25-自由で不自由な空へ
少年少女が駆け出した嵐の下で、神獣達はぶつかり合う。
彼らは黄金であり、嵐。共に大自然そのものである神秘だ。
あまり己の全てを懸けた戦い、という雰囲気でもないが……
それでも、軽く動くだけで空気は揺らぎ、数度の激突で環境を激変させていた。
「グルルル……」
元より森を震わせていた嵐を引き裂くように、黄金の肉体を持つエルドは辺りの一切を薙ぎ払う。さっきまで横たわっていた洞窟は、もうない。
黄金は彼の支配下にあったため、その意思に従って変形し、爪牙として手足のように周囲を引き裂いていた。
それは、時に横薙ぎであったり、上から食い破るようだったり、下から花開くようだったりと様々だ。
合間にはエルド自身も攻撃を仕掛けているので、嵐馬は逃げ惑うしかない。
現在の彼は翼が折れており、本来の力を発揮できてはいないのだが……飛べない、バランスを取ったりできないというだけで、地上での実力も高いようである。
戦闘自体久しぶりで、地上での戦闘経験などろくにない彼を相手に、嵐馬は嵐を弾かれ、得意のスピードでも負け、苦しげに呻くばかりだった。
とはいえ、優勢であるエルドとしても、別に余裕がある訳ではないらしい。森の木々を巻き込むように嵐を吹き荒ばせ、駆け回る嵐馬を冷静に見つめ、難しい顔で考え込んでいる。
(やはり、勝てはするな。足元を掬われる可能性がないとは言わんが……この場での勝利自体は、問題なく得られる。
しかし、一時の勝利を得て、良いものかどうか。
俺にはそれが、わからない……)
「ヒヒィィィィィン!!」
「……グルル」
黄金の爪牙で何箇所も滅多打ちにさらた嵐馬は、穴だらけになりながらも踏み止まり、嘶く。流れる血も風で蓋をされているようで、吹き出したりはしていない。
より一層強烈な風をまとって、エルドに打ち勝とうとしていた。特に足は、地面が渦巻き抉れる程の風が纏われており、明らかに体が浮かび上がっている。
「む……? 貴様空を‥」
「ブルルルルァ!!」
馬とは、逞しい四肢によって硬い大地を踏みしめ、自由に世界を駆け回る生き物だ。生息域はもちろん地上。他の領域になど、水を飲むために足を浸けたり一瞬空中に飛び出したりするくらいで、活動の場にはなり得ない。
だが、今エルドの目の前にいる馬は嵐の支配者である。
前提からして、まともな馬の枠からは外れた存在なのだから、そんな常識は当てはまらなかった。
嵐馬は嵐をまとわせた足で虚空を踏みしめ、空を飛ぶ。
たてがみは鬼のように逆立ち、嵐と同化しているかのようだ。
エルドが思考を巡らせている隙に、それは正しく嵐そのものとして陸空を支配していた。
思考に気を取られ、反応できずにいる彼へ、嵐は轟くような轟音と共に蹴りを繰り出していく。
「がッ……」
いくら竜人であっても、本来の戦い方をできない以上、制空戦を奪われてしまってはどうしょうもない。
エルドは遅れて腕や翼で体を庇い、何とか防御していたが、黄金の鱗は砕け散って、吹き飛ばされてしまう。
もちろん、飛行と戦闘の竜人ではない彼個人の本領としては、黄金を生み出し操ることがある。
しかし、それも彼が迷っている間に対策されてしまったようだ。
嵐馬は凄まじい嵐を纏っていると思っていたが、より正確に言うと、村や森を飲み込んでいた嵐を自身に集約したものであるらしい。
ふと周囲を見回すと、いつの間にか嵐はすっかり収まって、静まり返っていた。未だに荒れ狂っているのは、馬が纏っている鎧の範囲だけである。
吹き飛ぶエルドは黄金を操り、先程と同じように爪牙や防壁として繰り出していたのだが……
それらは凝縮された嵐によって容易く砕かれ、操作できないほど遠くに吹き飛ばされていった。
「なッ……!? この我の力を超えたというのか!?」
「ブルルン」
「くっ!!」
嵐そのものであり、馬でもあるそれは、既にスピードも彼を遥かに超えていた。黄金すら砕く威力に目を剥いていると、次の瞬間にはそれはエルドの背後に。
風がそよぐかの如く、辺りに溶け込むように極自然に現れている。やはり数秒遅れで気が付いたエルドは、今度こそ流石に身構えながら振り返っているが……
たとえ同じスピードで動けたとしても、迷いがある時点で勝負にはならないのだから。その時にはもう嵐馬の姿はなく、彼は翼ごと背中を砕かれていた。
「……!!」
「ヒヒィィィィィンッ!!」
山や海と同じく、神秘に寿命はない。
