17-森は変わらず
「あっれー? エルドさんまたいなーい」
村でラザロ少年と分かれてから、数十分後。誰にもバレずに森に入り、洞窟の前までやってきていたマルタは、またしても洞窟の主がいなくなっていることを知り、眉をひそめる。
どうやらエルドは、どこかへ行ってしまったようだ。
洞窟内に彼の気配はなく、いつもなら寝転がっている寝床も空っぽになっている。
最近はかなり仲良くなっているので、今さら会いたくなくて逃げたという可能性は低いだろう。
考えられるのは、隠れて飛ぶ練習や翼の確認をしているか、食事など欲望のままにフラフラと出歩いているかのどちらかだった。
村が騒がしくなっているため、もしも見つかるようなことがあれば洒落にならない。確実に危険な存在として捉えられ、最悪敵対、良くて追い出されること間違いなしだ。
しかし、彼だって何年も森の奥に潜んでいるのだから、わざわざ人前に出たりはしないだろう。
それに、逃げること……洞窟からいなくなること自体は、これまでにも何度かしていた。そのため彼女も、そこまで心配はしていない様子でため息をついている。
「うーん、仕方ないなぁ。また探してあげるかー」
初めて寝床を変えられた時と同じように、エルドが移動した痕跡などはまったく残っていない。
足跡は当たり前のようになく、木の枝が折れているどころか地面の土が偏っている場所すら皆無である。
だが、少なくない苦労をして彼に会いに来た以上、わからないからと諦めることはできなかった。
それに、前回だって痕跡がない状態から見つけ出したのだ。
普通なら見つけ出す可能性がない状況でありながら、マルタは澄まし顔で捜索を開始する。
「たしか、感知能力がどうとか言ってたっけ。
うーん、これって多分あれだよね? 神秘を……神秘的な力や雰囲気を強く感じてるって話だよね?」
まず目を向けるのは、もちろん洞窟の中と入り口辺りだ。
昨日までは確実にいて、移動した時にも必ず通っている場所を、じっくりと観察していく。
「中はずっといたから、かなり存在感あるなー。
けど、入り口の周りはそうでもない。ただ、どっちの方向に行ったかくらいなら、なんとなくわかるから……」
中から外へ、彼女は薄っすらと見える光の筋を辿る。
かすかにしか残らない一筋の光に目が慣れたら、次は自然の中で消えかけている、より見つけにくいオーラだ。
若干流されているその奔流を追って、地面から木々へと視線を動かしていった。
「よかった。村の方には行ってないみたい」
見極めを誤ると、的外れな方向に進むことになってしまうのだが、以前もしていたからか、マルタに迷いはない。
あっという間に分析を終え、飛ぶようにエルドの後を追っていった。
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「ふーむ。久々に泉に来てみたが、これは……」
マルタが捜索を始め、森の中を駆け回っている頃。
当のエルド本人は、呑気に湖の中で横たわっていた。
岸に近い浅瀬に頭を置き、目を閉じてリラックスしている姿は、水浴び以外の何物でもない。
落ち着いて探し始めた彼女も、村でのことがあってまったく不安がない訳ではないだろうに。
彼はただ、入浴するためだけに見つかる危険を冒してまで外に出てきたようである。
とはいえ、彼は別に追われていたり、拘束されたりしている訳ではないので、すべての行動は自由だ。
洞窟よりもさらに森の奥に来ているのだから、文句を言われる筋合いもないだろう。
誰もいない静かな森の音を聞きながら、彼は騒がしい少女が纏わり付いてこない時間を堪能していた。
「鱗は元々大して汚れないし、外側だけだとかなりびみょ‥」
「見つけたわーっ、エルドお兄さーん!!」
「……はぁ」
しかし、その癒し空間はすぐに賑やかな声で壊される。
遠くから響いてくる声を聞いたエルドは、顎を湖に置いたままでため息をついていた。
声の主が誰かなど、目を開いて確認するまでもない。
痕跡を残していなくても、まだ遠くではっきり見えなくても、ちゃんと存在を認知してくる少女なんてマルタだけだ。
走っている音が聞こえてくるので、きっと移動しながら見つけ、駆け寄って来ているのだろう。
相変わらず、とてつもない感知・分析能力だった。
それを耳と経験から察したエルドだったが、気付いていないかのように反応しない。
どうせすぐ飛びついて来るのがわかりきっているからと、彼は危なくないよう横たわった状態で彼女を待ち受けている。
「こーんなところで水浴びしてたのね、エルドお兄さん!
