5.トド
「あのヤロウ……どこ行った……」
瑞貴が入社して早ひと月。私はだいぶ振り回されている。今も資料作成を頼んでから、席を離れて戻ったら、あらびっくりどこかに消えていた。
「綾子さん、オス化激しすぎ。長年シングルで拗らせ始めると、ああなっちゃうのかな」
「バカ、あんなふてぶてしいトド押し付けられたら、誰だってあーなるでしょ。社長の息子だからって、先輩の綾子さんにガンガン盾突くんだよ? 私はムリ~」
若手の言葉はしっかり私の耳まで届いている。
チーンッとエレベーターが到着した音がして、扉が開く。
私はその扉が開かれ、人が降りて来る瞬間を一秒たりとも見逃さないように凝視した。
そしてやはり、エレベーターから降りてきたのはホイップ山盛り期間限定フラペチーノを片手で持った瑞貴だった。
「瑞貴!! 勝手に外に行くとかありえないでしょ!!」
「頼まれてた資料は、ちゃんと作成し終えて、机に置いておきました」
瑞貴に言われ、私は自分の机に視線を向けると確かに資料が置かれていた。
「ちゃんと手渡しで渡さないとダメだし、業務中に勝手に外出るとかもないからっ!」
「資料作成が終わった後かなり時間があり、ただ机に座ってるのはとても無駄だと感じたので、クラウドの共有ファイルに一通り目を通して、机周りも掃除して、秘書課の皆さんにも何か手伝えることを聞き、それでも綾さん戻らないから、飲み物を買いにほんの5分、会社前のカフェに行ってただけです。飲料の買い出しは業務中も許可されてるはずです」
そう言い切った瑞貴はドンっと持っていたホイップ山盛り期間限定フラペチーノを私の席に置いた。
「え?」
「イライラされてるようなので、糖分を摂取した方が業務に効率が良いと思ったので」
私はフラペチーノと瑞貴を交互にみる。彼は私のためにコレを買いに行っていた?
「あ、ありがとう……」
「資料、早く確認して修正指示をお願いします」
瑞貴はそう言って私の隣の席にその巨体の腰を下した。そして早く見ろと言いたげな視線を向けて圧をかけてくる。四つも下の新人になぜこんなに舐められてるのか、腹が立ちながらも資料に目を通した。
「……完璧」
「ありがとうございます」
悔しい。誤字脱字が無いのは勿論、文字列もちゃんと端で整えられており、数値をグラフにして可視化までしていた。何もいう事がない。むしろ褒めたい……。
夕方、今日も一日瑞貴の教育でくたくたになって会社を出る。正直、瑞貴は仕事がかなり出来る。入社数年の若手なんかよりも、いや、秘書課で一番といっていいほど出来る。あれは他部署でもトップ争いするだろう。
だから何かを教えようと思っても、その教え方を品定めされているようで、最近はかなりプレッシャーになってきていた。
改札手前でカバンからスマホを取ると、嵯峨からの不在着信に気づいた。
「え、また?」
折り返すわけもなく、そのまま駅の改札を抜けて京葉線のホームまで歩き出す。東京駅の会社最寄りの改札からだと、京葉線ホームはかなり遠く、その間は頭の中は嵯峨ではなく、瑞貴の事でいっぱいだった。
本当に何なんだあのトドは? 不愛想で、偉そうで、めんどくさい。誰が高身長ハイスペックイケメンって言った? 確かに縦にデカいが、横にもデカい。ハイスペック? 海外の大学院出たからって、無駄に頭の回転速くてウザいだけだし、ここは日本なんだから日本の常識をまず覚えろ。先輩を敬え。
そしてどこがイケメンよ? モデルのエリカの元カレって話は何???
「これだから噂話ってやつは信用ならないのよっ!!」
「何か面白い噂でもあったんですか?」
「いいっ」
すでに京葉線ホームに着いており、いつの間にか隣でトドがバナナを食べて立っていた。
「何でここに? っていうかバナナ?」
「栄養補給にいいですよ。いります?」
「食べかけのバナナなんかいるかっ!!」
お前は本物のトドか!
※トドは通常バナナは食べません
電車が到着し、トドには構わず先に電車に乗り込み席に座った。彼は私の席から離れたドアの前に立った。
こちらに背を向けているトドを、なんとなく見つめる。いや、キッと睨んでやった。
あいつはダサいリュックを高い位置で背負い、両手で肩ひもをしっかりと握っていた。
ダサい。ダサすぎる。
性格も難あり。
御曹司だろうと、頼まれたってあれはお断りだ。