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 (みのる)はもう四時間、山道を歩いていた。

 村での伝承を頼りに、屋敷が存在するであろう場所をいくつか地図に書き込んでいたが、一向に(こり)屋敷に辿り着く気配はない。いつしか同じ場所をぐるぐる回っていることに気が付いた頃には、精も根も尽き果てていた。低い山だと侮っていたおかげで、弁当一つしか食料はなく、それもとうに食ってしまった。その上、どこかで落とした方位磁石は見つからず、陽はどんどん陰っていく。道と呼べる道も消え、沼地を歩くように足取りは重い。

 この山中で屋敷に辿り着くことがある。山奥にあるはずのない屋敷には、一生かけてもお目にかかれない宝が隠されているという。働く労力を割くぐらいなら、山の不思議な屋敷を探す方が賢明だというのが、若い男の青い考えだった。

 だが、働く方がまだ楽だ。畑を耕していれば、遭難の危機を感じることはなかったのだから。

 そろそろ冬を迎える時節、夜の山中は耐え難いほどに冷えるだろう。熊に狼、猿に猪、どんな獣が襲ってくるかもわからない。最悪の事態を想定する稔は身震いしながら、とぼとぼと道なき道を歩き続けた。

 飢えと渇きと疲労で意識が朦朧とし、せり出した木の根につまずき転んだが、稔は起き上がらずに仰臥した。すっかり日の暮れた空に明るい満月が昇っているのが、重なる葉の隙間から垣間見えた。煌々と差し込む月光は幸いにも周囲を照らしてくれるが、帰り道は示してくれない。しばらくは、寒さも獣の恐怖も忘れ、ぼんやりと月明かりに照らされていた。

 視線を巡らせ、はてと目を細めて訝しむ。眩い月とは異なる灯りが、雑木林の向こうにぽつんとある。橙の温かそうな光だ。半身を起こし、誰かが歩いているのかと凝視したが、灯りは動かずそこにある。ようやっと立ち上がり、光に引っ張られるように、稔はふらふらと歩き出した。転んだ拍子に擦りむいた膝がじんと痛んだが、幸い足は無事に動いてくれた。

 ぽっかりと開けた空間があり、月明かりの下に大きな屋敷がそびえ立っていた。玄関先にぶらさがる提灯の火が、目指していた橙の灯りだった。

 つやつやと輝く屋根瓦を呆気にとられて見上げていると、「もし」と後ろから声がかかった。

「旅人さんですかい」

 振り向くと、背後には提灯を下げた十二歳ごろの少年がいた。着物に草履の出で立ちで、背中にはかごを背負っている。

「それとも、梱屋敷に御用ですかい」

「なんだって」

 稔は耳を疑った。確かに梱屋敷と言った少年は、「へえ」と頷く。これが梱屋敷か、と稔は改めて立派な屋敷を見上げた。深い山中とは思えない光景だった。

 梱屋敷に人がいるとは聞いていないが、まさか宝を狙っているとは言えるはずもない。

「山菜取りに来て、ついうっかり深いとこまで来ちまったんだ。そしたら道に迷ってようよう出られんなってしもうた」

「そりゃあ、難儀やのう」

 稔の嘘に、彼は眉をひそめて同情の意を示し、疲れた男の全身を眺めて「やや」と目を丸くした。

「足、怪我しとるやないか。血が出とるぞ」

「さっき転んでしもうてな。なに、大したこたあない」

「うちで休んでいったらええ」

 稔にとって申し分ない提案を少年は口にした。

「ええんかい」

「熊の住処であんたさんの着物を見つけてしもたら気味が悪い。俺がお露さんに頼んじゃる」

 お露さんとは誰じゃ。そう稔が尋ねる前に、少年は提灯を掲げて庭へ入っていく。稔も恐々、その背に続いた。


 玄関に入ると、奥から一人の女が静々と現れた。露草色の着物に、長い髪を鮮やかな牡丹色の髪留めで結い上げている、二十七、八歳頃の婦人だ。色白のはっとするような美人を、お露さんと少年が呼ぶ。