普通の生物よりもタフで、生半可な攻撃なら多少傷がついても直に治ってしまうだろう。
だが、彼らは単に寿命がないというだけで、死なない訳ではないのだから。川が土砂で途絶えることがあるように、自然の力で揺らぐものなのだから。
対等な神秘ならば殺せるし、瀕死に追い込むのも難しいことではない。その事実を証明するかのように、嵐の王は神秘的なオーラを放ちながら、雄々しく嘶きを上げる。
踏み潰された黄金の竜は、全身を砕かれて無様に地面に這いつくばるばかりだ。
規模が違えど、自然のせめぎ合いの勝敗など、終わってみなければわかりはしないということだろう。何にせよ、決着は着いた。勝者は、世界を恐怖で染め上げる嵐だ。
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「おい、待ちやがれバカマルタ!!」
嵐が不自然な収まりを見せる、数十分前。
どうにか騎士達を振り切って森に入っていたラザロは、前を行く少女を怒鳴りつける。
彼らはどうやらはぐれていたらしい。
いきなり背後から声をかけられたマルタは、ビクリと肩を震わせてから立ち止まり、顔をしかめていた。
「何よ? わたし今忙しいんだけど」
「何よじゃねぇ!! お前俺を囮にしやがったな!?」
「身代わりになるって言ったじゃん」
「お前は黄金を見せるって言ったぞ!?
せめて待ってろよ、こうして撒いてきたんだから!!」
「……それはごめん。じゃ、行こ」
ラザロもずっと走っているので、少し立ち止まって待てばすぐに追いついてくる。軽く言い合ったものの、ここまで来たらすり合わせも一瞬だ。
怒っている場合ではないし、村の大人が追ってきている可能性もあるので、サクッと口論を終えて走り出す。
一緒に行くことの証明かまた手を繋ぐことになり、ラザロは少し目を泳がせていたが……
マルタは効率しか意識していない様子で、平常運転だ。
漂う神秘を捉えているのか、迷いなく奥へと進んでいく。
「ところで、どうやって撒いたの? どっちもは無理かなと思ったから、わたしもあなたを置いてったんだけど」
「お前と一緒にすんなよ。お前は運動の中でも、冒険とか、物語に関連したようなことしか興味なかったけど、俺は純粋に体を動かすのが好きなんだ。追いかけっこは慣れて‥」
鼻を鳴らして質問に答えていたラザロだったが、何かに気付いたらしく途中で言葉を切る。
手を繋いでいたため、立ち止まった彼によって無意識に歩みを止められたマルタは、訝しげに首を傾げていた。
「……? どうしたの?」
「なぁ、いつの間にか嵐収まってねぇか? 森に入ってからは元々マシになってたけど、ここまでじゃなかったろ」
「たしかに……」
言われて気が付いたマルタも、ハッとしたように周囲を見回す。森に入った時点で、嵐はある程度軽減されて歩きやすくなっていたが……今ではほぼ無風だ。
雨も止んでいるため、レインコートなど邪魔でしかない。
しばらく観察していた彼女は、少し考えてからバッとそれを脱ぎ捨てて再び歩き始める。
「ちょ、おい。いいのか?」
「いいよ。だって、動きにくいじゃん。
機会があれば、後で取りに来る」
「ま、待て。俺も脱ぐから‥」
自分だけさっさと脱いで歩き出すマルタに、ラザロも戸惑いながらも静止して脱ぎ始める。
しかし、手を離したタイミングが悪く、森にはどこかから地面を砕くような轟音が響き渡った。
嵐が収まったことで、遮られていたものが届いたのだろう。
明らかに戦闘をしているような音であり、つまりはこの先にある場所こそが、彼女達の目指している場所だ。
それを聞いたマルタは、レインコートを脱いでいる途中で、ろくに前も見えていないラザロを放置し駆け出した。
「あ、おい……!!」
「ごめん、真っ直ぐ行けばすぐっぽいから!!」
嵐は収まり、エルド達の影響か危険な獣はいない。
ラザロや村の大人達というお目付け役もおらず、マルタは最速で目的地に辿り着く。すると、草むらに隠れる彼女の視界に飛び込んできたのは……
「エルドさん……」
「はぁ、はあ……!! これ、が……? マジか、本当に黄金の竜がいたのかよ。負けてるっぽいけど」
嵐のような馬に踏み付けられている、黄金の竜――エルドの姿だった。遅れて落ち着いてきたラザロも、本当に御伽噺のような存在がいるのを目にしたことで、あ然としている。
「……やっぱり」
「え、なんか言ったか? て、おい!! 何するつもりだよ!!
