20-竜人の本性
「キャーッ!?」
見知らぬ裸の美丈夫を見たことで、マルタの悲鳴はとどまることを知らない。エルドがいると思っていたのに、その予想に反してこうなのだから、無理からぬことだ。
綺麗な伸びを以て、彼の耳に高音を叩きつけている。
それにより、衝撃や戸惑いで固まっていた男性は、堪らず耳を押さえて顔を歪めていた。
ここが人里離れた森の中とはいえ、小さな女の子に悲鳴を上げられると、居心地の悪さは最悪だ。
流石に力尽くで止めるのは違うとしても、何かしない訳にはいかない。
どこぞの竜と同じように驚きやすいらしく、強制的に硬直が解かれた彼は、わかりやすく焦りながら落ち着かせていく。
「ちょ、待て待て! いきなり来て悲鳴を上げるな!
考えなしにも程があるぞ、このじゃじゃ馬娘!!」
落ち着かせる……とはいっても、素っ裸で何も持っていない男――エルドにできることなどあまりない。
結局はいつも通り、憤慨したように怒鳴ることになる。
普段と違うのは、竜ではなく人の姿をしているということ、その影響で声量が人の規格に収まっていることくらいだ。
見た目の美しさは変わらないが……
なにも、服を着ていないところまで同じにしなくてもいいではないかと、思わずにはいられない。
実際に、少し雰囲気は変わっているものの、聞き覚えのある声を聞いたマルタは、すぐに状況を察して怒鳴り返す。
「その声……なんで人の姿で水浴びしてるのよエルドさん!
しかも、こんな開けた場所で! 裸でっ!!」
「竜の姿だと体を洗えないだろう!?
場所はここしかねぇし、着衣じゃ竜と変わりゃしねぇよ!」
人の姿で体格差がなくなった上に、口での戦いだ。
マルタは目を覆いながらも、その恥ずかしさを誤魔化すようにいつもより強気に詰め寄っている。
しかし、今回はかなりタイミングが悪い。
基本的に人の姿を見せなかったこと、昨日は竜の姿で水浴びをしていたことなど理由はあるが、結局のところ彼女の方が加害者側なのだから。
しっかりと人の姿に戻った理由があるエルドも、負けじと怒鳴り返していた。とはいえ、言い争ってはいるものの、彼らは別に必ずしも相手を打ち負かしたい訳でもない。
所詮じゃれ合いでしかない2人の口論は、それからしばらくの間続くことになる。
もしもこの場に、他の人がいたとしたら。
彼らに言えることは、一つだけだった。
とりあえず、さっさと服を着ろ。
「ふぅー、ほんっとうに驚いたわ。今でも信じられない。
けど、あなたって人の姿でもすっごくかっこいいのね」
言い争いが始まってから、十数分後。
ようやく落ち着いたマルタは、岸辺でタオルに包まり着替えながら、柔らかい声色で臆面もなく言い放つ。
視線の先にいるのは、もちろんエルドだ。
本格的に入浴していたことで、彼女よりも濡れている彼は、体にタオルを巻いた状態でしっとりとした金髪をかき上げている。
口論している間に慣れたのか、マルタはもうそこまで大きな反応はしていない。だが、依然として晒されている鍛え抜かれた肉体は、芸術品のような美しさだった。
神秘的なオーラを纏っていることもさることながら、濡れた髪や格好も相まって、色気が半端じゃない。
いつも通りに豪快な声で、尊大な口調じゃなければ、マルタどころか世界が彼に惚れ込んでいたことだろう。
幸いにも、中身の癖が強いのでそうはなっていないが。
「フハハハハ! 当たり前だろう!? 我を誰だと思っているのだ。偉大なる天竜族、黄金竜エルドだぞ!」
普段はよく言い争っているのだが、それも最終的にはいつも笑顔だ。やはり、喧嘩するほど仲が良いということなのだろう。
手放しで褒められたエルドも、直前の口論などなかったかのように受け入れ、派手に笑っている。
のんびり話す2人の様子は、すっかりいつも通りだった。
「うん、そうね。実際すごい。もう御伽噺って感じではなくなったけど、夢そのものみたいで憧れるよ。
ところで、これが本来の姿ってことでいいの?
鱗とか羽って、人の姿だとないんだねー」
「おい、つつくなつつくな。貴様はもう着替え終わったかもしれんが、俺はまだ拭いている最中だ」
「うわ、カッチカチ〜! 鱗はないけど、筋肉が鱗みたいね! 着替えてないことなんて、見ればわかるって。
だからさわっているんじゃない」
「くっそ、さっき悲鳴を上げたのはどこのどいつだ。
自由奔放なじゃじゃ馬娘め……」
エルドは全身で湖に浸かり、水浴びをしていたので、着替えは少し水を被っただけのマルタよりも当然遅い。
別段、急ぐような理由もなかったため、先に着替え終わった彼女にちょっかいをかけられることになる。
標的になったのは、もはや芸術的なレベルで整った筋肉だ。
とことこ近寄ってきた彼女に、ツンツンペタペタと上半身を堪能されてしまう。
もちろん、それが拒絶したくなるような不快感になることはないが、鬱陶しいのは間違いない。
そこに一切の悪意はなく、純然たる興味だけだったのが余計に質が悪かった。
「えー? それはたしかにわたしだけど、エルドさんだってわかれば気にしないに決まってるじゃん。
今は裸でもないし、見られてるのわたしじゃないし。
それより教えてよ! 羽とか鱗って……」
「ええい、離れろ離れろ!
