7.家
駅に着き、ホームで別れようとすると、トドが首を傾げた。
「いえ、僕も下りです」
「え? く、下るの? 御曹司が??」
「別に会社の方々、結構多方面に下ってますよね」
「独身でお金があるなら都内で暮らせばいいのに」
「綾さんって、なんか偏ってるなあ……」
電車が到着し、二人で乗り込み、すぐ隣の駅で二人で下車した。
「待って……まさか、ここ? 最寄り駅まで一緒なの!?」
「はい、ここが最寄り駅です。家まで送りましょうか?」
「一人で帰れるわよ!」
結局二人で改札を出てしまった。
「瑞貴は自転車? バス? 家はどこら辺?」
ちゃんと生活圏を聞いておいて、街でばったり会わないようにしないといけない。
「駅から徒歩五分くらいのとこです」
「え? 駅の近く??」
ここは東京のベッドタウン。都内と違い、駅近はほぼファミリー向けのマンションや住宅ばかり。まさかとは思いながら歩いていると、トドは立ち止まり、指をさした。
「ほら、あそこです」
トドが指さす先は、駅近のファミリー向け分譲マンションだった。
「綾さんはどこですか?」
「え……ここから徒歩30分くらいの場所かな」
「それって……ここ最寄り駅って言えます? まあいいか。もう夜遅いし、治安が良いとはいえ、そんな道のりならちゃんと送りますよ」
「べっ、別にいいってばっ——」
言葉の途中でトドが走って来たタクシーをつかまえてしまった。
タクシーのおじさんの早く乗れよの視線にたじろぎ、諦めてトドと一緒にタクシーに乗ってしまった。
別に相手はトドだ。会社の人は誰も家に呼んだことはないが、トドなら別に恥じらうこともない。問題ないだろう。
タクシーは走り出し、旧市街の住宅街に入って行く。駅周辺とまったく違い、ひと気もほぼなく、静まり返っていた。
「あ、そこのアパートの前で停めてください」
「え゛? あそこ?」
アパートを見て驚愕するトドなんて気にもせず、財布を開け始めたが、トドはそれを手で静止した。
「このまま僕が乗って帰るんで、払わないでいいです」
「え? 折角だから寄って行きなよ。ここまでされたら、今日のお礼にお茶位出すつもりだったし」
「え゛? 綾さん、一人暮らしの女性が、こんな時間に簡単に男を家に上げちゃ駄目ですよ」
「え゛? やだやめてよ。あなたと間違いを犯すわけないでしょ」
「いや、そういう問題でもなく、普段からの姿勢というか……」
タクシーのおじさんが、早く降りろよといった視線をこちらに向けて苛立ちながら待っていた。
トドが慌てて支払い、タクシーから飛び降り、私も続いて飛び降りた。
「じゃ、まあ、どうぞ。こんな時間って言ってもまだ九時だし。飲みに行ったらこれくらいの時間はまだ早い方でしょ」
「はあ……じゃあ、お言葉に甘えて……」
二階建ての築五十年のアパートの鉄階段を上がると、カンカンカンッと高い音が響く。
「趣きがありますね……」
御曹司のお坊ちゃんにはさぞ衝撃的でしょうが、私の実家もこんな感じなので、私は抵抗はない。
鍵を開け、部屋の中に案内すると、トドは意外にも感動した様子だった。
「へぇ……素敵な部屋ですね」
「え? どこが?」
「住んでいる人のひととなりが良くわかる」
「なんかそれ、嫌」
部屋の中は綺麗にしてはいるが、1Kのボロアパート。これで私のひととなりがわかってしまったのか? どういう風に捉えた?
トドがどう思ったかはわからないが、私はこの家に満足をしている。お風呂もついて、トイレは別で、キッチンと和室がガラス扉でちゃんと別れている。最寄り駅から東京駅まで電車で二十分なのに家賃が四万。何より、この街で暮らしていると、あの夢の国の花火が観られる。
「ベッドないですけど、布団で寝るんですか?」
「こんな狭い部屋にベッド置いたら、ほかに何も置けなくなるから」
「っていっても、ほかも何もなくないですか?」
トドの言う通り、私の部屋には、小さなちゃぶ台と、カラーボックスとテレビくらいしかなかった。布団と服は押し入れに入っている。
「ていうかさ、あなたも女性の部屋上がるなりベッドとか布団とか口にするのどうなのよ? 職場でも女性への発言は気をつけなさいよ。さあほら、適当に座って。今お茶淹れるから」
私はそそくさと日本茶を淹れ、漬物を出した。
「漬物?」
トドは戸惑いながらもきゅうりを口に入れ、ぽりぽりと食べ始める。
「うまっ……」
「でしょ! 私が漬けたのよ」
「え? 綾さんが?」
「ふふ、まさか会社の人に食べさせる日が来るとは思わなかったけど」
トドは無言で漬物を食べ続けていた。そういえば、この巨体に塩分は大丈夫だっただろうか……。
「ねえ、一人で夢の国に行くつもりだったの?」
「そうですよ?」
「マジか……」
「今日、亡くなった母の命日なんです」
「え……」
トドは軽く話すが、私は気まずい。
「父が忙しかったんで、小さい頃から出かける時は基本母と二人きりで、それでよく遊園地に連れて行ってくれたんです。あそこは母との思い出の場所です」
「そんな日に……ごめんなさい……」
「いえ、いいんです。おかげで僕も、命日に母と過ごせた気持ちになれましたから」
「そう……え? 母??」
「綾さんって、お母さんみたいですよね。この漬物なんて特に」
別にトドに女に見られたいわけではないが、あんなロマンチックな雰囲気で母と過ごしていたようだといわれてしまう私は何なのだろう……。
いや、私もあの雰囲気で、トドが相手で残念がっていたのだが……。
まあ、お互いに、異性としての意識が全く無いというわけだろう。
そしてトドが漬物を完食し、お茶も飲み干すと、両手を合わせてご馳走様をしてから、キッチンで食べた食器を洗ってくれた。
濡れた手をハンカチで拭きながら、トドは和室にいる私に声を掛ける。
「美味しかったです。ありがとうございました。じゃあ、帰りますんで、女性の一人暮らし、窓や扉はしっかり施錠して寝てください」
「ああ、はい、お気遣いありがとう」
トドは玄関に置いていたジャケットとリュックを持つと、一礼してから扉を開けて帰って行った。
「育ちがいいわね」
今夜の一連の振舞いに、トドの育ちの良さを初めて実感した。
扉をトントンッと叩く音がして、思わず肩をビクッと上げる。
「鍵、すぐかけて。チェーンも」
扉の向こうからトドの声がした。
鍵が掛かるのを確認するまで扉の前に居たのかと思うと、こいつが彼氏だったら面倒くさそうだなと思い、鍵を掛けた。