魔力による蹂躙
ただ火に耐性があっただけだったんだ。
痛い暑い。
その思いが駆け巡る。
周りがゆらゆら揺れる。
息ができない。苦しい。
もうダメだと思った。脳がとけてしまったのだと。目の前に少女がいた。きっと自分の終わりは近いのだと悟った。
少女は何か喋っていたが周りの炎の音で聞こえない。立ち上がる気力もない。
今思えば良い人生だったと思う。人の人生に優劣をつけるのはあまりよくないと思うが普通の人並みの幸せはあったと思う。いや、それ以上なのかもしれない。勉強は平均以上はできたし、運動もできた方だった。身長も平均かそれ以上だ。それに家族にも恵まれていた。家に帰れば温かいご飯が出てくるし、学校にも通わせてもらっていた。夢はなかったがやりたいことは沢山あった。今となっては考えても無駄か。まあ、悔いはないと思う。自分としてはもう少しやれる気もしないでもなかったが。
そう考えているうちに視界が暗くなっていった。おかしいな、目の前はこんなにも明るいのに。熱い、そして痛いのに。
目が覚めた。
おかしい。
死んだのに。死んだはずなのに。
そのはずが目を覚ましたのだ。
視界の先には空が広がっていた。
雲が広がり雨が降っていた。
身体に痛みが走る。起き上がることもままらないようだ。
そこでやっと自分の置かれた状況を理解した。
雨によって火が消されたのだと。自分の命は助かったのだと。
体は五体満足であった。しかし火傷痕が全身に残ったようだ。
雨が体の熱を奪い体温は通常通りに戻っていた。
雨が目に沁みる。身体に沁みる。全身で生を実感している。そう心から思えた。
これは奇跡だろうか。神様か何かが自分に生きろと言っているのだろうか。
俺は典型的な日本人だ。神様は信じていない。無宗教だ。いたら面白いと思うが本気にはしていない。だが今回ばかりは感謝しよう。雨が人を救ってくれたのだから。
神様。ありがとうございます。
そこで俺は眠りについた。
「そうだな、こいつはお前にまかせる。」
「承知しました。次に戻られるのは」
「2年後とかだな。たぶん。その頃にはもういい感じになってるだろ。」
寒い。
目が覚めた。
何の会話だろうか。
「じゃあな。」
「はい。」
足音が遠ざかっていく。
何の会話だったのだろうか。
話の距離的にこいつとは俺のことだろうか。
気にはなるが身体を動かせないのでどうにもならない。瞼はかろうじて開くので周りをキョロキョロと見回す。
すると視界に白いスカートらしきものが。
あっ、あと少し。
見えそうだ。
何がとは言わないが。
すると顔を覗き込まれた。
かわいい。非常に。
特にポニーテールっていうのがポイント高い。
そして髪が白い。いいね、アニメっぽい!
服装も白を基調とした制服のようなものだった。その上に茶色のコートを羽織っている。身長はおそらく150かそこらだろう。下から見上げているからよくわからんが。
「あ、起きた?」
目が合うとドキドキしてしまう。いかんいかん、こっちは童貞ではないのだ。ドギマギはしないぞ。
「は……い……」
口は動かしづらいが、声帯は焼けていなかったようだ。よかった。
「すごいね、君。それで生きてるんだ。」
どういうことだろうか。自分では確認できていないが五体は満足だ。感覚だってある。雨が滴るのが伝わってくるのだ。
「君の顔、ひどいね。」
どうしてそんなことを言うのだろうか。確かに世の中で言われるようなイケメンではないかもしれない。でも面と向かっていうことはないじゃないか。
「顔がただれてる。」
……正直ショックだ。人の顔は印象だ。大事だ。みんな整形だってするんだ。現代にとって、いやどの時代も顔は生きる上で大切なのだ。
「かける言葉がないわ。」
この沈黙は彼女の優しさを示していた。
「…そうだ、これつけてみる?」
彼女は腰のベルトにつけていた仮面を見せてきた。これもまた白く鬼のような角が一本生えていた。そして黒く十字のような模様が刻まれておりやや厨二感を出している。
「は……い……」
俺はこれしか言えないのだろうか。何かユーモアのあることを言えればよかったのだがこの口ではどうにもなるまい。仕方ないことだ。決して俺のユーモアがないわけではない。うん、たぶん。
それにしてもこの顔…見たことがある。そうだ。あの意識が途絶える前。炎に焼かれているときに現れた少女に似ている。
