19-森の喧騒
結局、エルドと一緒に水浴びをする羽目になった翌日。
体調を崩すことはなく、態度を変えもしなかったマルタは、相変わらず森に向かおうとしていた。
しかし、昨日に引き続き、またしても呼び止める声が聞こえてきたことで、渋々ながら立ち止まっている。
「なぁに、またあんたなの? バカラザロ」
「またってなんだよ。同じ村で暮らしてるんだから、何日も話さない方がおかしいと思うぞ」
マルタ視点だと、彼はやたらと会うし、その度に憧れや夢をバカにしてくる相手だ。しかも、特に最近は密かに森へ行く必要があるので、鬱陶しいことこの上ない。
流石にうんざりしてしまうのも、当たり前だった。
だが、当のラザロは普通に関わっているだけであり、関係もないことなので、あからさまな態度に不服そうだ。
ムッと顔を歪めて反論している。いつもの悪口が返ってこなかったことで、マルタは戸惑いを隠せていなかった。
「別に、話さない人なんていくらでもいるけど……まぁいいや。それで? 喧嘩ばっかりで、大して仲良くもないわたしに何か用でもあるの?」
「昨日の話を忘れたのか? 探ってやるって言っただろ」
「え、昨日の今日でもう? あんた暇なの?」
「ほっとけ!」
しばらく森に入り浸っている間に、一体どんな心境の変化があったというのか。ラザロは彼女を馬鹿にしないどころか、挑発にもまったく乗らず妙に協力的だ。
ぶっきらぼうに用事を告げられたマルタは、慣れない態度に早すぎる仕事も相まって、ドン引いている。
とはいえ、彼も普段と違うことなどは自覚しているらしい。
その反応を受けて、やや頬を赤く染めながら怒鳴っていた。
自分から距離を近づけた覚えのないマルタとしては、とんだとばっちりだ。
「はぁ……まぁ、調べてくれたなら聞くけど」
「おい、それが人にものを教えてもらう態度か?」
「誰かさんともしたなー、こういうやり取り……」
「誰かさんって誰だよ。なぁ」
ラザロが声をかけてきた理由は、大人達から探ってきた内容を教えるためだったはずなのだが……つれない対応に加えて、他の人物と仲良くしてそうな話まで出てきたことで、まるで話が進まない。
マルタはずっと鬱陶しそうにしているが、彼はそれからしばらくの間、中々本題に入らず彼女の体を揺らしていた。
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「はー、やっと解放された」
村でラザロに捕まってから、数十分後。
やっと報告を聞き出し、解散できたマルタは、すっかり疲れた表情で森を進んでいた。
時刻はまだ朝であり、これから森の長い道のりを駆けていくというのに、既にみっちり勉強した後のような有り様だ。
「でも、教えてくれた話は結構大事そうだったな……」
言い争いばかりのラザロが相手なので、精神的に疲弊したのは事実だろう。しかし、そこで得た情報というのも、かなり重要なものだったらしい。
言葉とは裏腹に声は力強く、森を突っ切っていくスピードもいつもより幾分速いようだった。
もちろん、単に足繁く通って慣れたということもあるだろうが……ともかくとして、彼女は大人の狩人顔負けの速度で森を突き進みながら、思考を巡らせている。
「最近、急に村周辺の獣が大移動しちゃったことで、付近の村にひ害が出てる。そのせいで、ならず者達が安全なこの村に寄ってきている上に、一部の魔獣は殺気立ち、またこっちに向かってきそうな気配がある、か」
ラザロが探ってきたのは、結局のところ昨日盗み聞きした話を発展させたものだ。なぜか生態系が激変したせいで、獣も人も問わずに村の情勢が変わってきている。
彼はもちろんのこと、村の大人達だってどうこうできることではない。それはきっと、マルタであってもそう大きく変わりはしないのだが……
「どれくらいの規模か、いつからいつまでの話なのかとかはわからないけど、原因は多分、エルドさんだよね。