同じサイズ感になったことで、余計に鬱陶しいわ!」
人の姿では体格差を押し付けられず、いくらエルドでも簡単に引き剥がすことは出来ない。
散々触られ、つつかれ、ようやく首根っこを掴んだ頃には、彼もすっかり疲れ切っていた。
せっかく水浴びをしたところだというのに、マルタに絡まれたばっかりに……ただただ不憫である。
持ち上げられ、ぶらぶらと足とスカートの裾を揺らしているマルタは、見た目より優しい扱いにニヤニヤするばかりだ。
「それでも気を配ってくれるエルドお兄さん、やーさしー」
「黙れ。年長者に対する態度がなっておらんぞ」
「ははー。ではぜひともお聞きしたことにお答えください、優しい優しいエルドお兄ちゃん様」
「鼻につくな、おい……ったく」
わざとらしい言い方に、エルドは顔をしかめる。
しかし、すぐに脱力すると、彼女を片手にぶら下げたままで全身に力を込め始めた。
「あぇ……? なになに、空気変わったね……?」
「竜人とは、竜の特徴を持った人。つまりは、本来なら今のように完璧な人の姿でいる訳がねぇんだ。それが、なぜ人として形を保てているか。貴様わかるかよ?」
「え、わかんないよ。だから色々教えてもらったんじゃん」
マルタの答えを聞いたエルドは、ニヤッと笑う。
今の彼には欠片も竜の要素がないが、瞳にはそれでも確かに竜なのだとわかるような、獰猛な光を宿していた。
同時に、その全身にも変化が現れる。
マルタを巻き込まないためか、限界まで伸ばされた右腕には変化がなかったが……他の箇所では、左腕、右足、左足、顔に胴体と、あらゆる部位に金色の輝きが煌めいていく。
「まぁ、そうだろうな。前にチラッと言った気もするが……
我が、完璧に己の神秘をコントロールできているからさ。
大自然そのものとも言える存在が、もしも己の神秘をまるでコントロールできないのならば。そいつの周囲には、嵐なり噴火なり、常に天変地異が起こってるだろうよ。
神秘に成ったということは、その時点で大自然を支配できるだけの強い意志があるのさ。それを、より高い精度でできるなら。炎は手足、黄金は手足。大自然そのものである我が身すらも、ある程度は自由に作り変えられるんだ。
意志による、世界の変容。それはもはや世界を騙す行為に他ならない。簡単に言やぁ、全てこの星の勘違いってわけよ」「……!!」
滔々と紡がれていた言葉に合わせるように、竜鱗は少しずつ体を覆う。しかし、今回はあくまでも変化を見せたいだけだからか、完全に覆われることはない。
竜のような口や肌にはならず、半分にも満たない密度で鱗が浮き出た状態だ。そして語り終えると同時に、背中にはひしゃげてぐちゃぐちゃになった黄金の翼が広げられていた。
決して完全な竜ではない。種族を別にして見た目に限れば、人型の竜である竜人としても、ほぼ人の形を保つ今の彼では不完全な状態だろう。
だが、その姿は紛れもなく竜の要素を持ち、その力を秘めた人であり、意志の力を体現する存在だった。
至近距離でその光景を見ていたマルタは、変容の風圧を受けて揺れながら、無言で目を輝かせている。
「まぁ、実際には神秘の力で肉体そのものを変容させているってのが正確なんだがな。得に翼や鱗は」
「ずこーっ!! うそ言わないでよ、エルドさん!!」
どうやら、彼の大仰な語り口に夢を膨らませていたマルタは、拍子抜けする言葉を付け足されて体勢を崩す。
それを見たエルドは愉快そうに笑い、彼女をゆっくり地面に下ろしていた。
「いやぁ、つい興が乗ってな。貴様との話は実に面白い。
それに、完全な嘘という訳でもないぞ?
俺は人の神獣だが、純粋な獣の神獣が人の姿になる場合は、勘違いの要素も大きい。巨大な肉体を縮める訳だからな。
そもそも、肉体の変容だって神秘のコントロールによるもので、意志で世界を変えていることに変わりない。
あくまでも、現実的な話を付け加えただけだとも」
「夢、壊さないでよね!?」
「星の勘違いが夢なのか……?」
「ロマンだよ!!」
戸惑いを見せるエルドに、マルタはなおも強く抗議する。
不穏な話とその相談はどこへやら。
黄金を秘めた森は、今日も平和である。