「こん人、道に迷ったそうなんです。足も怪我しとるし、うちで休ましたったらどうでしょか」

「あらまあ」女は口元に手をやり、眉をハの字に傾けた。「それは難儀なことで。なんもない家ですが、一晩泊まっていったらどうでしょう」

 願ったり叶ったりだ。「へえ。是非とも、お願いします」一晩あれば、目当ての物を探し出せるかもしれない。稔は腰を折ってお辞儀をした。

 屋敷の中は外見通り広く、廊下は果てがないと錯覚するほどに長かった。稔が踏みしめる床はぎしぎしと鳴るが、前を行く女子供は軽いせいか音がしない。

「家にいるのは、お二人だけなんで?」

「ええ。主人は急な仕事で出かけておりまして。しばらく私らだけです」

 女の名は露、少年は耕助といった。耕助は旦那の兄の息子だが、両親が病死したため引き取って育てているそうだ。「よう手伝うてくれて、助かっとります」露は微笑んだ。

「それにしても、山の中だというのに立派な屋敷ですなあ」見上げる天井は、吸い込まれそうに暗く高い。

「古いだけで、大したことはありませんのよ。主人の曽祖父が変わったお人で、道楽で建てたそうです。今は私共が住んでおりますが、もう少し麓に近ければと思いますわねえ」

「へえ、道楽で……」

 これはやはり相当な金持ちに違いない。横目で通り過ぎる部屋を確認しながら稔は思った。どれかの襖の向こう側に、宝が眠っているに違いない。

 やがて座敷に通された。畳が二十枚は敷かれた部屋で、床の間には鯉が滝を上る様を描いた掛け軸がかかっている。隣室とは襖で遮られ、欄間には立派な松が彫られていた。

 二人は一度出て行ったが、稔が部屋を探索する前に、露が戻ってきた。

「どれ、足を見してくんなまし」

「いや、大したことは……」

「ええから、見して」

 露の勢いに押され、稔は座したまま服の裾を上げて膝の傷口を露わにした。露は濡れた布で血の跡を拭い、袂から取り出したヨモギをもんで、傷口に被せた。「これで、血も止まりますからね」そう言って手当てをする露の髪留めの朱を、稔は黙って見つめた。

「あんたさん、お腹減っとるでしょう」

 白い布を膝に巻くと、露は徐にそう言った。

「私どもの残りで申し訳ないけんども、夕飯お持ちしますわ」

「いや、そこまでは……」

 言いかけて随分腹が減っていることに気が付いた。言い淀んだ稔に露が微笑むと、耕助がひょこりと廊下から姿を現し、部屋に入ってきた。彼は湯呑の乗った盆を手にしていた。

「喉乾いとるじゃろ」

 礼を言い、勧められるまま茶を飲んだ。苦みの中にほんのり甘みのある、不思議な味の茶だった。

「これは、何という茶かの」

「何というて言われても、ただの緑茶や」

 目を丸くする稔を見て、耕助がけらけらと笑う。

 訝しむ稔の前に、露と耕助が入れ代わり立ち代わり、あっという間に膳を用意した。

 見たこともない料理だらけだった。目を向く稔の前で、「お口に合えばええんやけど」と露が不安げな口調で言い、その脇に座している耕助も、本を読みながらちらちらとこちらを盗み見ている。