ずっと眠ってたのに、わたしが起こしちゃったから。
何かできること、ないかな」
彼女の場合は、地域によっては神のように崇められる神獣――天竜族のエルドと森で出会い、友達になっていた。
十中八九彼が元凶であり、つまりは彼女も間接的にこの事件の犯人になるのだが、同時に何とかできる可能性も高い。
なにせ、あくまでも考察に過ぎないものの、エルドが目覚めただけで生態系が変わってしまったのだから。
その考察が正しいのならば、間違いなくほとんどの獣達よりも格上だ。ならず者……人間など気にするまでもない。
シンプルに寝床の場所を変えるか、しばらくの間また眠っていてもらうか、はたまた実力行使に出るか。
取れる手段は選り取り見取りである。
助けてくれるのか、という点に不安がない訳でもないが……
彼は傲岸不遜のようでいて、普通に優しい。
食事をもらったことや翼を治す協力をしていることからも、断ることはまずないだろう。
「飛べなくても、エルドさんはエルドさんだしね」
なにはともあれ、まずは彼に会わなければ。
薄っすらと微笑んだマルタは、目の前に見えてきた洞窟へと一気に駆け込んだ。駆け込んだのだが……
「エルドさー、んえぇぇぇ……!?
またいないじゃない、あんのお気楽ドラゴンがーっ!!」
またしても洞窟は空っぽ。村の行く末を握っている黄金の竜は、呑気に遊びに行っているようだった。
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マルタの声が、空っぽの洞窟に響いていた頃。
そこから少し離れた位置にある湖では、心地の良い音が響き渡っていた。
「ん、ん〜♪」
ちゃぷちゃぷという水音の合間に奏でられているのは、低く落ち着く響きを持つ声だ。
声の主は深く浸かっているのか、その全容は見通せないが、岩陰にはひょこひょこ尖ったものが見えている。
周囲は不思議な空気で満たされており、水浴びをしている人物が誰かなど、疑う余地もない。
こんな森の奥深くにいて、神秘的なオーラを迸らせている、黄金と見間違うような美しい肉体を持ったモノ。
そう、エルドである。
彼は現在の森の……マルタの村が直面している状況を知らないのか、昨日に引き続き水浴びに来ているのだった。
それも、鼻歌まで歌っていつになくご機嫌である。
「フハハハハ!! やはりしっかり洗えるというのは‥」
「エールドさーんっ!!」
「ぬっ!?」
だが、その癒しの一時もいつもの通りに壊される。
現れたのはもちろん、神秘的な雰囲気を辿ってきたマルタだ。
全力ダッシュで駆けてくる彼女は、エルドの笑い声で正確な位置を把握して湖に飛び込んできた。
昨日のことがあったからか、深くない場所はばっちり。
おまけに、今回は前回の反省を活かして、ちゃんと着替えも持ってきているらしい。
背負っていたリュックを早めに投げ捨てると、びしょ濡れになるのも気にせず水飛沫を上げる。
「昨日も来てたのに、なんでまた今日、も……」
花開くような水の膜の中心で、少女は可憐な笑顔を浮かべていた。輝いている雫や反射して彼女を照らす光により、その姿はいつもより幻想的で美しい。
しかし、湖にいた人物を見ると、その笑顔は瞬時に硬直し、頬を赤く染めながら段々と表情を引きつらせてしまう。
弾むようだった言葉も、尻すぼみになって最後には途切れている。なぜなら……
「え、あ、ふぇ……」
昨日と同じようにエルドと相対しているはずが、竜の姿などどこにもなかったから。目の前にいたのは、無言で口をパクパクさせている、裸の見知らぬ男性だったからだ。
彼は金色の髪を持っていて、顔も肉体も人とは思えないほど美しい。だが、どのような相手であれ、異性の裸を見た女の子の反応など、一つしかない。すなわち――
「キャーッ!?」
人気のない森の奥には甲高い悲鳴が響き渡り、澄んだ湖の水はどこまでも波紋を広げていた。