そう考えているうちに仮面を着けられる。見た感じ紐のようなものはなかった。どうやってつけるのだろうか。
少女はただ仮面を顔の上にのせるだけだった。
気休めのつもりなのだろうか。
雨が仮面の間から入り込んでくる。目に沁みる。やさしさが心に滲む。
「私、アイネ。アイネ・ノスタルジア」
彼女は俺の前にしゃがみ込んで言った。
スカートを押さえ込む姿が暗い空に映える。
「ア…イ……ネ」
「そう!アイネ!」
何故か名前を言っただけで喜ばれた。赤ちゃんはこんな気持ちなのかもしれない。
そうか、アイネ・ノスタルジアか。海外の名前だな、ハーフとかなのだろうか。日本語が流暢すぎるしな。
しかしこれだけ明るいと励まされるな。これに乗じて普通に声を出せると便利なんだが。
ブルブルと身震いが出た。
寒い。とにかく。
雨に晒され続けたせいか体が冷え切っている。
「さ…む…い…」
「そ、そうよね。寒いよね。」
彼女はそう言って羽織っていた茶色のコートを横たわった俺にかけてくれた。
ああ、暖かい。彼女の温もりが伝わってくる。ああ、なんて気持ち悪い表現なんだ。
彼女の優しさに相応しくないな。
「あ…りが……とう…」
彼女には真摯に接したい。その気持ちから出た言葉だった。
「大丈夫よ、シロセ。」
安心した。暖かく、人も居てくれる。眠気がまた出てきた。体が大変なことになってるから当然っちゃ当然か。
だんだんと視界が暗くなっていく。
あれなんで俺の名前知ってんだ?
まあいいか、そんなこと──
暑い。いや、正確に言おう。熱い。
そんな思いに駆られ目を覚ます。
身体が燃えていた。あのときのように燃えていたのだ。炎が俺の身体を覆うように燃え盛っている。あのときと違うのは熱さの程度であった。まだ耐えられる暑さ、そして痛みだった。どういうことかと起き上がってみる。ん?起き上がれるのか。何日経ったのだろうか。自然治癒力は人より高いと思うが数時間程度で動けるとは思わない。すると何日か寝込んでしまったのだろうか。
周りを見渡す。
エアコンやギター、パソコンなどが見える。
どうやら自分の家らしい。
アイネとかいう少女が運んでくれたのだろうか。そんなことあの小柄な少女ができるのだろうか。
「起きた?シロセ」
「…はい。起きました!」
声が出せた。普通に。
「どうして敬語なの?」
「助けてくださったので。あのままだときっと死んでました。低体温症かなんかで。動けなかったですし。」
俺は恩を忘れない男なのだ。と少しふざけたが尊敬を覚えた相手には敬語を使う。当然のことだ。
「…」
そういえばと顔に手を当てる。ん…?仮面だ。
「この仮面…どうやって顔についてるんですか?アイネさん」
紐とかはなかったはずだが。
「アイネでいいわ。これは魔力でくっついてるの。君の中を流れる魔力が仮面と反応してるのよ。」
ん?魔力……?
「魔力というとよくアニメや漫画で出てくる魔術師なんかが持ってるやつですか?」
「そうよ。もっとも私がその魔術師よ。」
アイネは当然のように答える。
…魔術師というと杖とか使うのだろうか。箒で宅急便とかしちゃうのだろうか。それは魔女か。
ありえないものを現実で見てしまうとその存在を認めざるを得ないな。
というかワクワクが止まらない。
自分にも使えるのだろうか。まず自分に魔力があることが驚きなのだが。
使ってみたいなぁ、魔法。いや魔術か?どっちなんだろう。
考えが取り止めもなく広がっていってしまいそうになったので一旦思考を打ち切る。
「それで、何故アイネが…って!ここ家の中ですよ!火はまずいですよ!」
自分の前でゆらゆらと揺れる火に気づいた。何故気にしていなかったのか。自分でも不思議である。っていうか自分が燃えてるのがやばい。
慌てて立ち上がる。
とここで気づく。胸だけだったのだ。燃えていたのは。だから布団に燃え移ったりしなかったのか。
「大丈夫だよ。心臓あたりだけ燃やしてるから。」
何が大丈夫なのだろうか。そう思うのが普通だろう。でも俺はなんだか大丈夫な気がした。熱くて痛いが、彼女は匙加減をわかっているだろう。そう思えた。
いや、しっかり痛いが。
「これ、なんですか?なんで俺燃えてるんですか?」
自分でも冷静さが怖い。
「私の魔力量を増やすためよ。」
…ん?