体を洗う人とは思ってなくて、ちょっと驚いたわ!」
少し待っていると、エルドの体には軽い衝撃が伝わる。
予想通り、マルタは湖の中にいる彼に飛びついたようだ。
たしかにここは浅瀬ではあるが、巨大な竜が水浴びに選んでいるだけあって、場所によってはかなりの深さなのに。
少し心配になるくらいの度胸と、いっそ気持ちいいくらいの思い切りの良さを見せていた。
とはいえ、仮に深い湖に飛び込んだとしても、全身がびしょ濡れになるだけ。巨大な竜と友達になったのだから、今さらでしかないのだが。
「はぁ……それは我が不潔なやつだと思っていたということか? とんでもなく失礼だぞ、自覚しているのか無礼者め」
「でも、あなた竜じゃない。竜は普段、お風呂になんて入らないものだと思うんだけど」
「残念ながら、俺は竜人だ。本来は人なので、風呂も入る」
「そういえばそうだったわ……ねぇ、どうしていつも竜の姿でいるの? わたし、人の姿も見てみたいんだけど」
「別に見せてもいいが、ここでか? 水浴び中だが」
「なっ……!!」
エルドの上に乗ったまま会話を続けるマルタは、珍しく悪い流れにしてしまって動揺を見せる。
彼はいつも、竜の姿をしているため忘れてしまいがちだが、本来の姿は人なのだ。
普段と同じノリのまま、それを見せてと頼んだまではいいとしても、場所があまりにも悪かった。
竜の姿であるからこそ、水浴びも動物とそう変わらない状態になっているものの、人の姿だとかなりよろしくない。
服を着ていたとしても濡れていて危ういし、着ていなければ論外だ。赤くなった動揺した彼女は、滑りやすくなっている鱗に足を取られてしまう。
「危ないッ!!」
「っ……!!」
湖に落ちかけていたマルタだったが、すかさず伸ばされた腕に包まれて回収され、なんとか無事だ。
落ちた位置は浅い場所であり、溺れる心配などはないのだが……その分、シンプルに頭を打ってしまう可能性があった。
すんでのところで助けられ、花開くように広がる指の間から出てきた彼女は、ホッと胸を撫でおろしている。
「貴様、もっと気をつけろ!! ここは水上だぞ!?
そもそもだな、自らが軟弱な人だという自覚をもっと……」
「ご、ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって」
「びっくりでケガしていたら洒落にならん!!」
目を泳がせるマルタに対して、エルドは湖に波紋が生まれるくらい真剣に怒る。仲良くなった今となっては、初対面の時に脅していたとは思えない程、真っ当で良い人でしかない。
手のひらの中で正座する彼女も、逃げ場がないという以上に自覚しているので、しっかり全部の言葉を受け止めていた。
「まったく、これだから人間は嫌なのだ」
「えへへ……あなたって、最初は傲慢っぽい態度でいたけど、普通に良い人だよね。本当にありがとう」
「急に何の話をしている!? ちゃんとわかっているのか!?」
叱り終えてから岸に降ろすと、マルタははにかみながら彼を見上げ、真っ直ぐな心を言葉で紡ぐ。本来はありえないような優しい眼差しを受けて、エルドは叱責を継続しながらも、度肝を抜かれたような顔で後退っていた。
だが、決して良くないことだった訳ではないだろう。
後に残るのは、可愛らしい少女の笑顔なのだから。