2.イケメンがやってくる!?
中川課長の言葉で皆一斉に席を立つ。秘書課は男性四名、女性六名の十人体制の課である。第一秘書は重役と行動を共にし、第二秘書がデスク業務でサポートする。そして、全デスクをアシストする第三秘書がいる。
「早速だが、この春、新人が配属される事になった。名前は東堂瑞貴で、アメリカのコロンビア大学経営大学院を修了したそうで、優秀な二十六歳——」
中川課長の話を遮り、秘書課全員が驚きの声を一斉にあげた。そして興奮した若手第三秘書の萌ちゃんが大きな声で聞く。
「東堂って、東堂社長のご子息ですか!?」
「やっぱり気づくよな。そうだ、東堂社長のご長男だ」
「「「えーーー!」」」
秘書課の特に二十代前半の子達からは色めき立つ声も聞こえ、彼女たちは中川課長を質問攻めにした。
「やっぱりイケメンですか?」
「名前がもうイケメン!」
「彼女いるかなあ~。二十六なら、まだフリーの可能性ありますよね」
中川課長はそんな彼女達に、ニヤリと笑って答えた。
「背が凄く高くて、百八十六センチある」
「きゃーっ! もう絶対イケメン確実でしょ! だってあのエリカの元カレでもあるんでしょ? 万が一イケメンじゃなくても、高身長、高学歴、実家は大企業ってだけでもうハイスぺ!」
「課長ぉ~、社内恋愛禁止されてないですよねぇ~?」
「おいおーい、男なら俺たちもいるぞー」
冗談なのか本気なのかわからない妙なテンションで湧き立つ秘書達に、ずっと黙って様子を冷ややかに見ていた、秘書課のお局阿川が怒りの声を上げた。
「社長のご子息に色目使うなんてダメに決まってんでしょうがっ!! 御曹司が一介の社員を本命にするわけないだろがっ!! 秘書課は立場も業務的にも火遊び相手にもなっては絶対ダメですから、ねっ!!」
その気迫に一気にフロアは静まり返り、若手達は皆気まずそうに下を向く。
「それと、今年は異動もあって、間宮萌は春から人事課になる」
「えーーー!! 瑞貴君に会えないのぉ~」
萌ちゃんが悲しみの声を上げたタイミングで、またエレベーターの音がして、皆そちらへ振り返ると、今度は社長が出社してきた。
「おはよう、諸君」
「「「東堂社長、おはようございますっ!!」」」
私は、郵便物と今朝嵯峨に渡された原稿を渡しに、社長の前まで進む。
「ああ、藤木君、春から息子がお世話になるよ」
「はい、早く会社に馴染めるよう、秘書課でサポートさせていただきます」
「いや、教育担当としてだよ。まだ聞いてないのか?」
「え? 教育担当?」
戸惑う私のそばに中川課長が駆け寄ってきた。
「今、瑞貴君の入社の話を伝えていたところです」
「ああ、そうか。それは混乱させてすまなかった。瑞貴の教育担当は藤木君に決まったんだよ。勿論、息子には中川にくっついて現場で学んで貰う時もあるが、中川は私の案件で手一杯だからな。申し訳ないが教育は君に頼む」
「承知致しました」
私は深々と社長にお辞儀をすると、社長と中川課長はすぐに社長室へ入って行った。
若手秘書の咲良ちゃんと萌ちゃんが、お局様に聞こえないよう、小さな声で私に向かって声を掛けてくる。
「うまくいけば玉の輿ですよ、綾子さん! 脱・シングル」
「そしたら、友人とかのおこぼれよろしくですっ!」
イケメンハイスペ御曹司の教育担当……なかなか魅力的な展開だと思うけど、でも皆が知らないだけで、私には既にイケメン彼氏がいる。年下男性は元々圏外だし、いくら上昇婚狙ってたからって、条件良い方に乗り換えるとか、二股掛けるほど軽薄ではないから、周りが期待するようなことは絶対起こらないと思う。そもそも、社長のご子息なんて狙っちゃ駄目でしょ。
咲良ちゃんが、萌ちゃんを小突き出した。
「何アンタよろしくですとか言ってんのよ。相手いんでしょ?」
「だめだめ、内緒ですってばっ」
急に第三秘書の萌ちゃんが顔を赤くして慌て始めた。
ほほん、これは男がいるんだな。
「え? 萌ちゃん彼氏できたの?」
惚気話を聞いてあげた方が良いのかと思い、それとなく聞いてみる。
いいわよ、いいわよ、今の私ならいくらでも聞いてあげるから、言ってごらんなさい。
「あ、はあ……彼氏ではなく……実はまだセフレ止まりで」
「はっ!?」
思わず私は大きな声を上げてしまい、お局様に睨まれてしまった。気まずい笑顔をお局様に向けながら、三人で給湯室にお茶を取りに行くフリをしてフロアを出た。