいえ」
「ごめんね、僕盾構えてるだけで」
マルダは申し訳なさそうな顔をして言った。
「マルダさんが居なければ、私は安心して魔法を使うことに集中出来ませんよ」
「タリースさん、、!!」
タリースの温かい言葉にマルダは目を潤わせた。
「さて、今回は何を持っているのかな」
俺は僅かな期待と共にゴブリンの死体を探る。
これはゲームなどではないのだ、死体がポリゴンとなって消えてアイテムだけが残るなんて事は起こらない。
しっかりとゴブリンの汚らしい服を漁る必要がある。
因みに前回は緑色のポーションを持っていた。
回復ポーションであれば良いのだが、何かよく分からないものを口にして毒でしたは笑い話にもならないので使ったりはしないが。
俺はゴブリンが身に付けていた腰巻きのポケットから、何かを見つけた。
「透明な石、水晶の欠片か?」
「ふむ、綺麗だったから持っていたとかですかね?」
「ゴミっぽいね」
俺は本の記憶を漁り、思い出す。
「綺麗な石か」
「確かに綺麗ですね」
「綺麗、、かな?」
いや、この水晶の欠片の名前が綺麗な石なのだ。
これはティルスにある商店で少し高値で売れる石。
まぁ嵩張るわけでもないし。
俺はそれをズボンのポケットに入れておく。
「おや、気に入りましたか?」
「まぁね」
俺達はティルス神殿地下2階への階段を探すべく、進み出した。