23-もう1つの金色
ただでさえ、少しずつ日が落ちていく夕方。迫る嵐が普段よりも視界を霞ませて、確実に不安が広まり始めている中。
村に戻ったマルタは、真っ先に村外れに立つ木に向かう。
もう何日も繰り返しているので、バレずに行き来するのにはすっかり慣れているようだ。
相変わらず友達や母親に頼まれた騎士達は彼女を探している様子だったが、嵐の暗さや騒音に紛れているため、見つかることはない。
特に誰かから声をかけられることもなく、スムーズに木の側へと辿り着いていた。
「こんにちは、お兄さん」
目の前にいるのは、ここらではあまり見ない服装の男性。
木に背中を預けて目を閉じる、黄色を基調にした雷のような和服の侍だ。
旅の途中で立ち寄った余所者といった様子の彼は、マルタに声をかけられるとゆっくり目を開け微笑む。
「やぁ。昨日ぶりだね〜、お嬢さん」
その表情はひたすらに柔和で、すべてを受け入れてくれそうな雰囲気だ。悪く言えば、ほんわかしていて緩い。
格好は割と派手であり、刀という武器まで持っている余所者なのに、ここに彼がいるのは当たり前だと思える。
それほどまでに、男はこの場に自然と馴染んでいた。
「黄金竜に会ってきたんだよね? どうだった?」
「翼はやっぱり治らなかったよ。あと、わたしを遠ざけようとしてたっぽいかな。……少し、不安になる」
「そうなんだ〜」
マルタの話を聞いた男は、そのまま何もコメントせずに目を閉じる。風に身を任せ、静かに髪を揺らしていた。
周囲には人がいないのか、なんの物音もしない。
ただ、強まる風の暴力的な音が響いている中で、彼女は痺れを切らしたように話を促していく。
「お兄さんは、さ。神秘なんだよね?」
「うん、そうだよ〜。前に白状した通りさ。
でも、エルドには僕のこと、言ってないよね?」
「えぇ、あなたに彼の反応が予想できないと言われたから」
「それはよかった。暴走する可能性も、なくはなかったからね。少なくとも、確実に彼が立ち上がる邪魔にはなる」
「……あなたが、強いから?」
「うん、僕が強いから」
瞑目したままの彼は、口調に似合わず断言してからまた黙り込む。今は嵐が近づいてきている非常事態なので、マルタは焦れったそうにしているが……
エルドと同じように神秘だという男は、余裕の態度を崩さない。とことんほんわかとマイペースだ。
嵐に鼻歌を乗せ、のんびりと言葉を紡ぐ。
「いいかい、お嬢さん。これは危機を乗り越える物語なんかじゃないんだ。これは、翼の折れた竜が自らの強さと誇りを取り戻す物語なんだよ。そういう御伽噺、好きでしょ?」
「えぇ、そうね。冒険譚も好きだけど、それも好き」
「それから、君にとっては憧れの竜と仲良くなる物語、ね」
ようやく目を開けた男は、にっこりと微笑みかけて立ち上がる。風はより一層強くなっているが、不思議と安心できる笑顔だった。
まだ、刀は抜いていないのに。何の力も発していないのに。
彼が立ち上がった。ただそれだけで、辺り一帯の空気は落ち着き、安全地帯になったかのようだ。
「エルドは魔獣と戦うでしょ? 人は、僕がやるよ。
村のことは心配しなくていい。君は、君がしたいように動くといいよ。たとえ混乱していても、僕なら守れるからね」
「結局、お兄さんって……」
「僕はね、雷なんだ。脇役のことなんて、それだけわかっていれば十分。光は、いついかなる時も道標になるものさ。
君にとっての光を、あの金色の輝きを、目指すといい」
「……っ、ありがとうございます!」
マルタの望みを先読みしたように、話は一瞬でまとまる。
いつかの夜、霊峰で煌めいた雷を体現しているかの如き彼は、涼やかに笑って人の悪意を見据えていた。
~~~~~~~~~
心配事を片付けたマルタは、ようやく村に戻っていく。
さっきまでは人払いがされていたように静かだったが、家屋が増えてきた辺りまで来ると、ざわざわと嵐に備える人々の声が聞こえてきていた。
とはいえ、その備えは荒らしに対するものだけではない。
今回は数年前の嵐とは違って、嵐以外にも脅威があるのだから。
ならず者や獣が近づいてきているという情報もあり、騎士達は強風に巻かれながら戦いの準備をしていた。