おかしなことはさせねぇって言ったよな!?」
ポツリと呟いて出ていこうとするマルタの手を、ヒソヒソと怒鳴るラザロは咄嗟につかむ。
だが、彼女は静かに振り返って彼を見据えるだけだった。
「な、なんだよ? 普通のことだろ?
俺もお前の家族も、みんな心配してる。だから止めるんだ。
夢を追うのは勝手だけど、お前一人のことだと思うなよ!?」
「……うん。わかってる。ちゃんとわかってはいるんだよ」
「じゃあ、大人しくしてろ。あの竜がいいやつだったとしても、馬は違うだろ。今出ていけば、死ぬぞ」
「……」
ラザロの必死な説得を受けて、マルタは出ていこうとするのをやめる。しかし、それ以外は変わらない。
馬が気まぐれでこちらを見るだけで気付かれるというのに、立ち上がったままエルドを見つめていた。
「お、おい。わかってるなら、一度しゃがめ。村に帰るぞ」
「わかっては、いるんだけどね」
「は、はぁッ!?」
「あなたはともかく、両親が心配するのはわかる。
普通に生きてほしいって思うのが当たり前で、正しい生き方だもん。だけど、わたしは別の夢を持ってるの。
正しい生き方じゃ、見ることのできない夢なの。
それを押し殺して生きるのは、わたしを殺すこと。
感謝はしてるし、心配をかけたくないし、孝行もしたいけど……親の操り人形のように生きるのは違うでしょ?
それがたとえ親だとしても、誰かのためだけに生きて、自分は苦しみ続けるなんて人生じゃない。
わたしは、わたしの人生を生きているの。夢を諦めて生きていたって、わたしはわたしを生きられない」
強い意志で紡がれた言葉に、ラザロは絶望したような表情を浮かべる。これまでも、何度も彼女に言いくるめられた彼だ。この先に起こる展開を、もう予想できているのだろう。
辛うじて最後の抵抗を続けながらも、その指は掴んでいた手を離しかけていた。
「言ってることは、わからなくもない。
だけど、だからって……」
「大丈夫、心配いらないよ。わたしは絶対に死なないから。
あの日の黄金、ちゃんと見ていてね」
少年の手を振りほどき、少女は笑う。
その姿はどこか神秘的で、彼は確かな根拠もないのに反論できず、見送るしかなかった。
(だって……それが神秘なんだもんね、エルドさん)
「負けないで、エルドさーんッ!!」
「ッ……!? ヒヒィィィィィン!!」
戦闘の影響で広げた場所に、マルタは足を踏み入れる。
同時に上げた大声を受けて、嵐馬は強烈な殺意を彼女に向けていた。
直後、唇を噛み締めて見守るラザロの目の前で、少女の小さな体は宙を舞う。どこまでも広がる、自由な空へ。
普通の人ではまともに動けない、不自由な空へ。
抵抗する術を持たない少女は、澄み渡った星空を背景にして、6つの瞳の中に映り込んでいた。