4-竜の餌付け
「こんにちはー……」
相変わらず眠っている竜を凝視しながら、マルタはゆっくりと洞窟の中に入っていく。
どれだけ慎重に進んでも無音とまではいかないが、彼はまた呼吸もせずに眠っているようで、気付かれることはない。
彼女は無事に竜の目の前まで辿り着いていた。
「おーい……やっぱり息してない。
この竜、なんで……どうやって生きてるんだろう?」
口元に手をかざしてみると、案の定彼は無呼吸だ。
おそらく、前回のようにかなり派手にちょっかいをかけなければ、そうそう起きることはないだろう。
それを察したマルタは、起こす前に餌付けの準備をするべくリュックを置いた。中から取り出したシートに、大量の食料を並べていく。
「一応生のお肉、お野菜、お魚お米にパン。
それから、火を通したお料理(お肉メイン)……
惹きつけないとだから、配置もちょっと工夫してっと」
今回持ってきていたリュックは、彼女の体よりも幾分大きいものだったので、入っている食料もかなりの量だ。
一度外に出すだけでも数分かかり、さらに魅力的に並べるとなると、十分以上かかっていた。
しかし、それだけの時間を消費しても、竜は一向に起きる気配がない。音はともかく、料理から漂う香りは眠りを妨げるのには十分なのに、無呼吸だからか完全に無反応だった。
そのお陰で、マルタは誰にも邪魔されることなく無事に準備を終え、完璧な態勢で竜を起こしにかかる。
「……さて、じゃあそろそろ起こそっかな。
昨日は羽を引っ張ってたら起きたけど……怒るよねぇ。
でも、他に起こし方ってあるかなー?」
昨日の出来事を参考にすれば、翼を思いっ切り引っ張れば確実に起きるだろう。だが、今日は餌付けのため以上に仲良くなるために来ているのだから、怒らせては意味がない。
そのためマルタは、食べ物を並べたはいいものの、肝心の竜を起こす事ができずに頭を悩ませることになる。
まずは、硬い鱗に覆われた手足を軽く叩く。
乗ると間違いなく起こられるため、乗らずに尻尾を引く。
最終的には、口を無理やり開けて食べ物を入れてみるという方法まで取っていた。幸いにも、その効果はちゃんとあったようで……
「むぐ……!? な、なんだ……!? また貴様か、小娘ぇ……!!」
強制的に肉を食べさせられた竜は、羽を引っ張られていた時以上に驚いた様子で目を開き、体を起こしていた。
目を覚ました彼は当然のように怒り、洞窟を壊す勢いで咆哮を轟かせるが、マルタは臆せずはにかんで見せている。
「えへへ、またわたしでしたー。竜さん、またねてたの?」
「寝ていたら何だというんだ? 貴様は懲りずにまた来たどころか、人の口に勝手なものを放り込みやがって」
「ずっとねむっていたら、お腹が空くでしょう?
今日はたくさんご飯を持ってきたの。食べない?」
「何度も言わせるな。我らに食事は必要ない」
「昨日は、人間を食べないとしか言われなかったけど」
「ならば今覚えろ。我は何も食わん。去れ。
そして二度と、この洞窟に近づいてくるな」
「え〜……」
もう口に手が届かないよう顔を持ち上げた竜は、鋭い目と牙を輝かせており、またもキレている様子だ。
しかし、その割に彼女を傷つけるつもりはないらしく、腕や尻尾は危なくないように地面に置かれたままだった。
言動がチグハグ、とまでは言わないが……
少なくとも、最初から友好的な相手に恐怖を抱かせるような対応ではない。それを証明するように、怒られて拒絶されているマルタは気にせず数歩下がり、料理を見せつける。
超常の相手を前に、普通の神経を持っていれば、ありえないくらいしつこく食い下がっているが……
さっき無理やり口に放り込んだ料理が、吐き出されずに飲み込まれているのを、ちゃんと確認しての判断らしい。
おそらく、起きてからは口からも頻繁に熱い息が吐き出されていることも、裏付けになっているだろう。
とはいえ、こうして2度も竜を探しに来ていることも含め、怖いもの知らずであることに疑う余地はないが。
「竜さんは、死ぬことがなくて、息をする必要すらなくて、いつも寝ていて、人間もふ通のご飯も食べないのね。
でも、こうして起きてお話をしているんだから、息もご飯もできない訳ではないんでしょ? おいしいよー」
「馬鹿にするなよ、小娘。我は人間にできることはなんでもできる。それが我らのような神秘だからな」
「それ、竜さんみたいな物語に出てくる生き物って意味?
