21-竜の心
どうやら、今日のエルドは人の姿で過ごすつもりらしい。
彼はしっかりと体を拭いてから服を着ると、湖から少し離れた岩の上に寝転がっていた。
今日だけでも2回は騒いだというのに、何事もなかったかのような顔でくつろいでいる。陽の光を浴びてぽかぽかとしている姿は、リラックスできており気持ちよさそうだ。
同じように騒いでいたマルタも、再びかなりの量の情報を頭に入れたことで、今は何も言っていない。
彼が寝転がっている岩に寄りかかって、静かに何かを考えている。とはいえ、いつまでも自分の世界に閉じこもっている訳ではなかった。
エルドが人型で裸になっていた衝撃で、つい頭から抜けていたようだが、彼女はここに来る前に不穏な情報を聞いていたのだから。
落ち着いて考える時間を得たことで、彼に話を聞いたり助けを求めたりする予定を思い出し、大声を出す。
「あ、そうだ!」
「んー……なんだ、急に叫んでどうしたよ?」
下から響く大声を聞き、エルドはあくびをしながらゆったり問う。今までは大声を聞くと驚いていたが、これまでの関わりの中でだいぶ慣れてきているらしい。
単に、水浴びと日向ぼっこで気持ちがふわふわしているだけの可能性もあるが……ともかく彼は、普段と変わらない雰囲気で体の向きを変えると、膝枕をしたまま返事を待っている。
その変化に戸惑うのは、相対するマルタだけだ。
彼女はのんびりとした反応に気勢を削がれた様子で、瞬きを繰り返しながらなんとか話を進めていく。
「えっとね、今日ここに来る前にちょっと小耳に挟んだんだけど、なんか危なくなりそうでさ」
「ふむ……?」
「なるほどなぁ、生態系を変えてしまったか!
フハハハハッ!! 流石は我、凄まじい影響力だな!」
「笑い事じゃないっ!!」
マルタから事情を聞くと、エルドは人の姿でもさほど変わらない豪快な笑い声を上げる。はた迷惑なことこの上ないのだが、翼が折れた状態でも影響力があるのが誇らしいようだ。
その反応を受けて、さっきまで戸惑っていたマルタも普段の調子に戻り、岩に登って掴みかからんばかりの勢いで猛抗議していた。
しかし、当然エルドが気にすることはない。
適当にあしらいながら、驚きもせず言葉を返す。
「フハハ、そう怒るな。人のならず者などは知らんが、我も同類の存在は感じ取っていたとも。たしかに、魔獣が近付いてきているようだな。それも、神獣の」
「……? 魔獣なのに、神獣なの?」
「神秘に成った獣の中で、人にとって害悪になるのが魔獣だ。獣単体で区別するなら、神秘の力を操るだけの聖獣と、神秘そのものである神獣の2通りあるんだよ。
まぁ、別に人に限った話ではないか。人でも獣でも、他者にとって迷惑にしかならないものは魔獣だ」
「なるほど……」
また新しい知識を得たことで、マルタも消化のために暴れるのをやめる。ちょこんとエルドの隣に座ると、時間を無駄にしないように話を再開した。
「とにかく、特にヤバい魔獣が来るってことだよね?」
「うむ。我には遠く及ばんがな!」
「じゃあ、村が危なくなったら助けてくれない?
あなたにとっては周りが騒がしくなったくらいかもだけど、わたしにとっては日常がくずれ去るような命の危機なの」
「安心するがいい、俺が友を見捨てるはずがないだろう?
話したことがあった気もするが、我らは元より現人神の要請があれば戦地に出るからな。何も問題はないとも」
不安そうなマルタの様子を見たからか、エルドは間髪入れずに了承する。どうやら、余計な心配だったらしい。
安心させるように、彼女をあぐらをかいた上に乗せてもいて、気遣いまで完璧だ。
「竜がいるんだから、いてもおかしくないけど……
今さらながら、現人神ってなんなの?」
「知らん! 俺は人に興味がないのでな」
「わたしにも?」
「貴様には興味津々だ。嘘だッ!! そこそこに決まっている!!
自主的に話すのであれば聞いてやらんこともないがな!!」
「えへへ、照れるなぁ」
「うるさいぞ貴様!!