「シロセは耐性があるのよ。熱に対するね。だから多少燃えても平気よ。」
よくわからない。人が燃えて平気なものか。熱いし、痛いし。
「俺は死にませんよね?」
「もちろん」
アイネは勝手に冷蔵庫の中を物色しながら答えた。
死なないのならいいのかもしれない。彼女に救われた命。そう考えれば。
「俺にメリットってあるんですか?こう命の恩人に言うことじゃないんですが。」
今度は下の冷凍庫を見ながら答える。
「あるよ。強くなれる。」
強くなれるかぁ。それは現代でどれだけの価値があるだろうか。強さなんているのだろうか。
「強くなって何になるんですか?」
少し口調が強くなってしまっただろうか。言葉選びを間違えてしまった。
「強くなったら人を護れます。強くなければ大事な場面で立ち尽くすことしかできません。」
急に口調が変わった。空気がさっきと異なることが容易にわかった。
「だから強くなりなさい。なるんだよ、シロセ。」
彼女の目は俺の方向を向いていた。ただその奥を見つめているように思えた。真っ直ぐ。過去に何かあったように。
俺はどうにかなってしまったのだろうか。
「はい。」
気づけばそう答えていた。
不思議だ。これも魔術なのかもしれない。俺は魔法にかけられてらしまったのだ。きっと。
強くなってみたい。そう思った。
目的もなく生きてきた。高校受験も大学受験も趣味も恋も何もかも中途半端だった。きっとこのまま普通に生きていっても変わることはないだろう。俺が求める幸せはそこにはない。そんな気がする。ならどうだろうか。ここで新たな道を選んでみては。きっと自分にしかできないことがあるんじゃないか?漫画やアニメの世界に憧れていたあの頃。今ならその世界に踏み込めるんじゃないか?何か一つでも誇れるものが欲しい。俺は俺が生きてていいって思えるような自分になりたい。恥ずかしげもなく言える。俺はそうありたい。
「なります。強く。」
拳を固く握りしめた。
「その意気だ。」
アイネと目が合う。
その瞬間胸の炎が強まった気がした。
俺は大学生だ。だからといって時間が山ほどあるわけじゃない。理系を選んでしまったからか思ったより忙しい。だからこれからの生活に不安があった。これからの生活のため大学は卒業しておきたかった。なんなら大学院まで行くつもりだ。俺はこう見えて慎重なのだ。就職はしたくないがその準備はしておきたい。親にも今まで世話になったから言うことを聞いておきたい。
そこでアイネに聞いてみた。
アイネがいうには大学生活は問題ないらしい。
ただサークルやバイトにはあまり顔を出せなくなるらしい。まあバイトは土日だけだったしサークルは軽音くらいしかなかったので別に行かなくてもたまに顔出すくらいでいいだろう。なんだかんだ軽音サークルが一つの居場所となっているため大切にしたいところだが。
ちなみにこの胸の炎は常につけておくらしい。授業中はどうするのか訊いたら内部から燃やすらしい。俺の臓器はどうなるんだろうか。
果たして何がどう俺を強くするのだろうか。アイネに訊いたが教えてくれなかった。じきにわかるとだけ言っていた。まあ急ぐことはない。そのときを楽しみにしとくとしよう。
この1週間大学を休んでしまった。罪悪感はあるが欠格条件に引っ掛からなければ大丈夫だ。そういったマインドを持つことは悪くない。もちろんそれで油断することはよくないが。
そうして新たな生活が始まった。
女の子を連れ回して歩くのは周りの目もあってか少し恥ずかしい。小さいのもあるだろう。アイネは小柄だ。そして服もコスプレのような格好をしているためやや目立つというかだいぶ目立つ。髪も真っ白だしな。
俺はというと相変わらず仮面を被っている。それでいてフードも被ってこれでは完全に不審者だ。あのあと医者にかかり、証明書を発行してもらった。学校側はそのことを説明をするとすぐに受け入れて対応してくれた。