まぁ、それは後でいいけど……わたしは小娘じゃないよ。
あなたと違って自己しょうかいしたでしょ? マルタって」
「はっ、人間などみな同じようなものだ。
寿命があり、軟弱で、空も飛べない。地を這う下等生物め」
「口悪〜」
竜は実力行使するつもりこそないようだが、かといってまともに話を聞く気もないようだ。
料理の誘惑を前にしても、名前すら教えずに変わらず上から目線で言葉を紡ぐ。
仕方なく一度料理を置くことにしたマルタは、ペタンと座りながら思わず苦笑していた。相手が恐ろしい生物であることはわかっているはずで、まったく仲良く慣れる気配もないというのに、恐ろしい胆力だった。
「でも、地面をはってるつもりはないんだけどなー。
歩いているのがダメなら、みんなそうじゃん。
あなたが飛んでるところも見たことないし、そこまで言うなら常に飛んでないとダメでしょ」
「……」
「ずっとここでねてるけど、空を飛べるなら見せてほしいな。わたしも空飛んでみたいから、よければ乗りたーい」
「……」
「……あれ? どうしたの? 元気ないね?」
竜の鱗をカンカン叩きながら一方的に喋っていたマルタは、彼が黙り込んでいることに遅れて気が付き口を閉じる。
見上げる彼の姿は、人より表情の変化に乏しい竜であっても険しく感じられ、強烈な威圧感を放っていた。
だが、ここまできて今さら彼女が怯える訳がない。
むしろ、昨日よりも話せていることで相手の心配をしているくらいだ。少し考え込むと、懲りずに料理を差し出す。
「食べる必要がなくても、食べれるなら食べようよ。
美味しいものを食べると元気になるから!」
「……ふん。我を餌付けするつもりか? つくづく愚かな小娘だな。これが人間らしいというやつなのか?」
「はぁ、つくづく上から目線な竜様だねぇ。弱っちいわたしを怖がってるんじゃないなら、食べればいいのに」
「……いいだろう。我は貴様から施しを受けた訳ではない。
貴様から食物を奪い取った。もしくは献上品を受け取った」
「うんうん、それでいーよー」
嬉しそうに笑うマルタを見下ろしたまま、竜はようやく料理に口をつける。もし誰か見ていれば、巨大なドラゴンが幼い少女を丸飲みにしようとしている、という風に見えたかもしれないが……
ずっと傷付けないように配慮していた通り、実際にはそんなことはない。器用に差し出された肉料理だけを食べ、今まで拒否していたとは思えないような表情を見せていた。
「ふむ。……ふむ、ふむ。なるほど。人間はこういう風に……
火を通すだけでも旨いのに、味付け……刺激的だ。
脳に響くような……なるほど、世界が変わるな」
「えへへ、美味しそうに食べるねぇ竜さん」
「黙れ人間。我に取り入りたいなら、さっさと次をよこせ。
生きるだけなら食事はいらんが、それ以上をするならもっとエネルギーがいる。俺はちゃんと食うことにした」
「それ以上……? よくわかんないけど、まぁいいよ!
たくさん持ってきたから、どんどん食べて!」
竜の体格からすればかなりの少量の料理だったが、彼は実に美味しそうにそれを食らう。餌付けは間違いなく成功だ。
それを見たマルタは、ニコニコと嬉しそうに笑いながら次の料理を差し出していた。