先に言っておくが、声以上に顔がな!」
すぐさま否定はしていたものの、漏れた本音を見逃すマルタではない。彼女はもたれる形で上を見上げてニヤリと笑い、エルドは頬を引きつらせながら叫んでいた。
「まぁ、からかうのはこれくらいにして、と」
2人のじゃれ合いは、しばらくしてからようやく終わる。
怒鳴られながらも、相変わらずマルタは膝の上だ。
不安がなくなったこともあってか、左右に揺れたりしていて嬉しそうだった。
対して、エルドは無理やり退かすこともできないため、顔を真っ赤にして唸っている。
「散々笑っておいて、なに控えめにしたよみたいな顔をしている。本来なら、守り神として崇めるところだぞ」
「別にそうしてもいいけど、あなたはそれでいいの?」
「いいに決まっていだろう。何を言っている?」
「こうやって、仲良く話せなくなるけど」
「ぬ……」
「それどころか、会うこと自体難しくなる気がするけど」
「ぐぬぬぬぬ……存分にからかぇい!!」
「あっはははっ!」
最初はいつも通り、偉大なものに対するとしての対応を求めていたエルドだったが、マルタに口で勝てるはずがない。
相変わらずあっという間に言い負かされ、ヤケクソのように受け入れ叫んでいた。
とはいえ、彼自身も満更ではないのだろう。何度も弄ばれているのだから怒りはするが、立場などを気にせず笑い合える友人を得て、こうして話ができ、ほんのり嬉しそうだった。
「いけないいけない、また話がズレちゃった。
それでさ、羽の調子はどう?」
「うむ。定期的に折って矯正してもらっているが、完治には程遠いな。まだろくに飛べはしないだろう。
だが、もちろん前よりはだいぶマシになってきている」
「ふーん、そっか……ちなみに、羽なくて戦えるの?」
「……」
「え、戦えるの?」
いきなり黙り込んでしまったエルドに、マルタも再び不安そうな表情になって彼を見上げる。
視界の端に映る翼は、申告にもあった通りまだボロボロだ。
多少は整えられているが、ひしゃげているので上手く飛べるとは思えない。
続きを促された彼も、流石に自信がなさそうにしていた。
もっとも、妙に堂々とはしているのだが。
「どうだろうな。やったことがないので分からん。
本来は翼がある前提だったし、折れてからは蔑まれるばかりで戦ってもいない。そもそも、鈍っていそうだ」
「うえぇぇ、不安だー」
「ううむ、こればっかりはなぁ。とりあえず試すか」
ペタンと突っ伏しているマルタを見ると、エルドはいきなり立ち上がる。また片手で持ち上げられ、退かされた彼女は、ふわふわ揺れながら首を巡らせていた。
「え、なに。今から飛ぶの?」
「ダメか?」
「いや、ダメではないけど。だって、あなた普通に落ちても傷は悪化しないじゃない? びっくりしただけ。
えっと……今のままの姿で飛ぶの?」
「おうとも。竜人とは本来、人型だからな。
翼が折れているという点を除けば、何も問題はない」
「その折れてるってのが、1番の問題なんだけどね……」
横にどいて見守るマルタは、やたらとやる気になっている彼に呆れ顔だ。ほとんど期待していない様子で、両足を抱いて三角座りをしている。
しかし、そんなことで臆するエルドではない。
彼女の視線をものともせずに、彼はひしゃげていてなお美しい翼を広げ、少し高い岩の上から空に飛び立つ。
「フハハハハッ、我は崇高なる天竜族!
黄金竜エルドである!! その力、とくと見るがいい!!」
「わぁ――」
今の彼は人型だ。いつものような雄大な姿ではないし、鱗も翼以外にはないため黄金の輝きも弱い。
だが、綺麗な体勢で飛ぼうとする姿は、それだけで惚れ惚れするもので。力強く羽ばたく翼は、十分神秘的で眩しくて。
その光景を見たマルタは……
「すっごい綺麗に落ちてる」
「ガッデム!!」
遠い目をしながら、端的に事実を口にした。
結局のところ、ひしゃげた翼では飛べやしない。
折れた翼は前回同様、ただ無様に空を切るばかりである。