室内での嵐対策に、室外での襲撃対策。
二重の騒ぎに乗じて、マルタは密かに家へと逃げる。
注意を無視し、度々抜け出したことに対して、小言を言われないために。
「おい、バカマルタ!!」
「……う」
これだけ暗くて騒がしいのだから、準備に意識を持っていかれている人々は、たしかに彼女に気付かないだろう。
しかし、最初からマルタを探していたのなら、話は別だ。
風よけなども兼ねて、物陰を静かに通っていた彼女だったが、前回同様横から話しかけられてビクリと止まる。
振り返ってみれば、そこにいたのはやはりラザロだった。
「……なんですかー? わたし忙しいんですけど」
「へー、忙しい? こっそり森に行くのは大変だもんな?」
気にせず歩き始めるマルタだったが、ラザロ少年は不機嫌さを隠しもせずに横を追従する。言われることがわかっているため、彼女はひたすら迷惑そうだ。
「なんのことかわっかんないなー」
「俺言ったよな? 森に行くのは危ないからやめろって」
「どうせもう少し大きくなったら問題なくなる‥」
「普段ならともかく、今は例の話があるだろ。
そういう話だバカマルタ!! 嵐の前なのに考えなしか!!」
「考えた上での行動だし、ほっといて」
「夢のために死ぬ気かよ!!」
ラザロは本気で注意しているのだが、マルタは一切聞く耳を持たない。明らかに適当に聞き流そうとしており、ついには彼も声を荒げてその手を掴んでいる。
嵐が強まってきているので、無理に振り払うのは危険だ。
思うように進めなくなった彼女は、流石に立ち止まって振り返りながら軽く手を払っていた。
「違うよ。わたしは夢のために生きるんだ。
君は、さ……和装の旅人に会ったかな?」
「はぁ……? 見かけた気もするけど、関係あるのか?
あの人、どうにも意識に引っかからねぇんだよ」
「だろうね。あの人は多分、わたし達より環境に馴染んでる。それに気付けないあなたに、とやかく言われたくない。
あなたが一般的な幸せの形を目標に生きているのと同じで、わたしは夢のような輝きを目標にして生きてるの。
見ているものが違うんだから、わかり合えないよ。
わかり合えないのに、わたしを否定しないで」
正面から見つめられながら紡がれた言葉に、ラザロは何も言い返せない。いつまでも自分を見据えてくる目線に耐え切れず、逃げるように目を逸らしている。
「……ならず者達は、明日来るってよ。予想らしいけど」
「だろうね。じゃないと、わたしは遠ざけられない」
折れてくれた友人に背を向けながら、マルタは微笑む。
その表情は、暗がりに加えて背を向けたことで誰にも見られることはないが……いつになく、悲しげだった。
~~~~~~~~~~
『今日はどこに行っていたの?』
『森に行っていたとしても、行ってなかったとしても……』
『物語みたいな遊び、危ないでしょう?』
『明日はどこへも行ってはダメよ』
『怖い人たちがたくさん来るって……』
『危ない獣も……』
『明日は、絶対に村の外に行かないでね』
母親から散々釘を差された後。
暗い部屋に戻ったマルタは、ベッドで横になりながら窓の外を見つめる。
村はもうすっかり嵐の中だ。家の外は暴風雨に包み込まれ、あの日の夜のように荒れ狂っていた。
その中で、少女はポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「本ばかり読んで生きてきました。
夢を描きながら暮らしていました。
たしかにわたしは、現実を見れてないかもしれない。
まだ周りに心配されるような年齢かもしれない。
人より死にやすい、危険な道に足を踏み入れようとしているとも思う。けど、夢をつかめる可能性があるんだから。それを目指さなくて、何のための人生なの?
わたしは、飛ぶよ。あの日の黄金を目指して。
御伽噺みたいな、神秘を追って。でも……」
村の外れで、一筋の輝きが空を駆け上る。
開戦は明日。それはきっと、彼らにできる最後の抵抗だ。
言葉を切ったマルタは、ゆっくりと窓に近付いていく。
村から遠く離れた森の中では、金色の輝きは見えない。
憂いを帯びた瞳で、少女は窓に手を添えていた。
「でも、あなたは空を飛べますか?」