8.まるで○○
何故だろう……。
今私はスマホの着信画面を見つめている。
表示されている名前は東堂瑞貴。
あの日から、退勤後毎日トドは駅のホームで私を待っており、一緒に帰るようになった。ここ最近はトドは頻繁に我が家に来ては、ご飯を食べて、一緒に映画を観たり、二人で何をするわけでもなく、ごろごろと漫画を読んで過ごしたりしてから、帰って行くようになった。
もちろん、部屋を出た後のドアの施錠確認までがワンセットだ。閉めた音がしないと、閉めるまでノックされる。
これじゃあ、トドとカップルのようじゃないかっ!!
いや、カップルのような甘い雰囲気が微塵でもあった方が救われたかもしれない。
この関係はなんというか、こう、大学生でも高校生でもなく、さらにおぼこい中学生の男女の友情に近いような関係とも言うべきか……はたまた、一人暮らしの母を気遣う息子の行動か……。
ああ、後者だな。
着信は一度切れたが、また鳴ったので、仕方なくタップして電話に出た。
「はい、今日はどうしたの?」
『今アパートの下にいます。車が納車されたんで、スーパーに行きましょう』
「車買ったの?」
『ええ、すぐに欲しかったんで中古なんですけど、とにかくこれで綾さんの買い出しを手伝えます。今日は手で持てないくらい買って帰れますよ』
今日は日曜日で、ジムに行こうとジャージに着替えている最中だった。だから顔もファンデと眉くらいしか描いていない。つまり目はつぶらな一重である。
「まあ……トドだし、下で待ってるっていうし、近所のスーパーくらいならこのまま行くか」
私はそのまま部屋を出て、下まで降りて行った。
すると、トドが中古だと言っていた車は、中古でも随分値段がしたであろう、新車のようなSUVだった。
助手席に乗り、車が走り出すと、なぜか近くのスーパーを通り過ぎ、大型店舗も通り過ぎて市内を出た。
「スーパーじゃないの?」
「スーパーですよ。某会員制倉庫型店舗」
「そ……そんなに買うの?」
「買いましょう。今日は僕がアメリカで食べてた料理を作ります」
しばらく車を走らせ、ようやく目的地に着くと、トドは入口で会員手続きをし始めた。
「ん? 会員じゃないのに来たの?」
「だって、一人暮らしでここの店の量は買わないでしょ?」
「じゃあ、なんで来たのよ」
「綾さんが喜ぶかと思って」
「はあ?」
もう、嬉しいに決まってんだろ!! 憧れの店だよ!! ずっと来てみたかったよ!!
なぁーんて事は言えず、黙ってトドの会員手続き終了を待ち、一緒に店内に入って行った。
「わあ……すごい。本当に広いのね」
店内の天井は日本のスーパーとは比べ物にならない位高く、商品も見たことの無い積み上げ方がされており、並べられている食品の量もサイズもアメリカンサイズだった。
「こんなに買ってもうちの冷蔵庫じゃ入らないなあ……」
「あ、じゃあ、今日はうちで料理しましょうか? それで、必要な分だけ綾さんちに運びましょう。残りはうちの冷蔵庫や、常温保存のものは部屋に置いておくんで」
「え? トドの家?」
あまりに驚きすぎて、思わずトドと言ってしまい、慌てて口を押さえた。
「ああ、別にトドでもいいですよ。みんな僕の事そう言ってるじゃないですか」
「……知ってたの?」
「あんなに僕の近くで若い社員達がトドって言ってて、気づかないと思ってたんですか?」
「……いや、その……傷ついたわよね……本当にごめんなさい」
私は深々と頭を下げて、中々顔を上げられなかった。
「傷ついたな……」
トドの憂愁に沈む声に、申し訳なさでいっぱいになり、胸が苦しかった。本当に自分はいけない事をした。
「ごめんなさい……本当にもうトドなんて言わない。すごく、後悔してる。どうしたら償えるか……」
「……そうですねえ……じゃあ僕も、綾さんのこと別の呼び方で呼んでもいいですか?」
私はちらっとトドを見た。トドは何だか嬉しそうに見えるが、気のせいだろうか?
そして私はどんなあだ名で呼ばれるのだろう。
すっぴん能面?
和室界隈??
まさか、お母さん……???
それも受け入れよう。それだけやってはいけない事をした。
すると何故かトドは、ふわりと柔和な笑みをこちらに向けた。
「綾ちゃんって、プライベートでは呼んでもいいですか?」
「あ……綾ちゃん!?」
「ダメならコンプラで社内問題にしよっ」
「ごめんなさいっ! 本当ごめんなさいっ! もちろん、好きに呼んで!」
「うん、綾ちゃん」
トド……じゃない、瑞貴は、にこにこと微笑みながら私を呼んだ。これじゃ、罰というより、普通に私は嬉しい。
瑞貴と一緒に食材や調理器具を買い込み、車に積んで瑞貴のマンションへと向かう。彼は毎日私のアパートに来ていたが、私は初めて彼の家に行く。
駅近の分譲マンションの敷地に入って行き、車を停めると、子供たちの元気な声が響いていた。広い敷地内には何棟もマンションが建っており、公園や集会所や住民用プールもあって、小さな街のようになっていた。
幸せを絵に描いたような、ザ・ファミリー物件といった感じである。
こういうの、憧れるなあ……。
「さあ、こっちです」
瑞貴は台車に買い込んだ商品を乗せてガラガラと押しながら自分の住む棟まで案内する。
エントランスはオートロックで、乗り込んだエレベーターは最上階まで上がっていった。
立派な玄関扉が開くと、白を基調とした広い玄関、造りは都内の高級タワマンとは違い、温かみのある造りのファミリー向けの分譲といった感じで、リビングはモデルルームの家具をそのまま持って来たかのようなお洒落なものばかりだった。
普段アキバ系よろしくリュックを背負っている姿からは、到底想像つかないほどのスタイリッシュさだ。
「綾ちゃん、何持って帰ります?」
「え? あ、ああ、じゃあ、その鶏むね肉を二~三枚と……」
瑞貴は必要な分だけジッパー付きビニール袋に取り分けて、私が持って帰りやすいように紙袋に纏めて入れてくれた。
それから、私はただソファに座って、出された高そうなシャンパンを飲んで、大きなテレビで映画を観て待っているだけだった。
さっき買ってきた輸入品のバーベキューソースの香りだろうか? 甘くスモーキーな香りがリビングまで漂ってきた。
日本で育ち、海外に行った事のない私の料理で、この香りは絶対に出せ無いだろう。