彼女は大学生ではないのだが大学というのは案外自由で授業にもこっそり参加できた。もちろん指定席やテストの時などは席を外してもらったがそれ以外の場面ではなんとかやっていくことができた。学生証が欲しいな。
暗い朝が続いた。昼も夜も暗かった。俺はこのくらいの天気が好きだが世間一般からすると悪い天気と言えるだろう。猫の模様が入った女性物の傘が目に入る。するとこっちに気づいたのか彼女は小走りで近づいてきた。ぱちゃぱちゃと音をたてながら近寄る彼女はなんとも綺麗だ。かわいらしい。その光景に見惚れるのは俺だけではないようであった。周りの男子は雨の中足を止めただ見とれていた。本当は目立つことは学生でない以上よくない。しかしこればかりは仕方のないことだ。何故なら彼女はアニメや漫画……(以下省略)
それはそうと雨が長いな。ここ2週間は降り続けている。あの日から2週間だ。そんなことがあるだろうか。
「雨長いな…」
気づけばぽつりと呟いていた。
「雨はやまないよ。これから何年かは。」
答えたのは猫の模様の傘を持った可愛らしい白髪の少女アイネ・ノスタルジアだった。
「それはどうしてわかるんです?」
仮面にフードの青年の俺が言った。
「いいじゃない。雨の方が。」
ふふっと微笑みながら言う。少し大人びたような印象を受ける。
「答えになってないです。答えられないんですか?」
「災害よ。人が起こしたね。誰がかは知らないけど師匠が止めると言っていたわ。」
「これだけのことを魔術でできるんですね。」
正直驚いた。この規模の天候操作もできるのかと。それも2週間もの間絶え間なくだ。それにこれからまだ年単位で続くらしい。それに師匠とは誰のことだろうか。俺が知るはずもないがきっとそのままの意味だろう。
「アイネはできるんですか?天候を操作したりとか。」
「できないわ。私は火しか使えないの。属性縛といって使う属性を縛ることで通常では到達できないところまで能力を成長させられるの。」
ただ単にその属性のみを鍛えるという意味ではないらしい。使う技を縛ったりしても効果を得られるのだろうか。
「でも山火事くらいは簡単に起こせるよ。はは。」
乾いた笑いが宙に舞った。
少し怖い。実際やったことがありそうだ。
しかし、半年も続くと日本自体が沈みそうだ。…そういえばこの雨の範囲はどうなんだろう。
「そういえばこの雨ってどこまで降ってるんですか?」
「うん?範囲か…今は日本だな。」
…
今は…か
ということは今後広がっていくのか?
「いずれ全世界とかになっていくんでしょうか?」
質量保存とかそういう問題はないのだろうか。
「そんなことにはならないわ。師匠が止めるからね。」
絶大な信頼だな。
命の恩人の師匠だ。一度会って挨拶しておきたい所だ。どんな人か気になるしな。
「そういえば。」
彼女は徐に首にかけていた何かをはずしだした。
「これ。師匠が渡せって。」
ハート型のシルバーチャームのようだ。中央には青の宝石のようなものが埋め込まれている。
「これ女物じゃ?」
今どきそんなことをいうべきじゃないことはわかってるがどう見たってそうだ。
「もっとけって。」
彼女はそれ以上言うつもりはないらしい。というか知らされてなさそうだ。仕方なく受け取る。つけておこう。常に。前にそれで失敗したしな。
人からもらったものは大切にしよう。それは当たり前だが、使うことも大事だよ。なあ、昔の自分。
「はは」
苦笑いが出た。
彼女ははてなという顔をしながら歩き始める。
「いこー。」
彼女の言葉が無性に心地よくて何故かスキップしそうになる。
懐かしいなこの感じ。
夏の匂いがした。少し焦げたようにも思えたが。そんな気がした。
あの日も雨が降ってたな。
女々しい自分が少し嫌になる。あのときを何度思い出しただろうか。
そうだ。
チャンスをもらったのだ。
きっと。
燃えるこの心臓はきっと勇気だ。
そうだ。やり直さなきゃな。
この雨が降りやむ前に。