 それに腹が減っていた。昼に弁当を食った切り、何も口にせず歩き続けた稔の食欲は限界だった。

「ほんじゃ、いただきます」

 しかし、膳の箸を手に取った途端、稔は思わずのけ反った。ぎゃああと赤ん坊の泣き声が部屋にこだまする。あたりを見回しても、そばに赤子の居るはずがない。

「ど、どこぞの部屋に赤ん坊がおるんか」

「さっきも言いました通り、この家には私と耕助だけですわ」

「なら、一体……」

 すぐに泣き声はぴたりと止んだ。「箸置きです」露が言うのに、「箸置き?」と、稔は黒い小石を見つめた。

「夜泣き石を削って作らせたものですの。亭主が物好きでして」

「はあ……」

 夜泣き石の箸置きなど聞いたこともない。だが空腹に耐えかね、稔は皿に盛られた薄い板のような切れ端をつまむ。刺身にもこんにゃくにも似ているが、いやに透明で向こうの景色が透けて見える。

「これは、なんですかい」

「つちのこの刺身じゃ」本から顔を上げて、誇らしげに耕助が言った。「俺が捕まえた」

「え、つちのこ?」

「耕助はつちのこを捕まえるのが上手くって。今朝も二匹ほど捕ってきたんです」

「こんな新鮮なもの、村では食えねえぞ」

 稔はつちのこなど食うどころか見たこともない。気が進まずつちのこを皿に下ろし、椀を手に取った。汁に浸かった肉を口に含む。茸のような弾力のある食感と、磯のにおいが噛むたびに口の中に広がる。

「これは、なんの肉ですかな」

「人魚じゃ」

「なに、人魚?」

「これ、耕助」

 露が窘めると、耕助はぺろりと舌を出した。

「鳥、いや、魚ですかな」

 気を取り直して尋ねる稔に、「人魚のなりそこないですの」と露が訂正した。

「人魚も、最近ではとんと捕れなくなってしまいまして。普段は、人魚になれなかった人魚紛いを買っているのです。お恥ずかしいものを出してしまいました」

 格別に美味くもないが、不味くもない。しかし得体のしれない薄ら寒さを覚え、稔は膳に椀を置いた。

「あら、お口に召さなかったようで」

「いやいや、その」

 梱屋敷に行って戻った者の話を実際に聞いたわけではなかった。昔の誰かが宝を持ち帰ったらしいという話が、村に広まっているだけなのだ。

 その誰かが実在したとして、住人の居ない隙に宝を持ち帰ったのではなかろうか。それ以外の者たちは、みな住人に食われてしまったのではないか。

 女子供がこんな山深くの屋敷でぽつねんと暮らしているのも甚だおかしな話である。男手もなく、幾日も屋敷を守れるものなのか。数日であれば、麓の知り合いを頼るのではなかろうか。

 こいつらは、きっと人間ではない。

 しかし、闇雲に逃げ出しても易々と捕らえられるだろう。ここは気づかないふりをして、食事を終えるのが吉だ。

 手の震えを必死で抑え、小鉢に箸を向けた。葉物のお浸しなら怪しくはないだろう。

 緑の葉を箸でつまみ、「わあっ」を声をあげて稔はそれを放った。箸の間で葉と茎が、僅かだがうねうねと動いていたのだ。

「あれ、どうしました」

「い、生きておる。動いておったぞ」

「活きの良いみみず草は初めてご覧になりましたかね」

「さっき俺が採ってきたばかりやから」

 またも耕助が胸を張った。どうやら背中のかごに入っていたのが、この草だったらしい。

「満月の夜は、特に元気がいいんじゃ」

「か、勘弁してくれ」すっかり腰の抜けた稔は、這うように膳から遠ざかる。「命だけは、助けてくれえ」

「お腹空いてないんですかい」

「そうみたいね。おかゆを作ってさしあげましょう。鼠の尻尾をすりおろせば、きっと元気になりますよ」

 うふふと露が笑い、あははと耕助が笑った。しかしその口は開いておらず、笑い声だけが彼らの中から聞こえてくる。

「お客さん、そんな顔しはらんと。怖いものなんか、なあんにもありはしませんよ」

 にんまりと笑う化け物の口が、三日月のようにしなるのが見えた。

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